暇の感覚
長いブランクを挟んで、年明け初の更新。
年末年始はまた「これでもか」って程に色々とあって、いい加減何かを辞めてやろうかと思ったぐらいだ。
何をかは分からないけれど。とにかく何かを。
でも、今の自分に辞めるものなど無いことに気づいて、結局垂れ流すような毎日をだらだらと送っていた。
ただ、今までは何らかの形で常に何かに追われている状況だった。
それはレポートであったり、単位であったりといった、学業的な内容から、生活に関わるあれこれまで、色々だ。
でも今はちょっと違う。
そりゃあ勿論、飯は食わなきゃ生きていけないし、眠気も襲ってくる。
特に眠気は最近激しさを増しているが、まぁそれはいいとして。
生活面の、当たり前のこと以外に、特に追われるものがないという、非常に珍しい状況にある。
実は、年末頃にもそういう時期があって。
でもその時は、精神的な乱れのせいか、その開放感が苦痛で仕方がなかった。
そもそも俺は、何かに追われて、急かされていないと頑張れない人間である。
暇があっても、それをうまく活かしたり、楽しんだりすることができない。
非常に苦手だ。
そういう時は、無駄に頭ばかりを使う。
それが年末の、非常にばたばたする、尚且つ精神的にダウン状態にある時に訪れたものだから、俺の頭の中ではネガティヴィティが吹き荒れた。
それはもうしんどかった。
こんなことなら暇なんて無ければ良いと思った。
でも、今の暇はどこか違う。
きっと精神的な部分が非常に大きいのだろう。
暇であることを特に苦痛には感じない。
最近は本を読む量も増え、だらだらするのも悪くないと思える。
ま、何かにハマるとそれしかやらなくなる、という俺の性格を非常に顕著に表していると思うが。
この変化が何なのかは分からない。
ただ、良い兆候なのだろうと思って、流れに身を任せている感じだ。
結局、進歩していけそうでちっとも進歩の無い自分。
ポジティブになるのはまだ随分先になりそうだ。
でも今は、目の前にあることを1つずつこなしていこうかと思う。
楽になれる時ぐらい、ああだこうだ悩むのはやめることにする。
不適合
暫くの間、特に吐き出すものも無いと思えていたのだが・・・。
やはり甘かった。
自分の中の下らないネガティヴィティはそう簡単に立ち退いてくれないらしい。
結局のところ。
残っていた感情に縋って、それを表に出さないことで制御した気になっていただけ。
自分の感情を整理しきれずに前進しようとか、俺には無理難題らしい。
自分の中で蓋をしたけれどまだ残っている感情を、投げられる場所があるのだと信じていた。
いつか、きっともう一度投げることができるのだと。
でも違った。
当たり前だけど違った。
結局残ってしまった感情は、いつか消えていくのを待つだけの、もうこの先特に出番の無いものだった。
分かってはいたよ。
人にも言われたし。
でも、それを確認するのはやっぱりしんどかった。
自分の目で、「もうこの先絶対に叶わないもの」を知る作業はしんどい。
そして、いつも通り、「自信」というものを失った。
俺が持ちうるものの中で、もっとも曖昧で、確信のもてない「自信」というものが、また自分の手から去ってしまった。
俺は人に求められることで自信を得る。
自分という生き物の存在価値を確認する。
「誰かに必要の無い自分」など、何の価値も無い。
くだらないことかも知れない。
いや、くだらないことだと言い切れる、自分で。
でも、俺にとって自信を得る方法はそれが唯一で、それがなくなれば自信なんてものを持つ方法が分からない。
俺は何も持っていない。
人に「俺はこうだ」と言い切れるものなど、何も。
そして、自信をなくした今、また自分を嫌いになる。
自分に自信を持つこともできない、このくだらない人間を。
そして、傍から見れば、たかがそれしきのことで精神の安定を失っているひ弱な人間を。
全く嫌になる。
どうしてこう、確固たるものを持てないのか。
そして、どうしてこんなに小さなことで一喜一憂して、勝手に疲れるのか。
あ~まったく。
バカじゃねぇの?
でもこうして吐き出すことで、自分の感情を処分していけるのなら、安いものだ、と思ったりもする。
とにかく「人に当たる」という行為はしたくないし、そんなくだらないことで人のテンションを下げたくもない。
だから、こうして感情を書く行為は、今の俺にとっては随分救いだ。
まぁ暫くはこうやって自分を詰ってやるさ。
それで追々楽になれるのなら、それこそ本当に、安いものだ。
それぞれの悩み
最近ぼーっとしていると、知らないうちに考え事をして勝手に凹んでいく自分がいる。
いい加減にしてください。
と、言いたい。
それにしても、人間の頭ってのはどれくらいの情報が入るのだろうか。
無駄に使ってしまっている気がするが、それでもキャパを超えないからきっとまだまだ余裕なのだろう。
最近考えていたことに、「悩みは理解されない」というのがある。
またまたろくでもないことを考えていると自分でも思うが、止まらないものはしょうがない。
というわけで、悩みの話。
最近の自分の悩みといえば、詰まるところ「恋愛ネタ」、という言葉でまとめられるものなのだろう。
しかし。
恋愛ネタといっても色々あるし、同じような状況でも人によって考え方が違うから、それこそ千差万別だ。
それに、彼氏や彼女ができない人からすれば、「何を贅沢な」って話だろう。
俺だって自分に彼女がいないときに恋愛相談をされれば、少なからずそう思っている節があると思う。
確かに贅沢な悩みなのかも知れない。
大金持ちが「この大金を何に使うか、今死ぬほど悩んでる」といってるのと同じように聞こえる(かも知れない)。
でも。
でも、だ。
傍から見てどうであれ、本人からすればこの上なく苦しい悩みかもしれないのだ。
自殺しようか、本気で悩む位のオオゴトかもしれないのだ。
まぁ大金の使い道で悩んで自殺する人間はいないだろうけど。
それは置いといて。
傍から見て贅沢な悩みであれ、本人は必死で悩んでいる。
例えばこの先俺が大金持ちになって、素敵な奥さんと優秀で素直でかわいい子供に恵まれて、何不自由ない生活を送れるようになったとしても、きっと悩みはある。
でも、ひとはそれを見て、贅沢なヤツだと言うのだろう。
悩みは他人には理解できない。
なぜなら、相手と全く同じ状況には成り得ないから。
そして、全く同じように感じ、考えることはできないから。
金を持っていようがいまいが、彼女がいようがいまいが、悩みはあって、それは他人には完全には理解できない。
理解してあげることはできないし、理解してもらえない。
悩んでいる側だって、「お前の気持ち、よく分かるよ」って言われても、「お前に何が分かる」って思うことも少なくないだろう。
これが悲しいことなのかどうかは分からない。
でも、そういう意味で言えば、結局人間は孤独なのかもしれない。
話は少し変わるが、俺はよく人から相談を受ける。
女の子から恋愛相談を受けたりもする。
俺は感情移入しやすい方だし、相手を理解したいと思う癖があるから(これもいいことではない)、結構親身になって話を聞く。
もちろん、上に書いたように、自分が理解しきれるとはこれっぽっちも思ってはいないけれど。
自分が話を聞くことで、相手が楽になるならと思って聞き続ける。
結構喜ばれて、たびたび話を聞かされるようになったりする。
やたらと頼られたりもする。
そうすると、相手が弱い面をさらけ出してくることも少なくない。
これね、超危険(笑)
俺は相手の弱い面を見せられると非常に惚れやすくなる。
すっごいダメ人間(笑)
でも、これもなんでだろうって考えると、結局自分の性格に収束する。
俺は本当は相手の立場になることを望んでいる(と、思う)。
俺は本当は誰かに自分の全てをさらけ出したい、誰かに親身になって話を聞いてもらって少しでも共感して欲しい、と望んでいるのだ。
今まで、自分が「聞く立場」でやってきてしまったせいか、俺の話をそういう風に聞いてくれる人間には出会ったことがない。
誰かにそうして欲しいから、俺はきっと誰かにそうするのだ。
誰かがいつか俺に「苦しかったね」って。「お前はよく頑張ったよ」って言ってくれるのを望んでいる。
全てを理解してくれなんて言わない。
ただ、俺が(傍からどう見えていようと)俺なりに苦しみや悩みを抱えて戦ってきたことを認めて欲しいのだろう。
俺は弱い人間だ。
人に触れていないとやっていけない。
自分一人では戦えない。
でも、誰かがいてくれれば、何度だって立ち上がるし、何度だって挑んでやる。
そう、思っている。
悩みは理解されない。
それはきっと揺らぐことのない事実だ。
でも、それは決して悲しいことじゃない。
人はそれぞれ違う。
お互いにそれを認めて、お互いに相手を思うことができれば、理解しあえるよりも良い状況に辿り着けるじゃないか。
俺は勝手にそう思ってる。
分かり合うより想い合うように(from その訳を/ASIAN KUNG-FU GENERATION)
今はこれを胸に頑張っていこうと思う。
