この世に自分しか存在していない人との会話 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

昨日、俺は久し振りに他人に厳しく注意した。


周りの人は『怒っている』と思っていたようだが、あくまでも俺は“厳しく”であり、怒ってはいないことを先に添えておく。





依存症になるには、依存症になる原因と言うものがあり、そこに罪は無いことを俺は理解していると思う。


それは依存症に限らず全てのことにカルマ(因果応報)があり、何もなくしてそうはならないのが当たり前の話だ。


依存症に罹るには幼い頃の虐待体験や戦争など悲惨を経験(複雑性またはPTSD)が関係してくるし、発達障がいもまた非常に多く関係している。




ずっと「人は話せば解る」を信じて生きてきた俺だけど、結婚を機にそう感じれなくなり、


また管理職など人の上に立つ立場を経験したことが俺のそう言った幼稚な希望を打ち砕いた。


どんなに順序立てて話したところで理解出来る人もいれば、出来ない人もいる。


それはその人の能力と言おうか、いかに自分の中の“普通”に目を当てられる(疑える)かにかかっていると思うし、発達障がいの人にそれは無理なようだ。


申し訳無いが10年ほど前からだろうか“発達障がい”という言葉を耳にするようになり本もたくさん増えた。


その本の中でも多かったのは“発達障がいの部下を持つ上司の悩み(扱い方)”に向けたもので、俺もここ最近その事にほとほと疲れ果ててしまっている。


果たしてあの人達の頭の中はどうなっているのだろう。


どんなに話しても“この世界には自分しかいない”ように、全く他者との共感が無い。


それに自己愛性パーソナリティー障がいも加わっているのだろうか?


本当にナルシストで共感力に欠け、自分を特別な(優れた)存在として承認を求めているようにも感じる。


俺は昨日、とある会の会費を半年間未納を続け定款上の退会処分となったかなりの問題児(53歳)を厳しく注意した。


その未納期間も2ヶ月を過ぎると『大丈夫かな?』と気にかかり、3ヶ月、4ヶ月と未納が続けば額も多くなる為『そろそろ音信不通になるかな?』と考える。


そして案の定、連絡も無く姿を消すのが一般的だ。


会員から会費を受け取って理事会で会計に手渡すのが俺の1つの仕事であるし、だからと言って俺は取り立てをしたくてここに居るわけではない


あくまでも、俺も一人のアルコール依存症者であり、周りも対等な一人のアルコール依存症。


世話する者、される者の関係性は出来る限り築かない方が俺は良いと思っている。


会費未納問題は、会費を未納というよりも、そういう扱いを受ける俺自身に疲れてしまう。


調子の良い時はニコニコしてすり寄って来ていた人間が、途端に嘘を吐くようになり、まるで死体と接するかのように俺を避けて姿を見せなくなる。


その未納問題から11ヶ月経った先日「また復帰させて貰えないか?」と県の役職から連絡があったので、


俺はその場で素直に「俺はアイツを殺そうと思っている」と伝えた。


その理由は援助職をしており、そいつと関わりのある俺の配偶者を逆恨みし「退職に追い込むまで自分は諦めない」と周りに言いふらしていると耳にしたことによるもので、


うちの家計にダメージを与えようとしている人間の世話など俺がする必要もないし、俺は相手から家を守る必要があるからだ。


危害を加えてくるならば、こちらもそれに対応するまでのこと。


しかし、会の規定としては“会費の未納分を納めてから復帰させる”というルールがあるにしても、


俺自信も酷い貧困の経験者だし、何より『回復したい』と本人が思うならば、そうした人達が来る場所を俺の感情1つで奪ってはならないと、俺は組織の意思を尊重して自分の感情は横に置き復帰を認めることにした。


しかし昨日、


「先日(3日前)の会の帰りにスナックに行き烏龍茶とカラオケに3,000円払った」と堂々と語るそいつを見て、俺は悩まされた半年間の未納と、その怒りを抑え続けた11ヶ月もあるし、


無関心に他人事となって腑抜けた場となっているそこを引き締めるためにも、その場で「未納についてはどうなっているのだ?」と尋ねて見ることにした。


復帰の際、「今はお金が無くて少しも納められない」と聞いていたものが、その帰りに“冒険”と称してアルコール依存症者が飲み屋街のスナックに足を運び3,000円払ったと言うのだ。


その“冒険”が「有意義なお金の使い方だった」と言うソイツに、「俺はあんたを殺したい怒りを抑えて我慢しているが、あんたは未納分を納めると言うことが冒険するより“有意義なお金の使い方”だとは思わないか?先にすることがあるのではないか?」と訊ねたのである。


あくまでも“この場”は会費を納めた人間が来れる場であり、周りにいる人間もそうしていると言うのに、


今、目の前で会費を踏み倒した人間が堂々と「スナックに行って烏龍茶とカラオケに3,000円使った」と言っているのである。


俺だって役職も無く“一個人”として無関心に関わることが出来るならば『コイツはバカなのか?』と思って過ごすことが出来るが、立場上そうもいかない。


ところが…である。


どんなに順序だてて話したところでこの世に自分しか存在しておらず、


「未納の半年間とその後の11ヶ月の合計17ヶ月間、俺や会計に迷惑を掛けた自覚はあるのか?」と訊ねても、


「それについて、私は悪いとは思いません」と堂々と答えるのだ。


30分ほど話す時間を設けたところで全く話が進まない。


「嘘だって本当になるし、本当だって嘘になる」


と、堂々と言われる始末。


彼らの変わることの無い思考では、あくまでも俺は援助者であり、自分の世話をして当然とインプットされているのだ。


精神病院に何度も入退院を繰り返すなかでも援助職や生活保護の担当者にワガママで傲慢で無礼な態度を取り続ける問題児とされている人間を、なぜワザワザ再び引き戻したのだろう。




俺は一体何をやっているんだろう?


自分と向き合い、自分の整理をする場が、いつの間にか俺より老けた人達に振り回される場となり、


名前だけの理事や委員達は「あだちくんに任せとけば大丈夫」と都合のいい解釈で全くの無関心を決め込む。


俺は何故、この人達の世話をし、嫌な思いばかりをして、ワザワザここにいるのだろうか?




一晩明けてもモヤモヤしており、


そんな時に届いたメールが、



これが一般的に“かなり頭の良い”学校に進んだ者(中退)の書く文章であり、

「おっしゃったこと、発作を起こしている私を置き去りにして帰えられたこと覚えておきます」

と言う、明らかな意図が込められたメールまでを仕事中に受け付けないといけない自分に疑問ばかりが浮かんでしまう。

俺にとって“回復の場”とは一体何なのだろう?

俺は何をやっているのだ?


自分より随分と歳上の子供の世話…。

まぁ、確かに昨晩こちらのことを一切考えず自分の事しかないコイツにバカだの、アホだの言いましたが、筋道に沿った話をしたまでです。

「自分は溜め込む方なので」と言うから、

「なら、この場で言えよ。それを練習する場だろうが」と返事する。

本当に俺も、あなたも何をしに来てるの?

それに「溜め込む方」を変換すると“俺に対して不満があります”と言うことだろう。

言えよ。

言えない自分を正当化せず、そうした自分から生まれ変わる場だろうが。

徹底的に自分の弱さ、汚さに向き合った俺に薄っぺらい嘘は通じない。

その様子を横で見ていた“とある人”もまるで俺に怒られている時の自分を見ているようで、

嘘と言い訳や正当化、否認に塗り固められたその時の自分を知ることが出来たようです。

残念なのは無関心に一言もなく帰っていった“副”の立場の存在でしょうか。

無関心、他人事…。



ここはあくまでも“精神科”。

師匠曰く“鍵のかかる部屋にいた人の集まり”であり、俺もその一人(俺の場合は精神病院に加えて牢屋も)。



本当にね、

俺も、

あなたも、

くだらんのよ。

俺も、

あなたも、

そこの道端で蛋白質の分解が進んでいようが、周りの人間は無関心なのよ。

俺も、

あなたも、

可能性を秘めた素晴らしい存在の素質は持っているけど、

それは多くの他者から何の価値も無いと興味も持たれないのよ。

そんな自分への執着など早く捨てな。

良いことしようが、

そこでの垂れ死のうが、所詮、人は人。

他人の拘りなど、他人からしたら害しかない。

それでも良い行いを自分がしたいならすれば良いし、悪い行いをしないならすればいい。

控えめに言って、

凄く荒れたい気分。