今日も花曇り

今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

数学は、ものすごく不思議な学問だと感じます。

その理由をうまく説明するのは、自分でも難しいのですが・・・。

 

そもそも、「数」は現実に存在するものなのか、人間の思考の中だけにあるものなのか、どうもわからない。

 

例えば、それを特に感じるのが、整数です。

 

小川洋子さんの『博士の愛した数式』では、友愛数や完全数などの、特別な性質をもった整数のことが語られます。

こうした数は、たくさんあるそうです。

なじみ深い偶数、奇数、素数というものもあるし、他にも社交数、フィボナッチ数、ラマヌジャン数、その他たくさん。

 

でもここが不思議なのですが、数なんて、数直線のうえのどこか、というだけで無個性の気がするのに、数ごとに様々な個性や性質があるのはどうしてなのか。

 

言い方を変えると、現実の宇宙では、例えば宇宙に存在する星の数がメルセンヌ素数(2のべき乗より1少ない形で表される素数)だろうが、それより1多いだけの平凡な偶数だろうが、変わりはないと思います。

 

素数といえば、それ自体が不思議。

これまで発見された素数で最大のものは

2の2136279841乗−1で、41,024,320 桁もあるそうです。

そんな巨大な数なら、その約数なんて数えきれないくらいありそうなのに、1とその数自身以外の数では割り切れる数がないなんて、そんなことあり得る?

なんでそんなことが起こるのか?

すごく不思議です。

 

もちろん、結晶構造だったり、電子軌道に格納される電子の数など、ある整数が特別な意味をもって自然界に現れることはありますが、それは数自体の個性というより物理法則によるものだと思うので、ちょっと違う気がします。

 

もし数が、人間が勝手に作っただけの概念だとしたら、そこにいろんな法則があったり傾向があったりするのが、それはそれでまた不思議。

 

整数ではないけれど、不思議さの代表としていつも思い浮かべるのが、マンデルブロ集合

 

 

人間が書いたシンプルな数式が、こんなに複雑で不思議な図形を生むなんて。

数式自体は人間が書いたものだとしても、この複雑さは人間の創造による造形ではないので、マンデルブロ集合は、目には見えないけれど、宇宙自体に最初から含まれていたとしか言えないように思うのです。

 

私は数学があまりできないので、数学や物理の奥深さを本当には味わうことができないのが、とても残念です。

 

昔、たまたまテレビをつけたらこの作品が流れていました。

調べたところ最初のテレビ放映が2007年とのことなので、そのころでしょうか。

 

 

途中から、というより、いま思えば最終盤(真琴が踏切の坂道で転倒するあたり)だったのですが、キャラクターの動き、思い切りのよく気持ちのよい感情表現に、「ついに宮崎、高畑の後継者が現れた!」と嬉しい驚きに打たれたのを覚えています。

 

監督の細田守氏は、その後も話題作を作り続けていますが、最近公開された『果てしなきスカーレット』は物議をかもしているそうです。

そちらはまだ観ていないのでコメントできないのですが、『果てしなきスカーレット』のニュースがきっかけで、改めてちゃんと『時をかける少女』を観てみました。

 

そうしたらもう・・・

改めて打ちのめされるような名作でした。

こんなにいい映画だったのか?

『スカイ・クロラ』のときもですが、いったい前はどこを観ていたのかと自分にあきれます。

 

たぶん、この映画が好きな人にとってはもう語り尽くされたはずの、千昭との別れの場面、真琴の「うん、すぐ行く。走って行く」の台詞に、年甲斐もなく涙が抑えられませんでした。

もう二度と会えないのに、本当の別れなのに、それでも死別とは違う、無限に未来の開かれた若者だからこその別れが、これほど見事に描かれるとは・・・。

 

私は昔から青春ものが苦手で、だいたい「下らん、見ちゃおれん!」となってしまいます。自分が若い頃からそうなのです。

でもこの映画は違いました。

嬉しいことも悲しいこともその時だけの輝きを持っていて、確かに生きているうちの特別な季節なのだと、この映画では素直に感じられました。

 

日本の映画史に残る青春映画の傑作だと思います。

 

真琴役の仲里依紗も、本当に真琴が生きているような明るく自然な演技で、この映画の成功の大きな部分を担っていました。

脚本も演出もよいところだらけで、書いたらきりがない。

タイムリープものとして論理の穴をつつき出せばいろいろありますが、そんなのどうでもよいくらい素晴らしい。

 

細田監督は、こんなにすごい映画作家ならばずっと応援したいですが、私がその後観た『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』、『竜とそばかすの姫』について言えば、作品として『時かけ』には及ばないと感じてしまいます。

「昔の方がよかった」と言われるのは作家としてつらいことだと思いますが、映画は多くの人の共同作業がないと作れないので、自分がやりたいことをやればよいというわけにもいかず、本当に難しい形式だと思います。

 

『果てしなきスカーレット』も観に行くつもりではありますが、どうか今後もいい作品を作り続けてほしいと思います。

 

私が好きなフィンランドの大作曲家、シベリウスの作品です。



大学時代はこの作曲家にかなりのめり込んで、オーケストラの総譜(スコア)を見ながら理想の演奏を求めてたくさんCDを聴き、国内で出版されているシベリウスに関する本はほとんど読んでしまったくらいでした。


社会人になってからは室内楽や器楽の方が好きになり、オーケストラ作家であるシベリウスからは少し離れてしまったのですが・・・。


この作品はシベリウスの比較的初期の男声合唱曲を弦楽(+α)アンサンブルのために編曲したものだそうです。

私はもっぱら弦楽版を聴いています。


シベリウスには他にも静かな曲は多いのですが、この作品は降り積もる雪の中で迷ってしまったような、他の作品にはあまりない、密やかで独特な雰囲気を持っています。


シベリウスは、一曲だけある弦楽四重奏や、交響曲第7番の弦楽パート、祝祭アンダンテ(アンダンテ・フェスディーヴォ)など、弦楽器のために書かれた音楽で好きなものが多いです。


学生オーケストラでの活動に明け暮れていた大学時代を懐かしく思い出します。