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今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

いきなりですが、私は霊は存在すると思っています。

私自身はそういう感覚や体験ゼロなのが残念なのですが・・・

でも「霊」というと何かうさんくさい感じがしてしまうので嫌なのですが、とにかく、生きている私たちが観察可能なこの世界だけが宇宙の全てではないと思っています。

思わざるを得ないし、思いたくもない。

 

なぜかというと、身近で信頼できる人たちにそういう経験をしている人がいること、それと、見ている世界で全てだとしたら、あまりに不合理で理不尽でつまらないから。

神様にもいてほしいけれど、それが無理ならせめて霊くらいはいてほしい。

この感覚わかってもらえるのでしょうか。

あまり他人でそういう人に会ったことがありません。

 

前置きが長くなりましたが、他の方のブログでふと目にした本書。

著者の本は読んだことがなかったのですが、ノンフィクション作家という、事実を徹底して追い詰める職業の人の霊体験談ということで興味を持ちました。

 

すごく面白い。

面白いし、これを出すのは著者としてはかなり危険もあったと思います。

なにせ、下手をしたらノンフィクション作家としての評価に傷がつくかもしれない。

それをあえてしているのだから、他の人より信頼できる気がしました。

 

著者のような人は、霊はあまりに存在感をもって「普通に」見えるため、見かけても、そのときは普通の人間と区別がつかないといいます。

例えば著者が入院した病院では、亡くなった人がいるときだけ、待合室に大勢の白衣を着た人や、大工姿の人やランドセルを背負った小学生で込み合っている。でも皆しゃべらないのでとても静かだというのです。

それを診察の医師や看護師に話しても「自分が通ったときにはそんな人たちはいなかった」という。

何かの間違いなのか、と思ったら、見舞いに来た女性も見たといい、「病院って誰かが亡くなるといつもそうなんですよ」と話したそうです。

 

このようなお話しが十数編。

体験談としてもとても興味深いし、なんとなく、漱石の『夢十夜』のような味わいもあります。

同じ著者には『凡人の怪談』という本もありますが、この『もしも・・』のほうがずっと面白い内容でした。

 

私は性とか生とか(あと死とか)に興味が強いのですが、まさにそんなタイトルの書評の連載を見つけ、最近まとめて読みました。



書評はかなり面白く、ここに紹介されている本を読んでみたくなりました。


実は私は恋愛小説がなぜか苦手で、あまり感動した記憶がありません。


でも何せ、小説でも映画でもオペラでも和歌でも、恋愛を扱わない作品なんてほとんどないくらい巨大な題材です。

これを理解できなければ芸術の半分はわからないような気にもなり、やはり改めて読んでみようという気持ちになりました。


そこで、小橋さんが紹介されていたうち、最寄りの図書館ですぐに借りられた江國香織『東京タワー』、窪美澄『ふがいない僕は空を見た』を読んだのですが・・・


やはりどうにも無気力


特に前者は、映画にもドラマにもなっている有名な作品なのに、何がいいのか全くわかりませんでした。

江國香織は以前に『落下する夕方』と『冷静と情熱のあいだ』を読んでダメだったので、再チャレンジだったのですが・・・。


学生のくせに人妻含め取っ替え引っ替え女性と付き合っては捨てる耕二の気持ちはミリも理解不能だし、これまた人妻の女性に一途に思いを寄せる透の気持もわからない。


耕二の方は単なる性欲馬鹿としてまだわかる気もするのですが、透は本当にわからない。


思うに、私は、会うだけで完全に幸福、並んで座っているそれだけで満たされる、みたいな感覚が全然ないからだと思います。

そういう幸せって、感じたことがない。

その他のいろんなことに気を遣いすぎるからなのかなと思います。


透の恋の相手てある人妻の詩史に「恋はするものではなく、落ちるもの」という名台詞が出てきて、うまいなと思うのですが、私はどうも落ちづらいタイプのようです驚き


あと、私が恋愛小説が苦手な理由は、それが多かれ少なかれ、レールからの逸脱や、トラブルを描いているからだと思います。

順調に交際を重ねて無事結婚、なんて小説では何も盛り上がらないですもんね。


私は異性関係には平穏しか望まないので、拗ねたり怒ったり嫉妬したり、という展開には全然そそられず、「なんてまあ面倒くさいことだ!」と思ってしまうのです。

その面倒くささを小説でコレデモかと読まされるのがつらいみたいです。


今まで恋愛をメインに扱った作品でいいと思ったものは何かあるかなあと考えたのですが・・・。


映画『悪人』(吉田修一原作)

映画『八月のクリスマス』

映画『禁じられた遊び』

映画『道』


うーむ、本当にないなあ・・・。

しかもかろうじてあげたものも映画ばかり。

そのうえ、どれも純然たる恋愛ものというわけでもないし。


やはりダメなのかと思っていたら、同じく小橋さんが紹介されていた林芙美子の『晩菊』はものすごく面白かった。

やはりもう少しがんばろうと思いました。


ときどき、なんで自分は働いているんだろうと思います。


仕事は職種的に、結構きつい。
いつも自分の能力以上のものを求められている感じがします。

そうしてやっと稼いだお金は、別居している家族と自分の生活費、住宅ローンと税金と社会保険料で消え、大げさではなく手元に残るのは月に1、2万(残るだけマシですが)。

私自身は全くお金を使わない性格なので、今の仕事に就く前から比べたら収入は数倍になっているのに、生活ぶりは、社会人になって自活を始めた時点とほぼ全く同じ。

本当に、お金はどこに消えている感覚です。
なんのために働いてるんだろうと思う。

やりたいことをやって成功した人の話を聞くたび、自分が失敗者のように感じます。


でも、最近は思うのですが


家族の生活費を稼ぐことは、それがどんなにささやかな範囲のことでも、他人を支えていることには違いない。
税金だって、無駄遣いされて腹は立つけれど、
その税金で法律が作られたり、働けない人を助けたり、学校が作られたりするのも事実だ。
立派な社会貢献ではないか。

自己実現といえば格好はいいけれど、私ごときのやりたいことなんてただの独りよがりと変わらない。

仕事なんて嫌で苦しくて当たり前だ。
自分では食べ物も着るものも作れず、他人にお金を払ってやってもらっているのだ。
生きる手段を持たない、生きるために働かない代わりに、それ以外の仕事をして許してもらっているだけだ。

自己実現も何もできず、ただの労働者として働いて、家族の生活費と税金払って何も残せず死にました、ということは、他人に尽くして死んだということだ。
それで十分ではないか。
惨めでも失敗でも何でもない。