日本国憲法についての議論が盛んです。その成立に深く関わった人ということで、白洲次郎に関する本をいくつか読みました。
「風の男 白洲次郎」は、白洲没後5年を迎え、生前親交のあった方々が発起人となり、最初は私家版として出されたらしい、簡潔な評伝です(文庫では約200ページ)。白洲に近かった多くの人々に取材して書かれていて、白洲次郎の人となりが一番よくわかるように思います。
それにしても、こんな人が終戦直後の日本にいたなんて!
神戸の豪商の家に生まれ、ケンブリッジに留学。終戦直後には国際経験を買われ、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたりました。憲法成立に深く関わり、その後は貿易庁長官、東北電力の会長などを歴任し、年に亡くなりました。
すごい経歴ですが、白洲次郎は私たちが通常思い浮かべるエリートとは全く違います。
象徴的なのは次のエピソードです。
白洲は太平洋戦争が始まる以前の1940年頃から、「戦争が起これば必ず負ける。深刻な食糧難が起きる。日本には敗戦の経験がないから最後まで抗戦し、東京は灰塵に帰す。」と予見し、鶴川村(今の町田)に田畑を買い求め、そこに疎開して百姓となって自給自足の生活を始めました。
日本は白洲の言ったその通りになりました。
白洲次郎はキャリアや社会的地位に一切こだわらない人だったようです。
終戦後、全くの私人だったにもかかわらず吉田茂から請われて終戦連絡事務局参与(のち次長)となりました。ここは、GHQとの交渉窓口を一本化するために設けられた部署だったとのこと。
そして白洲は、野良着を脱いで鶴川村を出ると、占領下、全能のGHQを相手に敢然と渡り合ったそうです。
戦争には敗けたが、奴隷になったわけではない。言いたいことは言うという姿勢を貫き、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と評されていたと、よく紹介されています(私自身はGHQの誰がこの発言をしたのかはまだ知らないのですが)。
GHQ高官も驚くほどの流ちょうな英語、日本人ばなれした長身とスマートな身なり、加えて美男子。
それでいて、幼馴染だった作家の今日出海が「育ちのいい野蛮人」、青山二郎が「節のない竹」と評した、激しく真っ直ぐな気性。
焼け出された河上徹太郎夫妻を迎えに行き、そのまま引き取って、食糧難のさなか戦後まで2年間も世話をした情の厚さ。
遺した遺言は「葬式無用 戒名不用」の二行だけ。
かっこよすぎます。
憲法について知るつもりが、白洲次郎その人の桁外れの大きさと魅力に衝撃を受けてしまいました。
白洲次郎のすごいところは、とにかく率直であったこと、どんな問題にも自分自身の論理を持っていたこと(様々な人が、白洲は「プリンシプル」の大切さを強調していた、といいます)、その行動の機敏さです。
白洲次郎のように生きられたら、どんなにかいいだろう!たぶんこの本を読んだ人はみんな思うのではないでしょうか。
でもそれは難しい。白洲次郎という天才だからこそできた生き方だと思います。
白洲は政治家にはならず、まとまった著作も残さなかったため、私たちに分かりやすい形で業績が残っているとはいえません。でもとにかく、生きることについて天才だったとしか言いようがないと感じます。
最後に、白洲次郎のエピソードをひとつ引用します。少し長いですが。
エピソードの塊のような人なのでたくさん紹介したくなるのですが、白洲の人柄をよく表しているようで、私がとても好きなエピソードです。
白洲が東北電力会長だった時の、発電所工事の話。
「工事には様々な建設会社がたずさわっていたが、白洲は前田建設を特にかっていた。前田建設では社長の前田又兵衛自らが、笛を吹き、赤と白の手旗を持って現場で陣頭指揮をとっていた。
「見てみろ、自分で旗ふっているのは又兵衛だけじゃないか。又兵衛だからこそだ」
前田又兵衛に当時の思い出を語って貰うと、白洲次郎という人はどんな人物か何も知らなかったが、とにかく恐い人だということだけを聞いていた、という。強烈な性格の持ち主で、人を怒鳴りつけ、ブン殴る、その上蹴っ飛ばして、さらに唾をひっかけるような男だと聞いていた。
ところが、白洲は現場に現れると、第一線の労務者たちと親しげに話しをし、「フンフン」とその人達の話を聞いている。ランド・ローバーの横に乗れと言われて、おそるおそる隣に座ると、「おまえの所のトラックは色々な会社のを使っているが、一つの車種に揃えた方が部品を兼用できるから合理的だぞ」とか、「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ半分の人間に積極的に嫌われるように努力しないと、ちゃんとした仕事はできねえぞ」とか、ためになる話しをしてくれる。
おまけに「おまえのガニ股や、面つきはいかにも土建屋らしくって結構だ。生涯それを捨てるな」と、褒められているのか貶されているのかわからないようなことまで言われる。現場の所長には、とにかく事故を出すな、安全に気をつけろと言いおいて、一人でランド・ローバーを運転して去って行く。まるで谷から吹いて来る風のように爽やかで消えることの早い人だと思ったという。」