今日は法律とは関係ないお話です。
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」という小説を読みました。なかなか普段は同時代の小説を読む機会がないのですが、同じ著者の「日の名残り」を紹介してくれた知人からの薦めで、今回も読んでみようと思いました。
内容は、臓器移植のためのクローンとして生まれた子どもたちの、青春期から青年期までの心情を描いた作品です。エンタテインメントではない文学作品の舞台設定としては異例でしょうが、作品の目的はどこまでも人間を描くことであって、ミステリやSFではありません。
臓器提供により生命を終えることが運命付けられている子どもたちが、成長し、やがて使命を果たす様子が非常に丁寧に描かれており、胸を打たれる作品だと思います。
私がこの作品を読んで一番強く感じたのは、彼ら(クローンの子どもたち)と自分が、全く同じであるということです。私たちの命というものは、自分の意思とは無関係に与えられ、また取られるものだからです(もちろん自殺はここでは除きます)。著者がこのような特異な状況設定をしたのは、それを強調することにあったはずです。
子どもたちに対する憐みだけを感動の中心におくなら、この作品は「泣ける」を連呼される数多の使い捨ての物語と一緒ということになってしまいます。著者はそれを望んではいないでしょう。
探してみたら、著者自身のインタビューがありました。文学界2006年8月に掲載されたものだそうです。
村上春樹についてイシグロ氏のこんな発言があるのが興味深いと思いました。
「彼(村上春樹)のもう一つ特異なところは、国を超えたスタイルで書くだけでなく、リアリズムの外側で書いているということです。現時点で、世界中の作家をみても、所謂リアリズムのモードの外で書いてうまくいっている作家はそれほど多くいません。(中略)リアリズムの外で、人が理解できるように書けるということは非常に稀なことです。この百年間をみても、この書き方で成功している作家で思いつく作家はそれほど多くありません。フランツ・カフカとかサミュエル・ベケットとか、ガルシア=マルケスとか。本当に稀有なことですよ。」
「わたしを離さないで」は映画にもなっているようです。本当は連休中に観てみたかったのですが、レンタルでは見つかりませんでした。そのかわり、「日の名残り」のほうを借りてきました。アンソニー・ホプキンスは「羊たちの沈黙」以来とても好きな俳優なので、楽しみです。