育った場所 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ



都城に引っ越さず、えびのに居たらどんな人生を歩んだのだろう?と、今まで何百回考えただろう。

きっと自分の人生を否認していたのだと思うけど、今でも本当にそう考えてしまう。

今日もそう、

自助グループで話している時、いつも飲んでた頃の俺の中に元妻の存在も、子供3人の存在も無いことを不思議に思う。

よく考えてみると、家族に囲まれていたとしても俺はずっと孤独しか感じられず、人との繋がりを感じられなかったんだ。

そう思えば、このえびのにいた時も、そして都城に引っ越してからも、

両親も、2人の兄弟と、1人の養子も、

どんな人に囲まれた生活をしていても、俺は孤独しか感じられなかった。

それは今でもそうで、いつになったら人との繋がりを感じられるのだろう?と、それを模索してここまで頑張ってきた。

しかし、もう無理なものは無理なんだろうね。

来週に控えた自殺対策研究会の講師に呼ばれときながら、

何故、人が自殺を選ぶのか、

その瞬間の孤独について話そうと思ってたけど、

俺にそれを話す権利が無いことがよく解った。

俺にとって、この世は孤独で、

だからこうして文字に直すことしか出来ない。



そうか、この感覚か。

もう、いいね。本当に。



一番近くにいたはずの人に傷つけられるって、

本当に、本当に、やね。

すみに、

すみに、

これより角にまだ孤独があるのかい?