滝を登ろうとする魚たち | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

北海道2日目の日記を書き終わってアップしてたら全て吹き飛んだので、話を変える。


滝を登ろうとする魚(さくらの滝・北海道斜里郡清里町)。



きっと日本人なら大好きなシーンだろう。



自らは挑まないのに。



師匠「我々は流れに逆らおうとする。だから抵抗が生まれる」



幼い頃からそんな両親を見て育った俺も、

周りと合わせるどころか、周りに逆らうことを強さだと勘違いして生きてきた。

これが俺の社会での生き辛さの一つだった。

当たり前のことだけど、流れに抵抗するのだから“摩擦”が起きて多少は辛い目にあう。

俺はそれを知らなかった。

しかし、何もかも周りに同調するのもおかしいと断言できる。



俺の場合は“何もかも同調する”ではなくて、

何もかも同調しない生き方を変えた方が良いと感じる。

ちと分かりにくいが、全てのものに反発(否認)しようとしないということだ。

同調出来るものに関しては同調し、

同調出来ないものに関しては反発するのではなく、距離を置く。



本当に運命の流れというのを意識するようになって“受け入れる”ことが増えてきた(出来るようになってきた)。

自分のあれしたい、これしたいという欲と、運命の流れに境界線を持つこと。

これが大切。

どうしても出来ないことは諦めるということを受け入れること。

流れに抵抗感せず、身を任せること。