昨日は月に一度の精神科通院の日。
毎月一度の診察とカウンセリングを継続しているが、アルコール依存症というよりも虐待による複雑性PTSDや過労や鬱の治療を行っている。
この病院には被害者と自称する人が、加害者と称される人達を引き連れて沢山訪れるが、
診察室前にある待合所のイスの横にひっそりと“おせっかい”な人に向けた本が置かれているそうだ。
つまり“共依存症”に向けた本であり対人関係の依存症とも言える。
これは実に的を得た話であり、
被害者と自称する人達に、自ら加害者役を作り上げて被害者ポジションから抜け出せなくならないように、自身の問題に気付いて貰いたくて置いているのだろう。
被害者と自称している人達が立派な依存症者や不良息子(娘)を作り上げるのは日常的に見かける話である。
この場で何度も書いていることだが、依存症の配偶者、または家族を持つ人は高確率で自分自身も依存症の問題を持っていることが多い、と言うか当たり前のように存在する。
そもそも“依存症”の認知がアルコールやギャンブルに凝り固まっているから理解出来ないだろうが、
俺の身の回りには多くの自称被害者から抜け出した人達が“子供や旦那を思い通りにコントロールしたい欲求”や、異性関係(主に男依存)から抜け出せない自分の問題と向き合っている。
これには本当に頭が下がる思いだ。
しかし、こうして相手の粗探しではなく自分の問題に向き合わなくては、例え念願の離婚(本当は離れたくても離れられない)したとしても自ら次も似たような相手(依存症者やDV、モラハラ)を探す。
何故なら“自分を必要とされることを必要”としており、手のかかる相手じゃないと“わたし”が満足しないからだ。
さて、話は俺のような依存症当事者へと変わる。
先日の沖縄でも感じたことの1つに、多くの人が酒を断ってから3ヶ月ほどして再び酒に手を出す。
3ヶ月も酒を断てただけで本当に恐ろしいまでに奇跡なことだが、喜べないのは依存症もダイエットのようにリバウンドすることにある。
つまりは以前よりも飲み方が酷くなるので、中途半端な“禁酒”なら行わない方がいいかもしれない。
飲み方も酷くなるが「3ヶ月もやめたのだからいつでもやめられる」と、たった3ヶ月しか“禁酒”出来なかったくせに意味のわからない自信を持ってそれを飲む理由にする人も多い。
きっと3ヶ月も酒をやめれた自信が過信に変わるからそうなるのだろうが、
残念なことに先日、俺の関わる一人も“優先順位”の一位が断酒から国家資格取得へと変わってしまった。
この世には3ヶ月の壁や、3年の壁と言うものが存在しているらしく、確かに断酒の世界を見ていても、そして俺の生きてきた経験を話しても、その時期にある壁というのは不思議と存在する。
たった3ヶ月間、しかも周りの人に支えられて叶った断酒を自分の力だと過信し、優先順位を変えてしまっては、あっという間に飲酒が一位に返り咲く日もそう遠くないだろう。
そもそもアルコール依存症なのだから。
そんなピヨピヨ達にベテランは「お前は酒をやめていたのではなく、止まっていただけ」と言うし、確かに断酒3年程度なら断酒というより勢いによって飲まずに済んでいただけなのかもしれない。
だから国家資格取得(優先順位の変更)など、せめて断酒を1~3年くらいしてからほざいて欲しいものだ。
あと、依存症なだけに高確率で男女間の問題を作る人もいるが(恋愛を始める)、そもそも自分のことすら出来ない人間が寂しさを埋めようと恋人を持つなど早すぎるのだ。
「国家資格取得の勉強によって2ヶ月間来れなくなる」と言った彼は(と言っても10歳上)、更に俺にこう言った。
「今日は一番最初に話をさせて下さい」
その理由は考えるまでも無く、一番最初に自分が話して人の話を聞くこと無く足早に帰りたいからだろう。
90分~120分間も人の話を聞き自分の話をする場を、開始早々に自分が話してあとはサヨナラしたいのだ。
その場に座り続け、人の話に耳を傾けることに意味があるのに!!!!!!!
これは依存症の世界では、まぁまぁ見かける“パターン”であるが、
これを“コントロール”と言い、上に書いた例えば子供や旦那を思い通りにコントロールしたい欲求と何ら変わらず、
勿論、行く末はアルコールへと辿り着くことになる。
一方通行、独りよがり、自分本位という言葉が実にお似合いだし、アルコール依存症という病名がピタリと当てはまる。
アルコール依存症でとても大切にされている基礎は“無力を認める”ことであり、それは断酒会
だろうがAAだろうが必ず一番最初に読み合わせることだ。
人生すら色々コントロールしたくなれば当然、アルコールを飲むか、断つかすらコントロールしたくなり、「少しなら…」と量すらコントロールが始まり、いずれは止まらない渇望がやってくるのだ。
あくまでも“飲酒する”というのは依存症の症状の一つに過ぎないことに気を付けて欲しいと思う。
各依存症の通う病院は“精神科”であり、我々は精神的に未熟であったり、歪みを持っているのだ。
だから酒やギャンブルを乱用するのだ。
そこを正しく理解せずに表面ばかりを見て飲酒を無理やりやめようとしたところで本質は何も変わらない。
これは自称被害者さんたちにも言えることであり、あなた達が飲酒しようがしないだろうが、それは症状の一つなだけであるから、
あなた達も自分の“精神科”に気付かなくてはならないのだ。
いつまでも被害者面していると、いつまでたっても自分の問題に薄々気付きながらも誰かに八つ当たりしながら(粗探し)逃げ続けないといけない。
つまりあなたは被害者なのでなく、あなたが加害者だと思い込んでいる人の加害者なのだ。
あくまでも“依存症は家族ぐるみの病気”であり、ここを都合良く被害者、加害者と誤った認識をしたいだろうが、お互いで作り上げている“現実”なのだ。
本当の加害者(根元)は主に母親や妻であることが本当に多い。
それはあなた達が一番よく知っていることで、女性という生き物が自分の責任を素直に受け入れることがあるだろうか?
いつも誰か(主に旦那)の責任にしている生き物では無いだろうか?ということである。
少なくとも俺はベテラン女性看護師に「女が自ら自分の非を認めることはない」と教えられた。
さぁ、今日は専門病院で行われる“自称被害者の会”に回復者として、そしてとある組織の長として出ないといけない。
このブログと同じく、また理解されないキツいことを言うよ。
一時Amebaブログでも大量発生した“◯屋”と称するような自分に心地都合良い言葉を吐く人間(ブログ)ではありません。
例 アルコール依存症者であった旦那が念願の断酒をした途端に、妻に鬱症状や見捨てられ感、酷い人になると全身の震えなど症状が表れる。そして「旦那と私はシーソー」と語り出す(つまり旦那が良くなれば私が悪くなり、旦那が悪くなれば私の調子が良くなる)。
例 旦那(妻)が自分に振り向いてくれない(仕事依存症などで家庭や教育に無関心)と、その寂しさから矛先を子供に向けて教育ママになる。考えてみたら簡単なことだが、子供に配偶者の役割を求めるわけだからこれは立派な精神的近親相姦となり、必ず子供は病み、将来的には精神疾患が発症する(優しい暴力等々)。
この精神的な母親から受けるレイプは、暴力と同じく目に見えないことなので非常に分かり辛いが、かなり多く目にすることがある。
目に見える暴力、
目に見えない暴力(過干渉や教育虐待)、
父親からの性的虐待(多いですよ)、
母親からの精神的レイプ(非常に多いですよ)。
特に女性は特有の関係依存を持つので、相手(特に子供)との距離感には注意して下さいね。
子供はあなたの所有物じゃないですよ。
ましてやあなたの人生のやり直し(例えば幸せな家庭を作りたかった願望や、学歴コンプレックス)をさせる道具じゃないですからね。
自分のことは自分へ。
夫婦間のことは夫婦間で。
子供に向けないで下さい。
自分で挑戦して下さいよ。