俺とバイク(親父への思い) | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

中学1年生までリーダーとして生きていた俺は、その頃経験したイジメと相変わらず続く父からの暴力に耐えられず酷い非行に走った。


中学生と非行と言えば勿論憧れとなるのが暴走族であり、その頃から俺のバイクに対する思いは始まった。


本当に反省すべきことだが、とても沢山のバイクを盗み夜の街を走り回った。


そのツケは後に払うことになる(今がその答え)。




今でこそバイクと依存症者の相性の良さも『なるほど』と感じるが、本当にバイクは俺にとって特別な存在だった。


当時アルコールは殆んど飲んでいなかったが“刺激(スリル)”を求めるという点を考えても俺は既に依存症者だった。


高校へ進学せず社会に出た俺は16歳となりバイクの免許が取れる年齢となったが、とある理由により俺はバイクの免許取得と距離を置かれた。


その理由はその時、俺の非行問題や父のアルコール問題で関わっていた霊能力者と言われる人からの忠告である。


幼い頃から色んな占いなどで俺には交通事故の危険性が指摘されており、確かに今まで6度の交通事故を経験している。


全てが跳ねられたり、ぶつかられたもので内4回はバイクでの事故で、知る人は俺を“不死身の人”やスタントマンと呼ぶ。


バイクに乗りたくて堪らない俺は霊能者の占いに関して真剣に悩んだ。


そしてバイクに対する考え方を見直して、やっと免許を取れる許可がおりたのだった。


その作業にとても尽力してくれたのが父であった。


(1stバイクはフルメッキのドラッグスター400限定車)

ところが、俺が免許を取得してお気に入りの新車を買った途端に、癌で入退院を繰り返していた父の容体が悪くなり、


遂には父にバイク(に乗っている俺)の姿を見せるのは叶わなかった。


ここから解るように、父とは色々あったが俺は父のことが好きだった。


いや、正しくはアダルトチルドレンである俺は“愛と哀れみ”を混同しており、父をずっと心配して生きていたのだ。


何れにしても俺にとってあんなに恐ろしく虐待者であった父だが、亡くなる前の数年間は関係の修復が叶っており、とても大切な人だった。


だから父が亡くなった時は本当に悲しかった。


バイクの免許取得にとても尽力してくれた父だから、俺はバイクを父の形見としてとても大切に管理して乗っていた。




今、これを書きながら『なるほど…、人生は不思議だ…』気付かされたことを以下に書くことになるが、


そのバイクを手離す時が来たのは元妻の妊娠が分かり、長男が誕生することが理由だった。


そして、その長男誕生に待っていたのが俺の人生の崩壊であった。


我が子を見て自分が隠し持っていた虐待の記憶の解放が行われ、俺は父を酷く憎むようになる。


大切だった父への思いが裏返った訳だから反動は大きかった。


そして、今は亡き父への怒りを母にぶつけるようになり、


俺の心は“怒りや恨み”という自分から作り出した負の感情により我が身を滅ぼすことになった。




俺は人それぞれ器というものが存在すると思っている。


あればあるだけ持てるのが人だとは思わないが、多少は努力や怠惰によって器の大きさは変わるようだ。


だから器から溢れるように“得れば失うし、失えば得る”という経験を幾つもしてきた。


例えば俺には500万円の器しかないとすれば、30万円使えば30万円補充されるし、


100万円増えて600万円になったと思ったら家電が壊れだしたりトラブルにより消えていく。


人間関係にも同じように器があるようだ。


俺は16歳で父を失ってすぐに元妻と出会い、


元妻を失って、すぐに人生の師匠とであった。


人生の師匠と生き別れてすぐにビーニャさんと出会い、今を生きている。


思えば、


あの時買ったバイクも俺にとってそういう存在だったのだろう。


バイクと引き替えに長男が来てくれて、


それと同時に俺は虐待によるC-PTSDを発病して、この依存症やPTSDから多くのことを教えて貰い、多くの経験をさせて貰えた。


バイクと引き替えだった長男を失い、依存症の病名を手にして、健康なまま生きてたら知ることのなかった数々を知り、


病気から回復すると共に形を変えて



このバイクが今、俺と共にある。




1つ皆に言いたいことがある。


たまに“全てを失った”とか“ドン底からの回復”という文字を見かけるが、俺は自分より落ちた人間を見たことがない。


日々、精神科や依存症の世界に係わっている俺が見たことないのだ。


そんな俺が『全てを失った』と感じた時でも命と免許とスクーターは残っていた。


精神病院に入院中に離婚して家族も失い、家も解約され、金も1万円無かったと思うほど失ったが、それでも残ったものがある。


“ドン底”とか“全てと思えるほど失う”ことはそんなに甘い事ではないし、そうそう起きることでは無い。


それに俺はこれを幸運だと思っている。


まるで自分の這い上がりを快進撃のように感動として伝えようとする人が多いが、


そうなったのはあくまでも自分の行動の結果であり、這い上がるのもまた自分の行動の結果。


では何故こんなにも“ドン底と思われる状態から這い上がった人”に対して皆が感動するのかと言えば、


自分がそれを行える、またはそれに耐えられる自信が無いのだろうと思う。


答えは“耐えられる”のだが、


皆が見落としている凄く大切なことの1つに、


ドン底に落ちた時に、


既に自分が新たに大きなチャンスを手にしていることに気付けるかというのがある。


先に述べたように得れば失うし、失えば得るのがこの世の摂理だ。


ただただ“ドン底だ”と自己憐憫に陥ったり、慌てふためくのではなく、そんな時こそ冷静に自分や周囲を俯瞰して見る必要があり、


それを可能とするために多くの本を読んで“備える”ことが必要となるのだ。


これから幾つものアクシデントがあなたを襲うだろう。


まず、大切な人の死には直面する事になると思う。


“死”に対しての知識を積むことは実に有効だと思うし、日本人が食わず嫌いにしている宗教観や哲学を学んで見るのも良いと思う。


きっと多くの人は変化することを恐れるあまりに行動は起こさないだろうけど、


敢えて自分から手離してみるというのも実に有効な手段だと思う。


失えば得るのだ。


それに自分が気付けるのかが問題なのだ。



さて本日、俺は更に個人的な収入から遠ざかり奉仕の量が増えることになりそうです。


今まで市の代表者であり、市の行政の理事でありましたが、県の副理事長への打診が昨晩ありました。


年齢(42歳)的に早すぎると返事をしましたが、俺と現職達の年齢差が20歳~40歳あり、その間が存在しません。


その事は重々承知しており、既に未来を見ている自分からしても早くに手を打つべきとは理解しています。


こうして俺は人一倍背負わないといけないことがあるようですが、俺は周りがどう思おうが俺が感じていることと周りからの評価に大きくズレが存在しています。


果たしてこの話は、


得るのか、それとも失うのか。


表裏一体なのでそのどちらもなのでしょう。


34歳からこうした役職にたずさわっておりますお陰で随分と叩き上げられ強くなりましたので、


今日は一言20歳も40歳も歳上の人達へ向けて、


「あなた達が俺の年齢(34~42歳)だった頃を思い出して、その役職が出来ると思うなら引き受けます」と言ってあげましょう。


皆、それが出来なかったからアルコールに助けられ、人生がどうにもならなくなっていた。


そんな年齢で俺は自分の低所得を棚に上げ、県民に奉仕ですか。


と言うか県の副理事長と言うことは九州ブロックという話ですよ。


俺も一般人のように毎月20万円を稼げる普通の生活が送りたかった。




余談


“霊能者”の話題ついでなので少し触れてみます。


俺は木村藤子さんという透視能力者に人生を救われた一人で、今でも彼女のメルマガが唯一のサブスクとなっております。


しかし“霊能者”とは実に馬鹿らしく詐欺師が殆んどだと思っております。


俺は霊を信じておりますし、神も信じております。


しかし、それが自分の人生に大きな影響を与えると思っていませんし、後に精神科に2度入院するほど病んでいた頃は見たり感じていた幽霊も、


自分の人生をしっかりと見つめて生きるようになってから、全く見なくなったし、感じなくなりました。


これだけ野宿や車中泊、ホテルに行っていて陸軍墓地で寝ようが海で寝ようが全く見ないのです。


俺が成人する以前の日本はまだまだ“先祖の祟り”などという愚かな他責思考が蔓延しており、先祖すらその標的にされておりました。


しかし、結局は自分なのです。


先祖の祟りの真実は“世代間連鎖(伝播)”であり、それに気付いて自分で自分を治して(直して)いくこと。


それが先祖の残してくれた成長へのヒントなのでしょう。


神仏も霊も自分の人生を左右するほどの存在ではありませんし、そこを蟻が歩いているような自然なものです。


が、“霊能者”と自称する人達には御注意を。


占いも同じく、どちらも本質を見れば無責任な詐欺であります。


ただし、その人達のアドバイスを真に受けず1つの意見として自分で取捨選択し、1つの参考として知識に入れ込むことはとても有効な事なので、


あくまでも遊びの一貫としてどうぞ。