棄て犬についてと、保護犬を飼うということ | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ



姉が慌てて見せてきたスマホの画面。


姉「クウだよ!」



そりゃ、雑種も大体の外見は決まってるから似ている犬は居るのだろうけど、

その年齢、

その保護されたエリア、

推定年齢、

人馴れした性格、

どれを見てもクウと類似した情報ばかり。



「クウの兄弟やろか?」



となれば後は想像がグルグルと回るけど、



「ひでぇよな…」



まだ迷子犬情報だから棄てられたと決めつけられないけど、

確かに飼い犬を棄てる人種はとても多いし、

動画にも残ってるけど、地域のゴミ回収のように“不要になったペット”を回収する場や、収集車もあって(今は無いと信じたい)、


そこに棄てに来る“元飼い主”の発言と言ったら「処分してください」とか、命を何だと思ってるんだという人間性の腐った奴らに驚く。

とは言え、数年前から問題となっている徳島県南部の棄て犬問題も、

使えなくなった猟犬”の“維持費”や面倒を見れないからと、

確かに犬を生活の道具として捉えている人が居るのも事実で、それを否定できないことも知った。

例えば、猟犬と言えば地域の害獣駆除により助けられている農家も多いもので、猟犬を世話している人に負担が掛かっているのも事実のようだ。

恩恵を受けている地域で“使えなくなった猟犬”を最後まで見届ければいいのだけど、誰もが犬に対して肯定的な気持ちを持つのは難しい。

クウに関しても、クウを見た人の8割は「猟犬?」と聞いてくる。

我が家に来た時点で“お座り”を覚えていたことを考えると棄てられた可能性は否定できないだろう。

恐らく写真の子と兄弟でクウは選別から外れ、この子もまた今になって外れたのだろうか?

許せない気持ちの反面、クウに会わせてくれた事に感謝すら感じるが、

それにしても我が家はカイもクウも愛護センターから引き取ってきたが、それ以来ずっとこの子達の生い立ちに心を痛める日も多い。

いったい何処で生まれ、育ち、どんな生活を送っていたのだろうか?と…。

そして、前の飼い主とどんな別れ方をして、その後の“野生”生活はどんな過酷なものだったのだろう?

あと一匹なら引き取りたいと考えているので定期的に保護犬情報には目を通しているが、

写真の子もそうだけど酷く痩せて、その腹部を見るだけでも心がけ痛くなる。

我が家にくれば食べるものには苦労しないのに…。

俺は毎晩クウを抱き締めながら寝るが、『長生きしてよ!』と、既にこの子達との別れが怖くて堪らない。

こんなにも人間に近い生き物なのに寿命が余りにも短すぎる。

それまではいっぱいご飯を食べて、色んな所に行こうな。














カイも子犬の時はこんな感じやったんやろかね。

何より、人間が絶滅することが一番の平和だと思う。