つくば暮らし(隠居日記)

つくば暮らし(隠居日記)

気が向いたときに更新される日記です。

 

実家は零細な農家だった。父親は学校に行くことを願っていたが、長男ということで農家を継ぐ道を選択させられた。田んぼが少なかったので、いろんな作物を育てた。一つが七島蘭である。地元ではシットウと呼ばれていた。 畳表の材料になるイ草である。 高さ2メートルほどに成長し三角形の断面を持つ。シットウは夏に収穫しピアノ線をはった専用の道具で二つに裂いて乾燥させる。早朝から刈り取り、裂き作業を一家総出で行う。 小学校低学年だった自分も蚊に刺されながらの裂き作業に駆り出された。裂きが終わったら海岸に馬車で持って行って砂浜で乾燥する。乾燥したシットウは冬まで保管し、冬場の母親の内職で畳表になる。1枚織ってもわずかにしかならなかったであろうがシットウ作りはしばらく続いた。

たばこも栽培した。 家族は誰もたばこを吸わないが、換金作物になるということで父親が始めた。 たばこの栽培も苦労が多い。 春先に苗を植えるので、コメを作っていた田んぼをたばこ畑にした。 葉っぱが大きくなる夏前が収穫時期になる。 タバコの葉には特有のヤニがあり、暑い中汗とヤニにまみれた収穫作業を手伝わされた。 収穫が終わると乾燥作業である。父は家の裏側に乾燥庫を作った。収穫したたばこの葉を縄に編み込み乾燥庫の中に吊るす。2階建ての大きさの乾燥庫いっぱいに吊るすと重油バーナーで1昼夜ほど乾燥させる。きれいな黄色に仕上がったら選別と梱包作業をまた一家総出で行う。

もう一つは蜜柑である。当時ミカン畑を作るため村は開墾ブームになった。ミカン先進県の愛媛から村に移住してきた一家もいた。 父親は裏山を人を雇って開墾しミカン畑を作った。 ミカンの作業で思い出すのは消毒作業である。 大きなコンクリートの樽に青色の硫酸銅と石灰を混ぜてボルドー液というのを作る。 これがミカンの木に取りつく虫を予防するするのであるが、石灰まみれになりながら消毒する父親の姿を、思い出す。

零細農家だったゆえに、次から次へ新しい作物に手を出して家計を支えていた。 しかし還暦を迎え子供が皆独立するようになると農業をぱたりとやらなくなった。田んぼは人に貸し、自分の食べる分だけもらう生活である。 学校に行けず、本意ならず農家を継いだ後悔があったのか、晩年は農業以外の好きなことに時間を使った。

一つは書道である。 もともと素養はあったようだが、本格的に勉強するため、県の書道団体に入った。毎月課題を提出し、クラスを上げていった。 最期は師範のクラスまでになり、書道教室を持つまでになった。 また小さな個展をあちこちで開いていた。

もう一つは人の世話である。結婚相談の仕事を喜んでやっていた。 親戚の結婚相談をやっていたのが高じてお見合いのマッティングをやりだすようになった。世話好きの知人の奥さんと一緒にお見合いの設定を広くやり、何十組ものカップルを結婚に導いた。 カップルからのお礼の手紙を嬉しそうに見ていた。

父親は90歳過ぎまで生きたから農業をやめてからが望む人生であったのだろう。

 

 

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