物価がヤバいことになってる中でもカー用品の値上がり方は半端無く、3,4割り増してないですか?(もっと、もっと)
そんな時でも格安の代用品があってくれるのは有り難いです。
“訳あり”と書いてますが、オイル缶表面のラッピングをしてませんと言うもので、余計な事はしなくていいので安く販売してくださいよ。
貧乏は頭と身体を使って自分の出来る範囲は倹約していかないといけない時代。
頭と身体に汗を掻き、いい加減に何もかも“他人に任せる安心”を買うという昭和時代から変わりましょう。
“窓口”とか最悪ですし、全力で銀行円預金とか脳みそが愚か者のすることです。
リスクを取りたくないから全力銀行円預金って本当に矛盾していて、めちゃくちゃリスクをとっている事に気付いてないし(一本賭け)、
今まさにそれの被害に遭いながらでも、それでも理解できない脳みそが愚か者に俺は何も言うことをやめました(長い期間順序だてて進めてきた話を突然裏切るという、精神病院幽閉の時の失敗を反省せず、何も生かそうとしない人の話です)。
勿論、高熱が出てますので安静にオイル交換をしました。
いやね、苦しい時って何故か幼い頃を思い出すんですよ。
俺はずっと休むことを許されず“悪”と刷り込まれて生きてきた。
学校は「お前の仕事」と言われ、家に帰ってきてからも地獄だった剣道や宿題、宅習(土地柄なのかノート一ページに漢字を書くもの)、
家の手伝い、そして母や兄弟を護ることを父から頼まれ、
そうしている内に父が帰ってきてまずボコボコに殴られる。
そして夕飯の時間になると焼酎を一口飲んだ父がお化けの目になり怒り出してまた殴られる。
殴ってスッキリした父は眠りに入るが数時間後にトイレに起き、再び深夜に俺を殴りに来る。
心休まる暇どころか俺が育った家庭では“休むことは悪”だったのです。
宿題や宅習にしても必死に終わらせるが、必ず帰ってきた父のチェックが必要で全ての文字が「汚い」と言われ消ゴムで消されるんです。
時間をかけて必死に書いたものだし、こうなることが分かっているから決して汚い字ではないのですが、
今思えば父のストレス解消と、父のコンプレックスだったのだと思います。
「お父さんは字が書けなくて苦労したから」とか、
「お父さんは剣道がやってみたかったから」と、今の俺(今月で42歳)位の父は既に挑戦を諦めて、幼い俺に父の人生のやり直しを背負わせた。
つまり幼い子供に大人を求め、別の人格であることを求めた、俺はありのままの俺ではいけなかったのです。
きっとあの時の父は消ゴムを使って俺の書いた文字ではなくて、自分のコンプレックスを消していたのだろう、
父の気持ちを理解できるようになったのはこの上無い救いですが、その代償を今現在も、そして死ぬまで俺は生きます。
そんな環境だったので、未だに“休む”ことが本当に苦手で、母に「休め」と言われると無性に怒りを感じます。
俺にとって拷問だった剣道を休ませなかったのは母であり、未だに剣道の防具を『休ませない!』とばかりに暗黙の了解で力強く締め付ける母を忘れられない。
ただ、この11年間必死に人生の再起を夢見て行動を起こしてきて得た賜物なのか、
休むと言うことも行動の1つである、
と言うことを知り、以前よりは“先送り”というのも随分と出来るようになりましたね。
それにしても幼い頃から恐ろしい父からの任務を守って、護り続けた母や兄弟達に俺は護られるどころか随分と酷いことをされたなぁ…と今、これを書きながら悲しくなりました。
そろそろ話を日記に戻しましょう。
日々こうして至るところで辛い記憶の再生に苦しむのが俺の病気です。
セロー225は32,221kmまたは5月25日。
ビーニャ号はアイツがメモしてるやろ。