きちんと朝に目覚めたときはそんなことないのに、
明け方に目がさめると、
頭の中に言葉がぐじゃぐじゃ溜まっていて、
怒りとか不満の感情が表になっている。
いま午前5時。
試しに、思いつくまま書いてみる。
わたしの好きな面白いおじさん、
養老孟司さんが仰っていたけれど、
“わからないから面白い”のに、
本に答えが書かれていなければ、
怒り出す人がいるらしい。
わからないことを自分なりに考えることに意義があるのでは、と思うけど
この国からは、
そんな発想も知性も感受性も失われて久しい。
だけど、
答えが書かれてある教科書で一様に勉強させられたのだから、
教科書以外の本を読んだり映画を観たりしない人間にとっては、
それが当然なのかもしれない。
この世には答えがあふれて、
わからないことがどんどんなくなってきている。
あふれてあふれて、
片っ端から覚えては、忘れていく。
否、覚える必要もない。
検索すれば、答えはいつでもそこにある。
考える葦であるのは一部の人だけで、
人間は、誰かが考えた答えを検索する葦だ。
そんなふうにしていたら、
答えのない問題がおきたとき、
いったいどうするんだろう。
子どもに、
なぜ殺人をしてはいけないのか。
幸福とは。
倫理とは。
ものごとの善悪とは何か。
そんなことを聞かれたときに、何と答えるんだろう。
本に答えが書かれていないと怒るのだろうか。
争いというのはいつだって、
真面目で、自分自身で物事を考えない人が引き起こす。
そしておそらく、
この国にはそういう人が多いのだ。
右へならえ
前へならえ。
こうですよ、こうしなさい、
が、大好きだ。
大人の社会で、
上司にきちんと聞いてからしか行動しない人が多くて驚いた。
あれしていいですか
これしていいですか。
いつまでたっても、小学校の教育がぬけないのね。
大人としてのお行儀の範疇なら何したっていいに決まってるだろ。
あほか。
わたしは自分の頭で物事を考えて、
自分なりの哲学を持って生きたい。
知識があっても、
哲学のない人間はつまらない。
誰かが決めた風潮にゆらゆら流されて、
あんなこと言われたこんなこと言われた
って、気にしてしまうのは、
あなたの頭の中が、稚拙でくだらないからだよ。
考える人であれ、と思う。
おやすみなさい。
すやすやすやすや