写真は日田彦山線と平筑が交差する、田川伊田駅。
石炭記念公園内にそびえ立つ二本煙突。
田川市石炭歴史博物館横にある「たがわ炭都物語」という名の建物外観(下二枚)。
 
 
油須原駅を後にして、本日もうひとつの目当ての場所に向かいました。
 
最寄り駅は田川伊田。日田彦山線の主要駅で、駅舎は国鉄末期に建て替えられた洋館のような造り。
何となく80年代バブリーな雰囲気を漂わせています
 
しかしご多分に漏れず鉄道利用客は減少し、駅前は衰退。駅舎も大きな建物を持て余しているようです
雨降りながら日曜日というのに駅前や通りに人は少なく、すぐそばのアーケード商店街もシャッターが目立ちます
 
まあ今や地方の駅前は似たり寄ったりなんですがね
(ノ△T)
この街はかつて三井炭鉱のお膝元として栄えた歴史を持つだけに、余計にうら寂しさが募ります。
 
さて、そんな伊田の街が最近湧いた出来事と言えば…
地元の炭鉱夫にして画家、山本作兵衛氏が描いた炭鉱や鉱夫の絵が、ユネスコ世界記憶遺産に登録されたこと
 
明治時代から昭和初期の採炭の様子や、炭鉱町の風俗などがリアルに生き生きと描かれています。
絵の横には詳細な解説が添えられ、当時の採掘の様子や風俗を知る上での資料的価値の高い作品となっています。
 
福岡県人なら、誰しも一度は目にしたことはあるでしょう。
 
その作兵衛氏の絵を数多く所蔵しているのが、田川伊田駅の南側にある石炭記念公園内の、田川市石炭歴史博物館。
駅から徒歩15分ほどの高台にあります。
 
この公園はもともと三井伊田炭鉱の敷地。
民謡「炭坑節」で唄われた大煙突や、大型の巻上機がランドマークのようにそびえ立ち、当時の栄華を今に伝えています。
 
公園からは香春岳をバックに田川伊田駅の構内が一望でき、テツ的に絵になるビューポイントでもあります
 
さて、博物館の見学を終えふと右手を見ると
なにやら「たがわ」と書かれたヘッドマークを掲げた建物が
側面には腕木式信号機や「いた」と書かれた駅名標、添田線のさよなら運転の案内らしきものまで。
 
いかにも鉄分濃そうな外見です。
外の小さな看板には「たがわ炭都物語」。
 
せっかくですからちょっと覗いてみるか…
足を踏み入れると、そこには驚きの空間が
ゞ(´∇`)!
 
 
 



写真は油須原駅舎。
入り口。赤い丸ポストが印象的。
なぜか駅長室の看板が。


油須原駅は赤村唯一の駅として開業当初からの歴史を誇ります。
駅舎は重厚な造り。天井や柱に凝った意匠がなされていたりと、石炭採掘で栄えた頃の栄華が偲ばれます。

今はもちろん 無人駅。
なぜか駅長室の看板が掲げてありました。
もと駅務室は陶芸教室になっていました。平筑の駅は様々な店舗が間借りしていますから。

それにしても、素人目に見てもかなり老朽化が進んでいて、数年後には改修工事でもしないと取り壊しになるかも、といった水準です。

行く末が案じられる、油須原駅の駅舎です
(ρ°∩°)


写真は油須原駅を出発する行橋行きの列車。
ホームから見た油須原駅舎。木製の柱にレトロな駅名板を発見♪
 
 
今年最後のトロッコ列車乗車を果たしたあと向かったのは、行橋方面にひと駅の油須原。
 
もちろん油須原線の名前の由来となる駅ですが、実際に田川線と油須原線が分岐する予定だった箇所は現在の赤駅付近。
従って油須原線に関する遺構はありません。
 
ではなぜ訪れたかというと、駅舎がいいからです。
国鉄時代からの木造駅舎が全く手を加えられることなく残っていました
 
やはり空き地の目立つ広い構内。以前はここから夏吉支線という貨物線が出ていて、石炭積み出しで賑わったはずです。
今では雑草が生い茂り、当時の栄光のよすがを辿るのは困難です。
 
少年時代、筑豊地区のローカル線乗り歩きに夢中になった日々を思い出します
 
あの頃は石炭貨物や蒸気機関車こそ姿を消していましたが、炭鉱全盛期の名残が鉄道施設に漂っていました。
駅というものは貨物側線が必ずいくらかはあるものだ、と思い込んでいたくらいです。
 
油須原の駅舎は、確かに古くて柱などに凝った意匠が施してあったりと、なかなか見所あります。