3月27日。
それは自分が大学生になって、忘れもしない日になった。
その日、大学の友達が交通事故で20歳という若さで、この世を去ったことだ。
自転車をこよなく愛していた友人。
秋田から、滋賀まで自転車で行ったり、北海道を回ったり。
この春休みも、なんと自転車でオーストラリアを横断しようとしていた。
その途中で、不幸にもトラックにひかれてしまった。
事故現場の写真を見せてもらったのだが、
車の一台も見当たらず、道路はとても広い。
なんで、ここで事故に遭うという感じだった。
その友達は、入学当初からの友達だった。
最初のクラスも一緒だった。
英語で全ての授業を受けるという特殊な大学なのに、
自分も、彼もお互い英語ができない同士。
いつも、お互いをけなし、そして励ましあっていた。
そう、彼は自分にとって、最大のライバルであり、
自分が英語ができないのに、この大学でやっていくことができた恩人でもある。
彼のニックネームを決めたのも自分。
だから、彼の死は到底受け入れられるものではなかった。
彼の死を知った後、自分は彼のために何かできることはないかと考えた。
大学が小さく、彼は大学では知名度が高かったこと、
そして、春休みで、学生へはメールでしか流されていないことから、
自分が、学生代表として、色々やらなければと思い、色々とやった。
今思えば、それは、ただ単に、
彼の死を悲しむことから逃げていたのかもしれないし、
また、そうやってやることで
彼の死を受け入れるのではないかと思ったからかもしれない。
結局、一緒にやってくれる有志が集まり、
色々と大変だったけど、なんとかやることができた。
事故にあったのが、オーストラリアということで、
告別式は4月11日にあった。
前日の通夜から、大学の友人で式場に向かった。
そして、彼と約一ヶ月ぶりの再会。
彼は、スポーツ少年だったから、日焼けが特徴だったのに、
化粧で、すごい白っぽかった。
ヒゲをいっちょまえに生やしていたし。
目の前にいるのは彼なのかもしれないけど、
どう見ても、人形にしか見えなかった。
あんな元気な彼が、こんな静かに寝てるわけないからだ。
友人や通夜に来ていた彼の友人の多くは、涙を流していた。
しかし、自分は涙を流すことはなかった。
その日の夜は、本当に色々考えた。
自分が涙を流せないのは、自分が冷酷なためなのだろうか。
それとも、それほど彼は自分には大切な人ではなかったからなのだろうか。
翌日の、告別式。
式の前に、彼の顔を見たが、やはり涙はでなかった。
しかし、僕の友人が弔辞で、彼の思い出を語り始めたとき、
自分の頭の中でも、彼の思い出が、途切れることなく出てきた。
そして、あの元気だったライバルがいないということを考えると、
涙が止まらなかった。
おそらく、あの会場で一番泣いた男ではないかと思う。
弔辞の途中からは、何も覚えていない。
ご焼香で立ち上がったけれど、涙は止まらなかった。
しかし、ご焼香の時くらい、涙を流さす、元気な顔を見せなきゃ
彼に失礼だと思い、涙をこらえた。
しかし、長くは続かなかった。
結局、すぐに涙は再開した。
ただ、彼のご両親に、「ありがとう」と言われて、
なぜか、少し救われた気がしてしまった。
そして、最後の出棺の時。
僕と友達は、棺を持つ役をやらせてもらうことができた。
彼の最後を見送ることができ、とても光栄に思っている。
葬儀が終わって10日間がたつ。
最大のライバルを失ったことのショックは思ったよりも大きい。
なにか、失恋のように穴が開いた感じがする。
彼のためにも、頑張らないといけないとは思っている。
しかし・・・。
友よ。
君は、本当にいい加減な人間でもあった。
よく、人を困らせたよな。
君との最後の会話を覚えているか?
オーストラリアから帰ってきたら、
土産話を聞きながら、一杯やろうって。
君は、その約束を果たす前に、
遠くに行ってしまった。
約束を破るなんて、君らしいけど、今回は笑えないよ。
君のいない大学生活を考えたこともなかっただけに、
今は、正直、しんどいよ。
永遠のライバルよ。
もし、自分が挫折したら、君はまた、僕をからかって、
闘志を燃やさせてくれるだろうか。
永遠のライバルよ。
僕の中で、君は永遠のライバルだから、忘れないでくれ。
永遠の友よ。
今までありがとう。
そして、安らかに眠っておくれ。


そして、次は、温泉。
