知人に薦められて読みました。
正直、自分は苦手な部類の本でした。
でも、Amazonなどのレビューは絶賛ばかりなので、こうした本を求める人は多いのだなと思いました。
2023年の本屋大賞ノミネート作品ということです。
本屋さんはこういう本が売りたいのか?と驚くとともに、残念にも思いました。
以前に読んでやはりがっかりした、窪美澄の『タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース』という本と似た手触りを感じました(こちらの方が多少シリアスではありましたが・・・)。
5つの短編の連作になっているのですが、短編は短いぶん、テーマの掘り下げは難しい。
半面、長編にはなりにくい素材、ある印象的な一場面や、はっとする認識の変化などを鋭く切り取ることができます。
この作品は、そもそも人間を掘り下げて描くことを放棄しているうえ、さらに短編なので、人間の描き方が通り一辺倒で、浅いです。
みんな、真面目でいい人で優しい人ばかり。
登場人物は著者のキャラ設定の枠内でしか行動せず、平凡なアニメのキャラクターのようです。
登場人物の直面する問題は、どれも現実には過酷で残酷なものになるえる状況ですが、本人が他人とのつながりに気づくことで、あたかも現実の問題も解決へ向かうかのような雰囲気で終わってしまいます。
各短編の展開も似たり寄ったりです。
自分が直面する現実の困難があり、それに関連する身近な人との関係のこじれがありますが、実はその人が自分のことを思ってくれていたことがわかり、関係修復と現実の困難に向き合う勇気を得る、のような展開です。
5つの短編は、あるボッドキャストの番組のリスナーとしてゆるく関連しており、各短編の中でも意外な形で相互に登場するため、コラボ作品のような楽しさがあります(それが意図されています)。
また、鍵となるポッドキャストの配信者が誰なのかが一種のミステリ要素のようになっており、それが意外な意外な人物であることが最後に明かされることで、いわゆる「伏線回収」される作りになっています。
ただ、思うのですが、ただでさえ薄い内容なのに、そうしたおまけミステリ要素の展開にスペースを割いていることで、ますます内容が薄くなり、中途半端になっていると思います。
本格ミステリのように、「そうだったのか!」とまでの快感があるわけではないし・・・。
では、小説としての筋や構造に問題があるとしても、個々の表現がどうかといえば、もちろんプロなのでうまいとは思いますが、自分の認識を押し広げてくれるような表現があるわけではありません。
でも、こうした本が売れるのはわかります。
何かを突き付けられるわけではなく、読むのに自分が歩み寄る労力も要せず、ほんのり温かい気持ちになって「自分もがんばろう」と思える。
疲れている私達にはぴったりです。
心のリラクゼーションマッサージのような小説です。
そして、涙を流してすっきり消費されてしまいます。
こうした本を、長い人生の中で読み返すことはないでしょう。
一口に「本」や「読書」といっても、本当にさまざまです。
正直、読み終わってがっかりし、腹立たしい気持ちにさえなる読書でしたが、いまどういった本が売れ、求められているのかを知ることはできました。