子供を拉致した犯罪者は牢屋に入れといて下さいという事件で、きっと日本の男性にとって喜べる事件なのでは無いでしょうか?
俺はこの事件を見た時『日本人女性ならではの犯罪だな』と感じました。
以前も書いたことあるのですが、海外では日本の親権問題がニュースになることもあり、
そして親権の殆どがほぼ無条件で女性にあること、そしてそれを当然とばかりに権利を振りかざす日本人女性が問題となっております。
“女性の子供合法拉致が許されている国”
外国人からして日本人女性と結婚し、子供を授かることはリスクなのです。
結果、離婚に至り子供と会わせて貰えず苦しんでいる人が何と多いことか。
某マンセー国の拉致問題や、ネット上で噂されている大富豪達の子供を拉致の話となんら変わらんとですよ。
拉致は拉致ですから。
因みに例えば女性側の不倫が原因での離婚だとしても、不倫については“夫婦間の問題”とされ親権には影響はないそうです。
うん、凄い発想、ミラクルの連続。
依存症を勉強する上で“日本人女性”というキーワードはとても重要になります。
もっと書くと“母親”または“母性”、“聖母像”など実に依存症と密接に関係しており、
俺は依存症の成り立ちは母親から始まるものだと考えております。
その理由は女性特有の“関係依存症”や“共依存”。
男女で明らかに違うのがこの関係性の病気なのです。
これについて真剣に考えたことがありますが、俺は男でありますので予想しか出来ません。
その上で本当に難しく、出た答えは自分の体内から新たな命が誕生することに、
男とは違う何らかの“関係性”の深みや執着、または距離感の問題があるのかな?と思いました。
それは一旦外に置いといて、日本人女性の殆どが“共依存”に侵されていると言われ、その被害は実に大きいです。
俺は色んな場で我が子の依存症問題に悩んでいると言っている両親を見掛けることが多いですが、大抵黒幕は母親であります。
しかし俺はこの原因を国にあると思っています。
日本は男女の理想像に囚われる国でありました。
男は強く一家を食わし、女は違う意味で強く家や家庭を守る。
これは正しいのかもしれませんが、勘違いした人達も当然出てきました。
“女は男をたてる”
“女は自分を犠牲にしてでも子や夫を守る”
勘違いして欲しくないのは、これは女性自らが考えること無くこれを受け入れた結果であり、強要された訳ではないと思いますので自己憐憫や被害者ぶるのはやめてください。
本質を見失ってしまいます。
いつしかこの中で女性が自分を見失い、誰かに尽くすこと(必要とされること)を喜びと感じるようになったり、
自ら考えることを放棄して男に依存するようになりました。
そんな母親に育てられた子供は必ずと言っていいほど過干渉(過保護と勘違いされる)に食い潰され、
自分の選択肢や、自ら考えることを奪われる虐待に合い、自分の人生の選択肢を失った子は現実感を喪失し病みました(優しい暴力と言われる)。
そして、そんな母親に育てられた男は自分の配偶者にも“母親”を求めるようになり、
妻の前では子供返りをし、我が儘な感情を出し(暴言暴力含む)配偶者もまたそんな子供返りをした旦那を『私が支えなくてはこの人はダメになる』と子供のように育てることになります。
そんな大人になりきれなかった両親の元に生まれた子供は、親から“いい子”という、何でも自分の要望を答えてくれる両親的役を求められ、お手伝いという口実で親の世話をさせられます。
こうして子供時代を生きること無く大人になると、親と同じ行いを我が子や配偶者にするようになり、世代間連鎖により依存症の思考が伝播していきます。
そんな連鎖の中で日本特有の“母性神話”が生まれました。
母さんは夜なべをするし、自分のことを犠牲にして子供を守るそうです。
男も女もそれを信じ、それを理想として疑うこと無く依存しました。
しかし、俺の知る限り自分を犠牲にして生きる女性も男性もいません。
人間皆、自分が可愛くて、俺は何度も親兄弟、他人に自分を守るための踏み台として裏切られてきています。
我慢を続けられる人間はいませんし、結局最終的には精神的に病み、身体にも色んな病気が表面化するか、
「もうこれ以上我慢できない」と言い出し、子供を自分の物として当然とばかりに連れて出ていきます。
しかしそれでもまだ日本の司法では、親権は圧倒的に女性にあり、
その理由は“子供には母親が必要だ”という根拠の無い無茶苦茶な理由だと聞いています。
法を決める人達がきっとその妄想に取り憑かれた“お坊っちゃま君”ばかりなのでしょう。
これだけ“シングルマザー”達が悲劇を繰り返してもまだ国が未だに“母性神話”を信じきってしまっているのです。
“シングルマザー”という言葉は実に悲劇のヒロインだったり、勇敢なヒーローとして扱われますが、俺は自分を含め、離婚歴のある人はかなりの危険人物だと思って接します。
今回、泣き虫卓球犯罪者が起こした事件はそんな日本の間違った価値観を当然だと疑うことが無かった女性ならではの犯罪となりました。
自分の都合の悪いことは騒ぎ立てませんが、先も挙げたように既に日本という国の女性による拉致問題は海外で問題となっており、マンセーな国の拉致と何ら変わらないのです。
それを当事者達が知らないだけなのか、それに甘えているだけなのかだと思います。
海外の女性はこれが犯罪であることを知っているので“当然”とばかりに子供を自分の所有物として拉致はしません。
こうして“今”を生きる世代は自分達の両親や祖父母達が繰り返した間違った時代“昭和”からの転換期を迎え、
実は犯罪だったものが突然法の改正により「犯罪です」と切り替わり、その狭間で警察の広報の為や新たな法の認知により大々的に騒がれ実名報道されることになるのです。
飲酒や煽り運転、親子間虐待や夫婦間の暴力がいい例でしょう。
あんなに親に殴られて、誰も社会も助けてくれなかったのに、いざ自分が親になったときは「それは犯罪です」と逮捕されたって、本人は「?」であり、そこから気付けるかは本当に難しい話なのです。
もういい加減目を覚ましましょうよ。
男も女も親も結局自分が1番で自分を犠牲にし続けることは出来ません。
男も弱く、女も聖母にはなれません。
なぜ人が依存症になるかと言えば、
自分を生きずに、男だったり、女だったり、父親母親、いい人など型にハマった他人を生きようとするからです。
「お前はお前でしかなくて、お前を生きろ」
こう言われて自分が何をしたいか思い付くでしょうか?
それとも“誰か無し”ではそれも分からないし、果たせないでしょうか?
もし純粋に人の為になりたいなら、その心理の奥に“見返り”は求めてないでしょうか?
男も女も関係ないひとりの人間の“自分”を生きましょう。
もう国や他人や会社に求められる“誰か”を生きるのはやめましょう。
自分を生きてる人こそ光輝いて美しく、
そんな親を見て育つから子供は安心して自分を生き巣立ちます。
もしあなたなら、いつも困っていて可愛そうな顔をしている両親を心配せずに生きれるか?
子供を育てているつもりなら、自分が実は育てられ、心配されていることに気付いた方がよろし。
まぁ、これ系の話は実に取り扱いの難しい話で、騒ぎ出す人種も存在しますので纏めますと、
俺は今回の事件について非常に喜んでおり、日本より世界の価値観に共感してます。
被害者(旦那と子供)、そしてこれからの時代を考えても、長いこと牢屋に入れてその中で卓球して「サァァ!」して欲しいと思ってます。
しかし、彼女は日本特有の被害者でもあると思います。
俺も経験して悔しい思いをしましたが、そこには“法”があり、理想論も感情論も関係無い世界です(これを経験して強くなれました)。
ただ、そろそろ日本人として現在の親権問題の誤りに気付かなくてはならないと思います。
“誰か”や男性、女性のどちらかを批判したい訳ではなく、自分も親権問題や依存症問題で苦しんだ経験から、問題の本質を解決し、新たな被害者を少なくしたい思いで書いております。