四国旅観光2日目 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

“遍路はしない四国旅”2日目はお馴染みの石槌山ハイウェイオアシスから始まる。

何だかんだ言って過去に不眠症で酷く苦しんだ挙げ句、アルコールや精神薬に頼り精神病院に入院した程の人間だから、

車中泊やテント泊などで眠れないことが当たり前なのだが、昨晩はぐっすりと眠ることが出来て6時前には目が覚めた。

昨晩ここから見えた西条市の綺麗な夜景も、夜が明けるにしたがって薄青い夜景と変わっていくが、それでも人工の光は力強く自分を主張している。

植えられた木々が少し邪魔をしているが、本当にここからの夜景が大好きだ。


1月末ということもあり、流石に車中泊は寒い。

車中泊は個室のようではあるが、その外壁は鉄で出来ており、断熱どころか冷気を簡単に呼び寄せてくれる。

昨年から我が家で活躍してくれている電気毛布と、天然の湯たんぽ(2匹の中型犬)のお陰で随分と快適に過ごせるようになったが、狭い車内なのでその天然の湯たんぽが邪魔で眠れない日も多い。

自炊道具や食料を持ってきているが、今日は先を急ぎ、地元では見掛けることの無い“なか卯”で朝食を済ませた。

自炊の手間やコスト、そして車中泊やテント泊での食器洗いの困難さを考えずとも、すき屋などの朝食メニューは実にリーズナブルで無理に自炊するメリットが思い付かなくなってきた。


石槌山ハイウェイオアシスを出発して『そう言えば』と、通りにある石槌神社へ向かうことにした。

遍路の番外霊場でもあり、遍路道沿いでもあるが、徒歩ではなかなか少しの寄り道も出来ない。

先日、母と四国に来たとき初めて立ち寄ると中々良いところであったし、ビーニャさんは大の湧水好きなので、石槌神社内にある湧水を案内することにした。


先日、母と来たことを懐かしみながら、ここからも見える西条市の景色を眺めた。

愛媛県西条市から新居浜市、四国中央市へと、地元では見かけることの無い、造船所の巨大なクレーンや、工場の煙突からモクモクと上がる景色が実に珍しくある。

そこから限られた時間だけでもと、四国の母と父さんに会いに行ってコーヒーをいただきながらいつもの会話を楽しんだ。

俺も四国に来たら会いたくなるのだが、ビーニャさんの会いたがり方は気合いが入っている。

まるで64番札所と65番札所の間にある64.5番札所である。

「何故あんなにも壁が無く、スッと受け入れて下さるのだろう…?」と、

他人に対して巨大な壁を持つ俺はいつも四国の両親と会ったあとビーニャさんと話し合う。

この世は因果応報で類は友を呼び、似たカルマを持つ人と縁があり、親子になったり、友人、職場の上司や同僚となる。

過去の俺も正にそれで、本当に俺にお似合いの“最低”に囲まれていたが、断酒を機に“生き方を変える”努力を続けたから“類”にも変化が見えて来たのだろうか?

俺とはとても釣り合わない素晴らしい方であるアラフィフさんと知り合い、その繋がりで四国の母とも知り合うことが出来た。

本当に自分に訪れる縁の変化を肌で感じているから四国移住に関しても人生の転換期として踏み切ろうと思えたし、

そろそろ依存症の世界からも解放されて(楽になって)良いのでは無いかと思うようになった。

依存症の世界にいることにより心が疲れ果ててしまっており、このブログでも本来書きたくないことばかりを書くことになってしまっているが、

この部分を改めて書かせて貰うと、確かに問題のある依存症当事者ではあるが、実はその周りの「困っている」と自称する例えば両親、配偶者が狂っている場合が殆んどで、その複雑すぎる“関係の病”の相談を受ける立場も本当に苦しいのだ。

どちらの立場も「まずあなたが変わらないといけない」と言われれば血相を変え、自己正当化を永遠に続ける。

家族システムの病(依存症)について書き出すと本一冊では止まらなそうなので、ここでは“子は親を写し出す最高の演者”とだけ書き残すことにしよう。


四国の母と別れたあとは四国中央市にある川之江城へと行った。

四国の外周をザックリと回る遍路だが、四国中央市から香川県観音寺市へと抜ける海岸線の部分は例外だろう。

徳島から高知、愛媛へと進んできた遍路だが、この四国中央市から再び徳島へと入り香川に降りる関係で国道11号線には無縁で、この川之江城は遍路にとって馴染みが無い。


たまに66番札所に用事がない時に国道11号線を走るが、その機会も随分と少なく、その度にお城ファンとして川之江城の存在が気になっていた。

愛知の織田信長で有名な清洲城に良く似た模擬天守だが、下から見上げるよりも実際に城の周りを歩くと立派な城であることに驚く。

一般的な白黒に赤い欄干が栄える城で、曲輪も細長く石垣も立派である。

またそこから見える四国中央市の工業地帯や瀬戸内海の景色も素晴らしかった。


そこから本当は“天空の鳥居”に行く予定が、今回は遍路道ではない四国を体験したいと、遍路道に近い天空の鳥居はパスすることにした。

と言うわけで、次に向かったのは66番札所の麓にある豊稔池ダムだ。

レトロで黒ずんだ廃墟感が味のあるダムだった。


せっかくなのでダムの上に登るとほんの少しだけ上部を見ることが出来る。

水面ギリギリの曲線が見えるが、今にも溢れそうなこのダムの仕組みが全く理解できなかった。

水に恵まれない香川県にとって、こうしたダムや貯水地は重要な存在だ。

四国の地図をみれば解りやすいが、


徳島県三好市の池田町に流れる大河、四国三郎こと吉野川は香川県には向かわず直角に折れているが、これが香川に流れていれば水不足に悩まずとも済んだだろう。

この地点を生の目で見ると、それはそれは大きく水量の多い川に驚く。


何故あそこから直角に大河が折れたかと言えば、プレートが画像紫色方向に押し上げる力で赤丸の部分が支点となり、徳島県に向かって大地が裂けた、というか、讃岐山脈が盛り上がって出来上がり、吉野川が直角に折れたと言われている。

それまでは香川に向かって水は流れていたようだ。

徳島から海の向こうを見ると更に面白く、


和歌山でも同じ様に大地が裂け、北側に山が盛り上がり、徳島県の様に和歌山の街が広がっている。

中央構造線と言われるようだ。

因みに、ここまで書いた話は俺の妄想であり、何も根拠の無い嘘であるから、気になった人は自分で調べて欲しい。

いつかはいにしえの遍路が船で上陸して1番札所を目指して歩いた撫養街道を歩いてみるのも俺の夢である。


豊稔池ダムから先ほど触れた徳島県三好市を目指す途中でいくつかの石仏が気になった。

遍路道からは逸れているのだが、金比羅詣りの影響もあるのか、


“左 あわ道 右 いよ”という文字が確認できる。

四国各地に残るこうした古道を伝えるものが俺は大好きだから、思わぬ出会いの度に嬉しくなり車を飛び降りる。


その先の曼陀峠は自転車で札所巡りをした時や、何度も車で札所巡りをした思い出の地だ。

せっかくの雪なので犬達を遊ばせた。

数ヶ月前に66番札所を歩いて目指した時に、この曼陀トンネルの真上にある五郎山で野宿したのが懐かしい。

あの時はやっと通ることが出来た本来の遍路道に心が踊ったものだ。


その後、トコトコと吉野川の大河に驚きながら徳島県を目指し、阿波市にある“土柱”へ向かった。

別格20番札所から10番札所を目指す途中でいつも気になっていた場所だが、いざ訪れてみると、

「へぇ~」

桜島の影響でシラス大地に住む俺には見慣れた景色に良く似ていて、宮崎県南部から鹿児島にかけては重機によって削り取られたシラス大地はよく見掛ける。


一応、シラス大地とは違ってちゃんとした理由があり、気になる人は↑の画像を読んでみてください。

突然ですが、問題です。

↓の写真にかくされたメッセージを読み解きなさい。

ヒント:土柱は“つちばしら”ではなく“どちゅう”と読みます。


答えは最後に。



土柱を後にして、次に目指すのは那賀町にある未来コンビニ。


車のナビの示す赤点ルートは予想通り途中で冬期閉鎖されており、結局、神山町まで難所を必死に走った先で、ぐるっと回ってにゃんこの目。

近いように見えて、3時間以上かかるコースです。

大好きな徳島や高知の海が見たい気持ちに打ち勝って、今回は通ったことの無い四国を進みました。


こんなに遠いと思ってなかった未来コンビニに辿り着いたのは閉店3分前。

店に飛び込み、今晩の食料を探すも、何もかもが割高を超えて更に高い。

見事打ちのめされた俺とビーニャさんはここから高知県を目指し、日暮れも走ることとなったのでした。

YouTubeなどで見掛けることの増えた未来コンビニですが、行くも去るも何もない山奥でワザワザ行く価値は無いもう2度と行かなくていいです。

高知へ向かう途中で入浴した“べふ峡”温泉は人気が全くなくって今後が心配になったけど、俺は好きな温泉でしたね。

この日は車中泊を予定していた28番札所の北側にある道の駅は環境に恵まれず、そこから少し走った道の駅南国でお世話になりました。




最後に、先ほどの写真に隠されたメッセージ。

写真のタイトル:土柱(どちゅー)とアル中



久し振りに真剣に文章を書いたら長くなったので、明日からは真剣に書くことをやめます。