子供返りと自称被害者について考えさせられた | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

某保健所の一室で依存症者の援助職数名と向き合った俺は「僕からどんな話が聞きたいですか?」と、依存症者の支援に困る市の職員に訊ねた。


通常ならば俺の生い立ちから飲酒時代、そして断酒後を話すのが主流なのだが、


俺は援助職の人達に向けてそれは意味がないと思っており、出来るだけ向こうの聞きたいことに添って経験を話すようにしている。


仮に俺が自分の生い立ちから飲酒についてを話したところで援助職の人達の持つクライエント達の境遇とマッチしない限り参考になることはないし、そもそも1、2回程度で、いや、1年程度で理解できる話ではないのだ。


だから一番最初に話を振られた俺は逆に訊ねることにしたのだ。


援助職の人達が今抱える問題飲酒者の置かれた状況を話し出したかと思うと、10秒程で俺の確信を付く話が始まった。


援助職「親が厳しい家庭に育って、虐待の辛さを話しながら今も飲み続けていて…、奥さんも『それが可哀想』と言いながら世話を続けている」


俺は「そうなんです。皆さんは“アルコールを飲む動作”ばかりを見てしまう傾向が強いのですが、その背景に虐待経験者が多くPTSD(正しくはC-PTSD)が根っ子にある場合が多いのですよ」と答えた。


俺が人生を掛けて行うことの1つが、援助職も依存症者家族も、依存症者も、アルコールから目を離して貰い、その背景を見る目を持ってもらうことである。


そして「実は僕も…」と自身の虐待経験を話し、「親のようにはならないと思っていたのにそうなってしまう病気。その方は12年前の僕と一緒で境遇も似すぎている」と伝えた。


驚くのは、その依存症者の年齢は69歳という高齢者である。


その年齢になってもまだまだまだ、


まだまだまだ、


まだまだまだ、


虐待の嘆きというのは治まることが無いのだ。


C-PTSDという病気としても、人間の認知機能の低下や、加齢による退行(子供返り)にしても、


虐待の記憶に蓋をしたい気持ちも、そうする無意識レベルの本能も解るが、親から受けた虐待の記憶の蓋は高齢になる前に開いて向きあった方が良いのでは無いかと思う。


俺は23歳の時に、自分が虐待を受けた記憶の始まる年齢(3歳)に成長した長男に愛情を感じたことにより、強引に封印していた記憶の蓋が開かれた。


C-PTSDが親父が亡くなって8年過ぎてから発症してしまったのだ。


その結果、大量に服薬や飲酒を繰り返したし、逮捕によって留置も、精神病院送りや離婚にも至ったが、今思えばあの時、蓋を開けていて良かったと思っている。


あのまま蓋をしていたとしたら、自覚の無いまま周りの人に迷惑をかけ続けていただろうし、当然酒も薬もタバコもギャンブルもやめることは無かった。


そして、この老人の様に親から受けた虐待の記憶をアルコールで癒し、あの頃助けてくれなかった母の役目を配偶者や子供に向けて退行していたことだろう。


勿論、そうなることによって子供は自分の人生を生きること無く共依存症となって、俺は負の世代間連鎖を起こしてしまう。




親という人間関係の基礎となる絶対的な存在とのミスにより、


人を信じることが出来ない人生、


人を頼ることが出来ない人生というのを今風に表現すれば、


“超ハードモードの人生”と言うのだろうか?


ただただ“社会”という言葉の重みを痛感する。


親という絶対的な信頼関係を結ぶはずの相手と人間関係の基礎のミスから人生が始まってしまった人が、人間に対して信頼を取り戻すことは困難である。


その時も話題に上がったが、確かに依存症者には優秀な人が多い(勿論俺はその枠外だ)。


幼い頃から親の期待を背負って自分一人で生きてきた訳だから当然であり、その努力の量は半端ではない。


俺も単純に考えて、毎日のように、しかも1日数回に分けて受けていた虐待や拷問の惨劇の後は、自分で自分の気持ちに折り合いをつけるしか無かった。


想像してみて欲しい。


幼稚園や小学生といった小さな子供が、親から殴られた後に一人、親や大人からも保護されること無く畳の上で倒れていたり、座って泣いているのだ。


今でも俺の心のなかにはそうしている俺が存在しているが、


あの時、俺は自分をどうやっ慰めて気持ちの整理していたのか未だに思い出せないから当然のように解消されておらず(蓋)、今でもあの時の俺が畳の部屋で一人放心状態となって心の中に存在しているのだ。


きっと“感じないように”無かったことにしていたのだろうから、俺は今でもその頃習得した“解離”によって記憶が飛ぶ瞬間もある。


(↑解離と虐待、各依存症の関係性など少し書いてます)


ここまで話を聞けば可哀想とか、幼い頃から自分のメンタルの折り合いすら付けてきたことに凄いと感じるかもしれないが、


俺が伝えたいのは、確かにアダルトチルドレンや依存症者には優秀な人が多いが、


上の文章を読めば解る通り、全てが自己完結である場合が多く、“社会”でとても必要となる“協調性”は大きく欠けている。


幼い頃から親や周囲の目を気にして生きており、今でも自分軸ではなく他人軸で生きることは大変苦しいもので、


「私、凄く他人の目を気にして繊細なの」とか言い出す馬鹿も多いが、


実は、一人相談もせず何もかも自分で決めて動く自己中なのだ。


人の目を気にすることとか、他人軸に生きることを考えてみれば結局“自分が他人にどう思われるか”ばかりに囚われている超自己愛の超自己中なのだ。


この世は、他人はお前に興味はないし、俺もお前に興味は無いのだ。


なのに、超過剰に他人の目を気にするナルシスト。


少し話が逸れるかもしれないが以前“部屋とYシャツと私”という愚かな歌について皮肉を書いたことがあった。


あの中にも、とても沢山の“あなたの為”を歌った正当化が含まれているが、


他人から良く見られたい自分を棚に挙げて、“あなたの為に綺麗でいたい”と言っているのだ。


結局、自分を見ていても、多くの依存症者…、いや、健常者とか“普通”を自称する人達を見ていても、


自己への強い執着によって随分と歪んでおり、他人に迷惑をかけているなぁと感じている。


ところが他人からすると、お前のプライドとか何の価値も無くて、むしろ害しかないという落ち。


だから、本当に人間って悲しいなぁと感じている。



冒頭の69歳や俺は確かに酷い幼少期体験によって人生が酷く歪んでしまった。


しかし、だからと言ってその経験から学ばずに超自己中の自己愛さんというこの上ない気持ち悪い存在となってしまっては、


やはり“親のようになりたくないと思っていたのに、親のようになってしまった”だけの人間であり、


自称“被害者”でありながら加害者として人生を生きることとなるのだ。


我ながら自分が気持ち悪い。