昨日書いた子供拉致についての続き。
そもそも俺は夫婦の離婚に対して、
『出ていくなら1人で出ていけよ』と思う。
よく「子供のため」という言い訳を使う人がいるが、
その人の心理を探ると大抵、そうした方が良いと思う自分の都合や、一人は寂しい自分のことしか考えておらず、
ますます『一人で出ていけよ』と感じる。
愚かの極みは、子供に対して、
「お父さんとお母さん、どっちに着いていく?」と訪ねる大馬鹿者だろう。
それは生きるか死ぬかどちらかを選べと言うような質問で、
子供はそんな親だろうが認めて貰いたく、どんな親でも好きなものである。
なのに自分達の都合で「どっちと一緒に居たい」と、よくもそんな残酷な選択を迫ることが出来ると思う。
そんなお前が一人で出ていった方がいいし、そんな未熟なお前が夫婦間不和の原因だろう。
心の底からそう思う。
因みに母が夫婦喧嘩の果てに子供を連れて出ていこうとした話をたまにする。
愚かにも「どっちと一緒に居たい?」と質問された幼い頃の俺が、
「お父さんが心配だからお父さんと残る(勿論リビングで焼酎を飲んで荒れている)」と言ったことに物凄くショックを受けたようだ。
ハッキリと言うけど子供は冷静に親を観察し、実によく分析している。
特に俺のような親の顔色が自分の生命の有無に関わる場合は最もな話で、
俺から見た両親の不和は明らかに母が悪者に見えていた。
ところが他の兄弟達は圧倒的に母派であり、
これこそ未熟な親の罪、子供を夫婦間の不和に巻き込んだ挙げ句に空気を読ませ、どちらか片方の味方につけさせる機能不全家庭を作り上げたこと。
ここら辺も愛着障害(親子で学ぶはずの距離感が学べない)に関係しており、依存症になりゆる原因だ。
俺はこの頃(小学生低学年)既に、酒を飲まずして依存症に罹ってしまっていたと思う。
俺は想像を絶するほどの虐待を受けて生き残った。
しかし、俺にとっては母より父が大切だった。
もしかするとこれは父から受ける暴力の最中、母やその両親、そして連れ子である3歳上の養子に対する不満(悪)をぶつけられたことによる刷り込みなのかもしれないし、
他の兄弟が父から逃げて母に付くものだから、俺は父が本当に可哀想だと思って生きていた。
こうして幼い頃から親の気持ちと自分の気持ちの分離をさせて貰えず、
自分に鈍感に、他人(親)に敏感に、そして大切に生きた俺は“生き辛さ”としてその後遺症に今でも苦しみながら、
その影響から罹ってしまった依存症による偏見と差別で終わることのない苦しみと共に生きている。
“病める時も 健やかなる時も”
俺は“病める時”に棄てられた。
“健やかなる時”にウザいほどのアタックを受けて始まった交際も、
長い人生のなかに何度か訪れる“病める時”のたった一発で全ての罪を擦り付けられ棄てられた。
愚かにも子供全てを拉致された。
逆に俺は?と言うと、
“病める時も 健やかなる時も”
許し続けて接してきた。
現在、筆が止まって久しいが執筆途中の自叙伝のなかでも当然地獄の日々についてが大半を占めるなか、
出版社から公表を引き留められるほどの前妻の酷い生活っぷりがありながらも、俺は“病める”元妻を許し続けた。
くどいが、俺はたった一回の、しかもそのたった一回で断ちきったアルコールや薬がありながらも棄てられた。
『俺は何度も許し続けたのに…』と本当に悔しい思いをした。
最近は写真がいつでも手軽に撮れる時代となり、
“切り取られた”幸せを演出するワンシーンを自ら望んで撮る人が多く思える。
当然、結婚にもそんな“切り取り”を求めて甘い考えて踏み切り、
『こんなはずではなかった』と自らの行いを棚上げして子供を巻き込み多くがサヨナラをする。
今一度“病める時も 健やかなる時も”を考える必要を感じる。
相手の為ではなく自分の為に。
自分の行いは必ず我が身に跳ね返る。
本当に汚い人間だから、あなたは全てを他人の責任にできるが、
そんな他罰的なあなただから離婚に至る。
結婚は御互いのツルハシ⛏️の交換である。
相手の負債もこの手で背負い、共に道を切り開いて行く覚悟がないのなら一生独身してろ。
俺は数年続いた酷い夫婦喧嘩のなかでも許し続け「相手を理解しようと必死に勉強している」と信頼している心理師に言われるほど、妻の状態を本やネットで調べた。
彼女を理解したかったし、許したかった。
それは一緒に未来を歩みたかったから出来たことだ。
その苦しみは正月に10針縫った手首の傷や、元に戻る暇のないほど殴った顔や、何度も締めた首という自傷行為に表れたが、
それでも俺は“病める時”の彼女も、自分も見捨てた事はない。
最近、あれほどしていた酷い夫婦喧嘩がピタリと止まった。
実に平穏な日々を送っている。
その理由を考えていたら、ふと思い付いたことがある。
ひとつは彼女もコツコツ続けている内観作業と、依存症関係(援助者)としての奉仕による成長だろう。
継続が実り御互いに成長していると思う。
もうひとつが意外だったのだが、ここ半年ほど喧嘩がピタリと止まった頃に始まったことと言えば、
家事の分担であった。
彼女は俺の3倍(保険や税金含め)ほど稼いでいるわけだから俺の家事負担が多いことは自然なことかもしれないし、俺も家事全般は苦手でも嫌いでもない。
しかし、最近税制上の扶養から抜けた程度の少ない収入しかない俺にも、それと同じくらい依存症や社会福祉でお金にならない仕事(役目)が想像以上にある。
家事のバランスが悪かったのが最近ちょうどいい案配になってきたのだろうか?
さて、この話を聞いて『女の癖に家事をサボっていたのか』と感じた人は要注意で、
俺が伝えたいのは男も女も家事はしましょうということです。
だって、自分の事だろ?
もし夫婦間の不和に苦しんでいるとしたら原因は相手ではなくあなたにもあるかもしれない(と言うか、あるから)。
俺は家事が全く出来ず清潔が苦手だった前妻と一緒に家事を楽しんで出来なかったこと、
“家事は女がするもの”と両親の刷り込みに気付けず苦手を押し付けていたことを心の底から反省します。
その健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、悲しみのときも、
富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、
これを慰め、これを助け、
その命あるかぎり、真心を尽くすことを誓いますか?
それを憧れでしか捉えられず誓えないお前に足りないものがあっての不和じゃねぇの?
御互いに完璧ではなく不足あるものだと思うが、
相手ばかり不足していると思ってるんじゃねぇの?
与えてもらう事ばかりに必死になってるんじゃねぇの?
足るを知れ。
身の程を知れ。
出ていくなら、周りを巻き込まず一人で出ていけ。
サァァ!
今日のひとこと。
我慢を強いられ過ぎる体育会系は、
依存症になりやすい。
押さえつけられ過ぎたボールは、
それだけ強く反発する。
サァァ!(男性遍歴)