禁酒のリスク | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

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1ヶ月間断酒に踏みきると言うのが流行っているそうで実に素晴らしいことだと思うが、注意も必要だ。

例えばアルコール依存症と診断されて断酒12年に入ろうとしている俺が再び飲酒を再開したとしたら、

アルコールに詳しい人達は口を揃えてこう言うと思う。

「以前より、もっと酷い飲み方になる」

これはアルコール依存症特有の症状なのかもしれないし、そうでないかもしれないが、

そもそもアルコール依存症と適正飲酒者の境界線など実に曖昧なもので存在してない訳だから、この話は殆んどの飲酒者に当てはまる事だろう。

本人が自分を適正飲酒者だとすがり付こうが、問題飲酒者と認知しようが、

少量の飲酒でも害(リスク)しかないと認知が変わった今、そんな事にこだわる意味は無いだろう。

既に“適正飲酒”ということすら存在しなく、問題行動なのだ。

分かりやすく言うとしたら、この表現が正しいかは置いといても“リバウンド”をイメージすると良いかもしれない。

一度、肥満を経験した人ならわかるかもしれないが、苦労してダイエットしたとしても再び以前より太り、そこには完全なるダイエットの継続しか解決の道はないだろう。

俺もそうであり80kgになっては70kg付近まで落とし、再びそれを繰り返す生活をしているが、

当然、食事も依存症の1つとも言え、砂糖や糖質が解りやすい例になる。

ホメオスタシスなどという専門的なことを置いといても、不足したことにより栄養を吸収しすぎる身体が出来上がるのも勿論、そこには食欲の増加もセットとなる場合が多い。

そして何より心理的なもので、“禁止したものを解禁する時の快感(脳の信号)”はそれこそ弾けとんだ記憶として脳に刻まれることになるだろう。

物事には必ず裏と表があって、良いことばかりを見てはいけないし、他人が無責任に、そして知識も不足したなかで書いていることを鵜呑みにしてはいけない(勿論、この文書も)。

最近は美容やダイエット、節約など色んな動機付けにより“禁酒”を見かけることが増えた。

しかし、俺は“禁酒”に皆が想像しているような薔薇色はなくて、“断酒”にもそれはないと思っている。

しかし、“断酒”にはそれ相応の人生の開花は見られる。

ここで言う断酒とは、酒を断つことを初めとした内観など自己反省と、洞察力を磨く作業の継続を言い、これに“1ヶ月”などの期間限定も付かない。

そしてそれは大抵、継続して人の輪のなかで行われる。

決して“酒”を断つだけではない。

怠惰な自分も断つのだ。

利己的な自分を断つのだ。

弱さを受け入れることはとても重要だが、

受け入れる弱さを見極めて、弱い自分すら断つのだ。



“断つ”のだ。

禁止するような甘さはそこに存在しない。

禁止とは他人や自分自身に禁ずることを言うと思うが、断つことに禁ずるような未練は一切存在しない。

切り捨てるのだ。

日本はアルコールに寛容(と言う名の知識不足とだらしなさ、そもそも寛容という発想がヤバい)であることは有名で、

他にもネットゲームや課金、ギャンブルに対する規制が非常に厳しくなっている海外に遅れをとってビジネスを優先する国だから(教授が言っていた)、

あれだ、これだと正当化の理由をつけてアルコールやギャンブルを売り付けようとする。

この大人達の利己的な欲が今の子供達を苦しめた結果、未来の自分を苦しめることになる。

今が正にそうであるように、俺たちは昭和によってこんなにも苦しめられ、

そして、それは今はまだ序章である。

まだまだ今の日本を作っているのは60,70,80代であり、その代償に苦しむのがその下の世代である。



禁酒のリバウンドについての話から、こんなに話題がぶっ飛ぶスタイルは今年も健在。

取りあえず、少量の飲酒でもリスクしかないと常識は変わっており、期間限定の禁止にはリバウンドのリスクも考えてねという話でした。

(今まで少量の飲酒がメリットと言われていたのは、特定の分野だけを切り取ったメリットであり、総合的に見てリスクしか無いと表現が変わっております。つまり雑にいうと100の内2,3のメリットだけを叫び、97のデメリットを隠してきた日本の酒造会社の物凄い力。)