勾留裁判官に言いたい | 今日も花曇り

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埼玉県で弁護士をしていると、国選弁護人の仕事が月に2、3件くらい回ってきます。あらかじめ名簿に登録しておくと、日毎に名簿から担当が割り当てられ、自動的に配点されるのです。東京とは違うところですね。

刑事弁護をやっていて、一番理不尽に感じるのが被疑者の身柄拘束です。つまり逮捕とそれに続く勾留。

本来なら、勾留は証拠を隠滅したり逃亡したりするおそれがあるときにだけできる、例外的処分なはずです。でも現在の日本では原則例外が完全に逆転していて、逮捕された場合そのまま勾留されてしまうことが本当に多い。

逮捕や勾留するときには、それが捜査のために必要なものかどうかを、裁判官がチェックすることになっています。でも現実には、裁判官が検察官の勾留請求を却下することは極めて稀。ほとんどフリーパスではないかと言いたいくらいです。

勾留決定された場合、法律上はそれに準抗告と呼ばれる不服申立をすることができますが、不服が認められることも、やはりほとんどありません。そしてその理由も、裁判書には抽象的な理由しか書いかれていないため、いったい裁判所がどういう理由で身柄拘束が必要と考えているのか、本人も弁護人も納得できません。

準抗告に対する裁判は複数の裁判官による合議ですることになっています。通常3人。裁判官が3人集まってもこういう判断しかできないのかと思うと、絶望したくなります。

裁判官から直接勾留の理由を聞くことができる勾留理由開示という手続きもあります。しかしこれは、裁判官が勾留状を読み上げるだけです。一体何の証拠を隠滅するおそれがあるというのか、逃亡といっても逃亡する理由が一体どこにあるというのか、説明を求めても、「これは証拠開示手続きではない」「答える義務はない」などと言うだけで、糠に釘、暖簾に腕押し、馬耳東風、手続きは完全に形骸化しています。

裁判官に言いたい。

なんでもかんでも勾留請求する検察官も、おかしいと思う。まあでも、それが彼らの仕事だと考えれば、わからないでもない。
でも裁判官は、刑事手続における法曹三者の中で、唯一公平な立場で判断できるポジションです。なのに、現実は(特に身柄拘束については)ほとんど検察官に追従していると思われても仕方ない判断ばかり。

あなたたちの出した勾留状という書類の向う側で、一体どれほどのことが起こっているのか、少しだけでも想像力を働かせて欲しい。逮捕・勾留・捜索・差押えの現場を見て欲しい。