自分なりの断酒の目安を書いてみた | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

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Twitter断酒部というハッシュタグがあり、


そこでの活動(ただ断酒について呟く)は実に楽しいものです。


現代の劣化版自助グループと言ってもいいほど、これからの時代に向いてる“自助グループ”活動になるかもしれません。


先に注意を述べれば、自助グループで大切にされている“霊的成長”に関すれば効果はグッとひくいでしょうが、それにしてもいい場所であります。


その中で1つ面白いツイートがあったのですが、著作権(画像)がよく解らなかったので引用したいと思います。




断酒による5つの段階


1、緊張機 0日から14日

強い飲酒欲求と不眠との戦いが最も辛いと言われる我慢を強いられる期間


2、ハネムーン期 15日から90日

不眠が解消されて眠れるようになり、体調がよくなっていき、充実感が増す時期。


3、壁期 91日から180日

“飲酒の鬼門”と言われる期間。飲酒しない期間に慣れたことによる虚無感や、虚脱感などから再飲酒に走りやすい時期。


4、適応期 181日から270日

退屈さに段々と適応し、断酒に心身ともに身体が馴染んで来る時期。


5、解決期 271日から365日

お酒に対する執着が無くなり、身体の機能が回復して心身共に健康を感じられる期間。


と、詳解されておりました。




確かに断酒1年目は物理的とでも言うのでしょうか、“解毒”が体内で起きるのと同時に、


“スピリチュアリティ”の回復という、一般人からすると「何それ?宗教?」的なことが起きるので、本当に色んな身体、心ともに変化が起きます。


気分の浮き沈みが本当に激しく、ハネムーン期にあるように、人が素晴らしく見えたり、自然がとても綺麗に感じたり、


酒を飲んでいない自分に自信が付いて人生を前向きに捉えられたりしますが、翌朝には絶望のような顔をしたりしています。


俺の場合は逮捕後、精神病院に親兄弟から凄く責められて閉じ込められ、離婚も控えてたので、


断酒によるやる気が満ちたり、鬱に振り回されたり、波が本当に酷かったですね。


それでも今、断酒1年目が一番楽だったと、こう思います。


勢いとやる気で乗り越えられた、一番生き生きとした断酒期間でした。


目標があると言うことはとても力強いことなのです。


だから、上に紹介したものはあくまでも“1年を通して”の表現であり、正解は多いですが、


余りにも1年後に対する夢と希望が含まれすぎていると思います。


1年で5番にあった“解決期”が訪れることはまず無いでしょう。




去年だったか、市が行う依存症セミナーの実行委員会として活動していた俺に、別の依存症グループの断酒歴30年ほどの方が、


「これからもいっぱい壁が来るけど、楽しんで!」と言ってくれました。


断酒9年目なのに「まだまだ壁がある」と言うのです。


勿論、俺はそれを十分に理解しており、常日頃から「ピンチはチャンス」や「不幸の顔をした幸運」と言っているのですが、


これに関しては皆さんの方が沢山経験されているのでは無いでしょうか?


俺のような落ちぶれた人生を送ってなくても、人生は壁の連続、山あり谷ありの、登り坂、下り坂、まかさ!の連続です。


その方は、その壁(ピンチ)が自分にとってのチャンスであることをよく御存知で、俺がそれを理解してるからかけてくれた言葉だったのでしょう。


その様に、俺の間も無く10年になる断酒の人生は、今でも試練の連続であります。


そしてこれからも、今とはそう変わらない人生が続くと思っております。


断酒を始めた頃、俺は断酒17年目の2人と、30年を超える1人の3人に大切に育てられました。


それもあり、周りをよく観察すると、


断酒の安定期は15年以降に訪れ、20年過ぎると「断酒した」と言ってもいいような印象を受けました。


これは俺の指針であるので、俺は今10年を目の前にして、やはり“この程度”の自分に納得しております。


そして、断酒15年を過ぎて再飲酒する多くの人を見聞きして、その差に、本当の断酒道と言うものを感じされられております。




先日、面白い話を聞きました。


断酒に挑む人が1年程断酒をしていたが“スリップ”したと、断酒歴の長い人に話したそうです。


それに対する答えがこれです。


「◯◯君、それはスリップ(再飲酒)とは言わないのだよ。今までただ酒が止まってただけのこと。酒は2、3年飲まんで始めて“やめた”と言える。だから2、3年して飲んでしまうことを“スリップ”と言うのだよ。君のはただ飲まない期間があっただけのこと。」


俺はこの話を聞いて『ごもっとも!』と思った。


この話にもあるように、一年飲まないことは本当に大変なことであり、素晴らしいことでありますが、


そればかりに囚われていると、それ以降に訪れる本当の試練に耐えられないのでは無いかな?と思います。


勿論、俺も断酒1年に凄く憧れ目標としましたが、それを達成してみても、そこにはそんなに大きな物は残らず、次の現実(今日1日の連続)が待っていただけでした。


更に、俺が目にした世界は“ある期間(例として1年)”断酒を成功したからと言って、「いつでも断酒出来る」と勘違いしたまま再飲酒を始めて、2度と戻ってこれない人達の存在でした。


恐らく、1年達成したあの日に再飲酒しなければ、焼け死なずに済んだと思える人もいます。




最後に、たった10年目で感じたことを上にならって書き出したいと思います。




断酒10年に起きること。


1年目 心身共に波がとても激しい時期。だからこそ、勢いのまま苦しみも麻痺して突っ走れた1番楽しかった時期。


2年目 断酒1年達成の自信はあっという間に消え去り、次の目標に迷う。通院や自助グループに頼っていることに抵抗を感じ、“自分の回復”を信じたく“1人”で色々挑戦してみたくなる孤立と我が儘の時期


3年目 3という数字が何かと区切りにされるように、断酒3年はとても大きな目標の時期。2年目のように“自力”もありつつ、2年目に学んだ“他者”の存在の大切さを擦り合わせ、あるこれ試行錯誤していく時期。しかしまだまだ自分本位。


4年目 断酒3年を達成した紛れもない安定期。ここまで来たら「断酒した」と言ってもいいほど、1回ここまで来れると仮に再飲酒しても再び返ってこれる“何か”は掴めた時期。(だからと言って飲むなよ)因みに俺は社会復帰に挑戦して見事に4ヶ月で撃沈。鬱と過労で2度目の精神科送りにより5ヶ月入院。


5年目 3年と言う大きな目標を超えて安定がコツコツと固まりながら、マンネリが顔を出してくる不安な時期。鬱を初めとした脳の損傷の回復は3年から5年かかると言われ、確かにこの時期から鬱や不眠などが劇的に楽になっていった。


6年目 飲まない自分というマンネリが酷く、断酒にとても悩み始めた時期。断酒で思い描いていた様な世界が存在しないことに気付き、現実と向き合いながら日々、酒無しで素面な自分の欠点(ラスボス)と直面する時期。ドライドランク厳重注意!


7年目 もー、最悪。今までいかに“断酒”と言うものに助けられて来れたかが良く解る。酒無しの生活が当たり前となり、次の目標も見つからないまま、表面化する自分の欠点や課題に苦しむ時期。不安で不安で堪らない。


8年目 不調が爆発して色んな問題行動が出た時期。上で言う壁期にあたり、とにかく自傷が激しかった。自分でも自傷癖に驚くほど、別の依存症が姿を見せるかもしれない。手首10針縫った上に何度顔をボコボコに腫らしただろう。


9年目 あれ?少し落ち着いた?って時期。3年目より安定期を感じる。ここまで来ればきっと周りから見ても解るくらい落ち着き放ったオーラが出ていると思うけど、それ程までに達したからこそ解るのが「自分はまたまだひよ子」であることを自覚する。恐らく断酒を続けていく上でとても大切な“謙虚さ”や“謙遜”を学ぶ時期。


10年目 更に落ち着く。10年と言う大台に、更に自分の未熟さを痛感する。想像していた10年目の人格には遠く及ばず、この先がまだ長いことを知る。恐らく、断酒はかなり安定している。


と言うように、酒をやめることがゴールではなく、家庭的、社会的など、色んな意味での復帰が必要となるため、


続く試練に酒無しで対応しながら今でも毎日生きております。


だからこそ、振り返ってみると、随分と登って来たもんだなんです。


上に書いたのはあくまでも今から振り返ってなので、その時に自分はその事に気付かずモヤモヤと過ごしています。




誰もが恐れる“飲酒欲求”と言うものは、あなたの断酒が我慢の断酒や、自慢の断酒で無い限り、何時までも振り回されるものではありません。


そもそも、飲酒欲求って何ですか?


俺の場合は断酒10年目に入って、この9年間で飲みたくなったのは「5回あったか?」って程度で、断酒を始めた日から全く感じないものでありました。


自分の飲酒の引き金を精査すると、鬱、酷い疲れ、酷い孤独が当てはまり、これが起きた時がキツかったです。


そして、間違えなく言えるのは、あなたを再飲酒をさせる危険に突き落とすのは、あなたのとても身近な人であります。


飲酒欲求と言うものに振り回されるのが断酒ではありませんが、


素面で社会の中を生きていき、自分の宿命(役割)に挑んで時には絶望するのが断酒だと思います。


そういう意味では、断酒10年目とは言え、まだまだアルコールは必要であることを知ります。


本当に振り返ると「まだ酒が必要でありながら、飲まずにやってきたなぁ」であります。


因みにこれは俺が断酒1年目の時に、断酒20年を迎えた人に言われたことばであり、


20年程度ではまだまだ酒は必要らしいですよ。


だってそうでしょ?


アルコール依存症では無い人でも飲みたいものだもの。


俺達アルコール依存症者が飲みたくて何か不思議があるのかしら?