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今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

この本を読んだきっかけは、先の参院選でした。


参院選では参政党が躍進しました。
ポピュリズム政党がもし政権を握ると、何が起こるのか。
歴史上、何か事例はないだろうか。
考えていたところ

大衆→だいたい労働者→労働者の主張を反映させる政治→社会主義→ソ連

と連想し、ソ連を知れば何かわかるのでは・・?と思い、図書館でこの本を手に取ったのです。

 


本を読んでみると、上の連想は全て見当外れもいいところで、「ポピュリズム政党がもし政権を握ると、何が起こるのか」は全くわかりませんでした。

その代わりに、漠然と抱いていたソ連についての認識は、大きく変わりました。

 

約230ページのコンパクトなこの本には、1917年のロシア革命から1991年のソ連の崩壊までが収められていますが、読むと、ソ連の人々が経験した歴史の荒波の激しさに呆然としてしまいます。
革命、内戦、農業の集団化失敗による飢饉、スターリンの大粛清、第二次世界大戦、「超大国」への発展、ゴルバチョフのペレストロイカとグラチノスチ、そしてクーデターとソ連崩壊・・・
こんな出来事が、日本人ひとりの平均寿命くらいのうちに起こったというのです。


このような、次に何が起きるのかわからない中で生きていては、国とか政治とかに対する感覚は、私たちとは全く異なるものになってしまうだろうと思いました。

そして、ソ連の建国と維持のために犠牲となった人々の膨大さに、言葉を失います。

 

ソ連をつくり維持するために厖大な血が流された。理想主義者の血も、凶漢や出世主義者の血も流されたが、流された血の大半はとにかく生き延びたいと思ったふつうの人々の血だった。この国は自ら何十年間もほかの世界から隔絶し、「社会主義を建設」した。その本質的な部分は、国家を強化し近代化することだった。その国家は国民に対して大きな罪を犯した。大粛清、クラークや諸民族の強制移送、グラーグの創設と拡大。そのあとで、長く恐れられていた、外敵相手の流血、すなわち第二次世界大戦が続いた。戦後、何千万人もの人命の喪失と、恐るべき破壊を経て、それに再び国境が閉ざされる中、事態は徐々に落ち着いた。(本書200頁)

 

ロシア内戦では約1000万人、大粛清により800-1000万人(推計)、そして第二次世界大戦では約1300-1400万人(諸説あり)が亡くなったといいます。
あまりに膨大な犠牲です。そんな犠牲が出ては国を維持することすら難しいように思うのに、それでもソ連は、世界大戦後は大国の道を歩み、核兵器を開発し、非効率ではあるもののそれなりに平等な福祉国家を実現し、文化的にも高い水準を維持したというのです。

 

そうして、膨大な犠牲のもと、ようやく結果の出てきた社会主義という壮大な社会実験が、いきなり崩壊してしまったのです。
歴史として後からこれを振り返ると、その失敗した実験のために払われた犠牲の大きさに「一体何のための犠牲だったのだ」という感想しかありません。

 

そして、さらに驚いたのが、事実上ソ連の地位を承継した当のロシアの人々は、そうした歴史をネガティブにとらえていないらしい、ということでした。

 

2017年の世論調査によると、一般の人々の評価という点では、スターリン(32パーセントの回答者が彼に対する自分の感情をいちばんよく表す言葉として「尊敬」を選んだ)がプーチン(49パーセント) を除くどの指導者より高い点を得て、レーニンは26パーセントで3位だった。屈辱を味わった国民にとって、スターリンは国民の誇りと達成を歴史的に体現する人物だった―― 国民と工業力の創出者、それに国民を第二次世界大戦の勝利に導いた人物なのだ。(本書217頁)

 

結局のところ大衆は、誤った指導者が引き起こしたどんなにひどい歴史であっても容易に忘れてしまうということなのかと、恐ろしくなりました。


考えてみると、ソ連崩壊からもう30年以上。今の若者なら「ソ連」という言葉すら知らない人も多いくらいかもしれません。

そして現に、「ソ連の崩壊こそ20世紀最大の悲劇だ」というプーチン氏が、高い支持率を維持してウクライナとの戦争を継続しています。


独裁による悲惨な過去を知るはずのロシアの人々なのに、なぜこの事態を認めているのか・・・。
ここが、私にはまだわかりません。

 

 

職場の読書会で、川端康成の『山の音』を読みました。

 

 

新潮社サイトでの紹介文は(ただし上の写真は私の読んだ角川文庫版)

尾形信吾、六十二歳。近頃は物忘れや体力の低下により、迫りくる老いをひしひしと感じている。そんな信吾の心の支えは、一緒に暮らす息子の嫁、菊子だった。優しい菊子は、信吾がかつて恋をした女性によく似ていた、だが、息子は外に女がおり、さらに嫁に行った娘は二人の孫を連れ実家に帰ってきて……。家族のありようを父親の視点から描き、「戦後日本文学の最高峰」と評された傑作長編。

作者の最高の作品の一つとされているとのことですが、一読してテーマをを把握できるような内容ではなく、人により様々な読み方ができる作品でした。

私自身、多くのことを感じました。

 

でも正直、わかる部分もあるけれど全くわからない部分もあり、いつもより分析(考察)的な感想になってしまいました。

 

主人公の信吾は、若い頃に憧れていた、今の妻(保子)の姉の思い出をずっと引きずっています。

それだけでなく、女性と関係をもつ夢を何度も見たりして、女性に対する性的な執着のようなものがずっと残っているようです。

信吾は戦争のあいだに、女とのことがなくなった。そしてそのままである。まだそれほどの年ではないはずだが、習い性となってしまった。戦争に圧殺されたままで、その生命の奪還をしていない。(「傷の後」四)

この小説が発表され始めたのが、1949年(著者50歳の年)。

「生命の奪還」とは、相当強い表現だと思います。信吾にとって、性は生命だというのです。

新婚なのに不倫する修一も帰還兵です。作中で「心の負傷兵」という言葉も使われていました。

相手の女性も戦争未亡人。戦争が二人を結びつけたともいえます。

こうした戦争の影響も、この作品の底に流れるテーマです。

 

私もその著者とほぼ同じ年齢。

こういう、人生の不完全燃焼感みたいなものは、確かにわかります。

 

一方で、信吾の「家」「家族」に対する感覚は、ずいぶん違うと感じます。

信吾は息子(修一)の不倫、それによる嫁の悲しみ、娘の結婚の失敗に責任を感じ、「自分は誰のしあわせにも役立たなかった」(「蚊の群」)といいます。

修一に黙って、妊娠した不倫相手の女性(絹子)に、中絶を頼むために会いにいったりもするのです。

私、というより現代の父親が、そんなことすることはまずないでしょう。

 

正直言って、小物語の内容自体には、あまり感動した部分はありませんでした。

 

反対に、構成、言葉や素材の選ばれ方、会話の自然さなどには、いったいどうしたらこんなものが書けるのかと、感銘を受けました。

物語自体には起承転結もなく、季節の巡る中で家族生活を描いているだけなのに、磨き抜かれた日本語でこれだけの長編として仕上がっているのは、本当にすごいとしか言いようがなく、巨匠の作品だと思いました。

 

特に、この小説を閉じる最後の短い一文には、優れた和歌を読んだあとのような深い余情があり、大変心に残ります。

これほど見事な終わり方は、ほとんど見たことがないくらいです。

 

信吾の声が菊子には聞こえなかったことは、修一が言った通り、やがて菊子も戦後の自由な人間として「家」の外へ出てゆくことを暗示しているかのようです。

それは信吾にとっては寂しいことかもしれませんが・・・。

 

私は夢をよく見ます。

夢について考えるとき、不思議だと思うことはいくつもあります。

その中のひとつに、夢の中では自分の人格が(少し)違うと感じることです。

もちろん、夢を見ているときにはわかりませんが、醒めてから振り返ると、そう感じることがあります。

 

例えば、たまに私は夢で、怒って人を大声で非難することがあります。

ただし、怒って罵倒しているというより、理屈を並べ立てて論破している感じです。

夢の中では完璧な論理で相手を論破しているつもりになっていますが、目が覚めて振り返ると大した理屈ではありません。

それでもまあ、夢の中でよくそんな理屈を組み立てられるものだと、少し感心し、あきれます。

 

起きているときには、私はこのような行動をとったことは、たぶん一度もありません。

私は大声を出すのもケンカも嫌いです。

 

こういう話をすると「ストレスがたまっているのでは」、「本当は誰かに怒りをぶつけたいのでは」とか言われることがあるのですが、自分の実感は少し違います。

怒りがたまっていて夢で爆発したのではなく、夢では、怒りを抑制する脳の機能が低下しているため、怒りが制限なしに表現されてしまった、という感じです。

 

同じようなことは「記憶」についても感じます。

私は夢で、死んだ父親や、高校時代の友人でたぶんもう一生会わない人に出会ったりするのですが、夢では不自然に感じません。

彼らはまだ生きていて、自分のそばにいると感じます。

これは、記憶というものは複合的で、起きているときには、生きているときの父親の記憶が、父親が死んだという新たな記憶と組み合わさって機能しているのに、眠っているときはなぜか「父親が死んだ」という記憶が働いていないために、不自然さなく父親が夢に登場するのだと思っています。

 

認知症などの脳機能障害により人格が変わってしまうことがありますが、これもたぶんそうした理由なのだろう、と思います。

 

こうして考えると、「私」という意識は、自分が漠然と感じているような一個のものではなく、以前に読んだガザニガの本にあったように、複数のモジュールが統合されて機能しているものなのだと実感します。

 

この問題を考えるといつも、自分というものの頼りなさに、途方に暮れてしまいます。