この前、中途半端に書いていた日記です。
たまたま2連休だったビーニャさんと、俺の春分の日の休みが重なったので、火曜日の仕事を終えて福岡まで車中泊の旅をしてきました。
四国に移住を決意しながらも、幾つか探した物件が都合よく見つかるはずもなく、
その間だけでも今一度九州の良さを探してみようという試みにチャレンジしておりますが、微妙なところです。
どんなに頑張っても俺にとって九州は良い思い出どころか辛い思い出に埋め尽くされた地獄の土地。
習い事に埋めつくされた試合の日々と、その会場内で大勢の目の前で行われる暴力と罵倒、行き帰りの道中で突然棄てられる九州各地の思い出。
とは言え、車中泊にポッと気軽に低コストの旅が出来る環境を活かして残りの人生は遊びましょう。
勿論、今回も可能な限り高速道路を使わない節約の旅です。
目指す福岡城まで我が家からちょうど300km。
歩いてたった10日の距離ですが、若いあの頃とは違って下道で走るには久留米を過ぎた辺りからの交通量にほとほと疲れ果ててしまいました。
その日は福岡県の南部にある朝倉郡の“道の駅筑前みなみの里”で車中泊となりましたが、その手前で入った温泉“卑弥呼ロマンの湯”はとてもお気に入りの温泉になりました。
とても広々とした良い環境の道の駅でしたが、翌朝5時頃エンジン音に目が覚めてみると、
あー、そうですか。
こんなに広々とした駐車場で選べるほど空いてるスペースも御座いますのに、わざわざ“トナラー”さんがいつの間にか来られて、しかも暖房(エンジン)をつけてお眠りになられてたのですか。
御丁寧にマフラーも改造されて。
ビーニャさんの話によると0時頃来られてずっとエンジンかけっぱなしだったようです。
“挨拶は人間としての基本”らしいので俺もしっかりと大きな声で、
「こんなに空いてる駐車場でワザワザ隅っこに入って来てアイドリングしているコイツは馬鹿なんだろうな」
と挨拶をしました。
相手に聞こえたのか、自分だけ快適にお眠りされていたのか解りませんが返事もありませんし、周囲や環境や車にもダメージを与えるアイドリングが止むことはありませんでした。
勿論、車中泊という行為なので自分の思いどおりになるはずも無いのは理解してますが、一応マナーと言うものがあると聞いています。
それ以前に“駐車中のアイドリング”は車中泊でなくても御断りのはずです。
俺がなぜ隣に1台分スペースを空けるかの理由は幾つかあります。
シェード等で目隠しをするため、ドアを空ける時周りの環境が分かりにくいから。
犬や自分達が出入りする時に周りの車を傷付け無いため。
また、スペースを持つ反対側の近くにも車が止まって欲しくないからの3つです。
3つ目に関しては、今回の人のように賭けなんですよね。
どんな人が近くに来るか分からないので、その為の保険です。
長年、色んな形の旅を続けてきて感じるのは、旅先でトラブルを起こす人の殆んどが準備不足という単純な理由です。
この中でも『愚かだな』と感じるのは、節約の意味でも行うことの多い車中泊の装備すら節約すると言うことです。
今回の人のように、保温、防音や目隠しも兼ねたシェードやカーテンもせず、タオルケットを雑に車内にぶら下げていたり、
恐らく寝袋も持ってないか、安物だとすれば、それはそれは大して寒くない本日であっても“アイドリング”が必要になるでしょう。
人間は無能で弱い生き物だから装備や道具を賢く使わないといけないのですが、その装備や道具すらケチるほど無能であってはどうしようもありません。
因みにこの日は寝袋を上に羽織る程度で充分な寒さだったので、アイドリングの必要は何処にも無かったですね。
この場を借りて、自分や周りに迷惑をかけるくらいなら装備や準備に金をかけましょうと伝えたいです。
それを勧める理由のもう1つは、装備をケチると必ず失敗体験をすることになり『もう2度とこんなことをするものか!』と、その後経験するはずだった楽しい思い出の芽を摘むことになるんですよ。
我が家は貧乏だけど(なりに)旅を沢山するため、最初の一年でmont-bellの会員ランクがゴールドとなり、翌年には最上位になるほどお金をかけました。
その後も設備投資や装備を少しずつ整えて行ってますが、お陰で本来の目標である旅を続けることは叶っております。
参考程度に、せめて寝袋だけは3万円程度で良いので出しましょう。
住む地域にもよりますが、ショップ店員から3シーズン用を勧められても冬用を買っとけば冬も使えますし、暑い時は羽織るなり、足で蹴飛ばすなり出来ます。
暑さはどうにもなりませんが、ある程度の寒さはどうにかなります。
mont-bellの#2の800とかお勧めですが、#3の800でも良いと思います(我が家は#2の800と素人の時に買った#3の650を愛用)。
勿論ダウン素材でコンパクトになるものを選んで下さい。
そもそも寝袋の凄さを知らずになめている人がそこに3万円の価値を見いだせず、そして、旅慣れしてないから安くて嵩張るという致命的な安物買いの銭失い(その後ストレス祭)となるのです。
本当に寝袋って凄いですよ。
あと念のため書き添えますが、
この世には車のナンバープレートを「個人情報だ!」とおっしゃるチンパンジー達が大勢いらっしゃいますが、1つ質問させて下さい。
これだけ個人情報の取り扱いに厳しくなった今、皆さんは個人情報を晒しながら車に乗っていらっしゃると言うことでしょうか?
もし、この日記をトナラーさんが見たり、このトナラーさんを見掛けた方がいらっしゃった場合はこのブログの存在を教えて頂くか、連絡を待ってます。
その程度のことなんです。
旅に話を戻しまして、トナラーのアイドリングにより眠ることが出来なかったビーニャさんは吐き気を伴い辛そうでしたが、
早く目が覚めたことも好機ととり、前日予定から除外した北九州市にある日本三大カルストの平尾台へ向かいました。
母がずっと「飯塚(地名)にある平尾台」と言っていたので車中泊地より近いし行こうと予定に入れていたのですが、実際は飯塚より上の北九州市でしたので遠すぎて除外としてました。
こんな感じで車中泊をした朝倉から炭坑で有名な飯塚を経由して北九州市の南にある平尾台まで約1時間半の移動となり、
その後、また1時間半ほど走って①のいつものお墓参り、その後②の志免炭坑の遺構を見て福岡城へ向かい自宅に帰る作戦です。
で、お馴染みのすき家で朝食を済ませ平尾台へ。
いやぁ、期待してなかったけど素晴らしいですね。
四国カルストには劣るけど、山口県の秋吉台よりは良い感じです。
他の2ヶ所に比べて石灰岩の圧倒的多さがポイントでしょうか?
何処の景色も写真では伝わらないものですが、少しだけトレッキングして次へ向かいました。
(風が凄すぎて音声は消したポア)
犬にも景色の凄さが伝わったのか楽しそうでしたね。
因みに石灰岩を近くでみるとザラザラしていて小石が下に落ちてました。
その後、
佛木寺とか鶴林寺と表示された篠栗八十八ヵ所を経由して、久山町にあるお墓へ。
花と線香を買いに立ち寄ったスーパーの店内放送で、
『あっ、中彼岸って言ってる…』
そう、季節に疎い俺が何故かここに呼ばれるのはそんな日が多くて、
『あっ、思ったより綺麗にしている』と10月に来た母たちの気配を感じてすぐに目に入った白い紙。
『遂にこの日が来たか…』
紙の内容は代表者の住所不定により立ち退きの通知でした。
26年前に亡くなった父が大切にしていたこのお墓に入るのは、父が30代の頃に我が子2人(従兄弟)を連れて博多湾に入った妹と、その嫁ぎ先の一家なので面識は全く無いのですが、
ずっと誰かが来ている気配も無く、相手方も恐らく高齢なのでいつかはこんな日が来るだろうと覚悟していました。
俺が生きている限りは父の代わりに大切にしたいと連絡を取ろうと試みますが、個人情報を盾に門前払いで諦めていたのです。
何とかして俺が守れないものか、父に『ごめん…』と謝りながら悲しい気持ちで事務所へと向かいました。
すると、
「あっ、回収し忘れで…、もう連絡付いてます。大丈夫です!」と。
ホッとしたのもつかの間、またこんな日が来るだろうと色々おたずねしますが、やはり“個人情報”にてNG。
前妻ともよく来ていたこのお墓。
俺も前妻も『きっと自分達の前世がここに眠る』と、俺のアルコールや処方薬問題の影をここで眠る叔母と従兄弟に見ていました。
ここに来て墓を綺麗にする度に俺は「根が深い…」と言いながら、本当に根っ子が深い草を手を怪我しながら自分の心を磨くように抜いています。
その後、綺麗になってしまった志免炭坑遺構にガッカリしたまま素通りを決意し、都市部のど真ん中にある福岡城へと向かいました。
九州一の都市部にあるお城なのでずっと来たかったけど、何年掛かって来る夢が果たせたのだろう。
黒田官兵衛や長政という有名な武将が過ごしたお城です。
1600年、関ヶ原の戦いで豊臣恩顧なのに徳川方(当時の認識は豊臣対豊臣の内部分裂)に付き勝利にかなり貢献(寝返り工作)した息子長政に対して与えられた土地ですが、
関ヶ原の裏で九州の関ヶ原とも言える父、官兵衛の思惑(※)を知らず徳川に勝利を与えた息子に与えられた何とも皮肉な土地に築いた城となります。
(※)父、黒田官兵衛は関ヶ原の戦いが長期化すると予想しており、その間に九州を制圧した後に、疲弊している関ヶ原の勝者を叩くつもりだったとか。現に官兵衛は破竹の勢いで九州各地へ進軍を始め、その最中に突然届いた余りにも早すぎる徳川方勝利の知らせに驚き、その勝利に貢献して「内府(家康)様が手を握って喜んでくれた」と自慢気に話す息子に「家康はどちらの手を握った?」と聞き、「右手です」と言う息子に「その時お前の左手は何をしていた?(つまり切り殺せ)」と怒ったとか。
そんな事を考えながら散策した福岡城の大きさに驚き反面、やはり石田三成を尊敬する俺にとっては複雑なお城となりました。
それにしても、今となっては福岡は都市部だけど52万石でこんなに大規模なお城は中々レアだと感じました。
2人して「凄いねぇ」と話しながら福岡城を後にして、少し遠回りだけど隣にある大濠公園の外周をぐるっと回って遅い昼食へと向かいました。
福岡城(舞鶴公園)よりも隣の大濠公園が有名で、こっちが福岡城とばかり思ってたけど、そんな勘違いをする人も多いと思います。
親父との思い出の“牧のうどん”の空いてる店を探しながら遅い昼食となってしまったけど、
大濠公園から牧のうどんへ向かう車内で突然「福岡城良かったね。叔父さんのお参りも出来たし」とビーニャさんが言い出して、俺は一瞬「えっ?」となります。
『そうか…』
『そう言えば◯◯おじちゃん、ここの堀に浮いてたんだったね…(俺が20代後半の時)』
『本当に根が深い…』と、再び考え込みながら、改めて自分の生まれ育った環境の複雑さを感じました。
親父の兄弟は1人を除いて皆こんな感じで、その両親どちらもとても不幸な終え方をしています。
ただ、俺は最近よく感じることがあるのです。
大好きな木村藤子さんの本にも書いてあったように、
本当の先祖供養って墓や仏壇の話ではなくて、先祖代々続く不幸の世代間連鎖(伝播)に子孫が気付き、それを正すこと、それが先祖供養である(それによって先祖も良い世界に上がれるようです)と。
俺の場合は他人よりそういう霊的な世界に敏感なようで、こうして墓参りのヒントとかもあって今の“断”生活に踏み切っているのだけど、
先祖(両親祖父母)を憎みきったあの頃とは違って今は知識によって理解も出来て、
先祖供養とか全く興味は無いのだけど、俺の“生き直し”がついでに先祖の役に立つならどうぞ勝手に、と言った感じです。
精神科で世代間連鎖を知って以来、それを断つことが俺の夢。
似たカルマを持つ親を選んで生まれてきたのは俺の決めたこと(輪廻転生)。
つまり、いつかの自分(先祖)供養だと思うのです。
長くなりましたが、久し振りの九州弾丸旅は中々濃いものとなって良かったですね。
旅費はガソリン、食事、温泉などを計算しても15,000円で済みましたし、
やっと貯めるだけではなく経験にお金を使えるステージにステップアップ出来たかな。
長文となったので、いつもなら見直す文書も今日はこのままアップしますのでいつもに増して可笑しい文章は許してちょんまげ。