人はなぜフィクションを必要とするのか | 今日も花曇り

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前からの疑問のひとつに、

「人はなぜフィクションを必要とするのだろう?」

というものがあります。

 

実は、私は読書が好きなのに、小説が得意でないのです。

でも、SFやミステリ等は普通に楽しめる。

純文学の小説がどうも苦手らしいのです。

 

では「純文学の小説」とは何かと言われると困るのですが、私だけの定義をするなら、「人間に関する何らかの真実をフィクションで描いた文学作品」のように考えています。

 

すると、次に疑問が。

「人間に関する何らかの真実を描くというなら、わざわざフィクションではなく、事実そのものを描けば十分ではないか?」

 

事実がもつ衝撃や切実さと比べると、純文学の小説は、いかにも作り物めいて、取るに足らない卑小な出来事をぐだぐだと書いているものばかりではないか、と感じていたのです。

自分の読書体験としても、心に残る本は圧倒的に小説ではないものの方が多い。

 

ただ・・・

 

最近、やっと少し、フィクションであることの意味もわかってきた気がします。


理由はいくつかありますが、一番は、事実としてはっきり見ることは難しいけれど、人間にとって重要だったり大切だったりするものがやはりあることを、この歳になって痛感することが多くなったからだと思います。


それには、フィクションの方が適しているのかもしれない。


典型的には、人間の心の中の問題です。

人間の生き方や悩みは、全てが外側に現れるわけでもありません。

 

そういったものは、以前はまさに「取るに足らない卑小なもの」 と感じていたこともありました。

でも考えてみると、私たち凡人の一生はそうした取るに足らないものがほとんどであり、その小さなものが、結局は大問題なのです。


そう思うと、「結局、何が言いたいの?」のような読み方ではなく、知らない人の語りにゆっくり耳を傾けるように読めることが増えたように感じます。