恋は二度目のアネモネ -10ページ目


胸が震えた。

仕事の合間に立ち寄ったファミレスで、
新版【夜と霧】の最後の一文字を読み終えたわたしは、
鞄に入れておいた次の小説に手を伸ばさなかった。
すぐに最初のページに戻り、
一文字目から読み返す。
そんなことをしたのは初めてだった。


【夜と霧】は、
ユダヤ人の心理学者が書いた、
ホロコーストの体験記である。
ここに書かれているのは、
生身の体験者の、内側からみた強制収容所だ。
身体的な苦しみより、
精神や心の動きに焦点が当てられている。
絶望の中にある喜び・屈辱・怒り・至福。

人間とは。
生きるとは。
単純なようで複雑な問いへの、
ひとつのこたえを見た。

感受性を磨き、
内面世界を広げることが、
理不尽な運命に対抗できる術なのだと知る。

そして、
どんな状況においても、
人間がどのように振る舞うかという自由だけは
奪うことができないのだ。

卑劣さと、
崇高さ。
命の灯火が消えかかったときこそ、
自分がどんな人間なのかがわかる。
人間の偉大さは、
所属するグループとか国家とか人種でははかれない。
ナチスにも善人はいたし、
迫害されたユダヤ人にも愚劣なやつはいたのだ。


著者のフランクルは、
極限状態の中で、ひとつの真実にたどりつく。

それは、
考え得る限り最も悲惨な状況にあっても、
愛は人に至福を与えるということだった。

彼は、
生死も不明な妻と、精神の中で会話をする。
生きているのか死んでいるのかは関係なかった。
愛は、生身の人間の存在とはほぼ関係なく、
精神的な存在・本質に深く関わっている。
肉体の存在や、生死は愛の妨げにならなかったし、
もし死んでいるとわかっていても、
愛する妻への思いの、
心の中で見つめることへの、
妨げにはならなかっただろうと彼は言う。


わたしだったら。
愛する人が死んだとわかったら、
フランクルのように、
本質の愛のみで幸福を感じられるだろうか。
生きることを目的にして生きていけるだろうか。
不正を働く権利は、不正を働かれた者にもないという当たり前のことを、
理解して生きていけるだろうか。

想像を絶する体験をしていないわたしには、
それは想像がつかないことだ。


この本は、
全国の中学校で配ればいい。
一人ひとりが自分なりに考えればいい。
そうすればこの国の人間も少しはましになるだろう。
わたしたちのような貧乏人から搾取した税金で贅沢してないで、
頭使って有益な使い方をしてみろというのだ。
阿呆な政治家どもめ。







線香花火が、ぽとりと落ちるとき
あなたがいてよかったと思った。


声をひそめて、
息をひそめて、
感情だけここにある。
わたしがもっと聡ければ、
地球をくるくるまわしてあげられるのに。
とまってしまった電車のなかで、
役に立たない哲学を、
なまぬるい舌先で確かめるのだ。


言葉を、
ことばを、
見失っている。
影のない、あっけらかんとした幸福は
わたしからことばを奪ってしまう。

憂鬱は、余裕と情緒からうまれる。
憂鬱って、なんて贅沢なんだろう。


わたしのうしろに気持ちの悪い女がいて、
あらゆるところに身勝手な悪意をぶちまけている。
わたしには関係ない。
わたしはそんな人間ではないし、
そんな人間を馬鹿だと思っている。
ああ、だけど
そういう嫌悪が憂鬱に昇華して、
言葉としてうまれてくれればいいのにな。

つくづく役に立たないぜ。
おまえも、
そしてわたしも。









文字数は少しずつ増える。
アンダンテ。
そう、わたし
歩くの遅いの。


きみに似た人はたくさんいるけど、
あなたのような人などいない。
面白い可愛い賢い面白い可愛い賢い面白い面白い面白い面白い。
あなたはユニークで、独特だ。
ほかの誰にも似ていない。
特質系。
エンペラータイムのクラピカのよう。
あなたにかかれば、
皮肉だって痛快だよ。

尊敬しているのは、
この世でただひとり。
欠点も数えきれないほどあるけれど、
あなたはとても独創的だ。
愛さずにはいられないの。



電車の中でものを書くのは、
中学生の頃からの習慣で、
今でも、それは変わらない。
なぜだか、
電車の中がいちばん捗る。

ここにいなくちゃいけない時間
というのが、
嫌いじゃないの。
ちょっとの不自由は、
完全な自由より創造的だ。


今夜もいっしょに食事をして、
ふざけたことばかりしよう。
















しっぽのリボンは、
お姫様が乗る馬の証ですよ。
と教えてもらって、
わたしはそれに乗せてもらう。
夜のメリーゴーランド。
そっとまわりだす。
せつなくなるほど幸福な音楽のなかで。
あなたはお姫様にするように恭しく、
わたしの右手を取ったの。

思い出がいつも素敵すぎるから、
毎日夢を見ているような気持ちで、
まるで歳をとらないような気がするよ。



家族だろうが友人だろうが、
この世は考えの合わない人ばかり。
それが当たり前だってわかってる。
特にわたしは
幼い頃からほぼずっとマイノリティだから、
そのことは心から理解しているつもりだ。

見た目の美しさにばかりこだわっていないで、
自分だけの美学や哲学を持って生きなよ、と
言い放つわたしは、
あなたから見て薄情でしょうか。

はっきり言ってくだらない。
その生き辛さは自分のせいだよ。
人生はいちどきり。
死の病床で、
これまでの不満を誰かのせいにするのかしら。
あなたに足りないのは
ヒアルロン酸じゃなくて哲学だよ。
ああ。
あなたとはきっと、
わかりあうことはないけれど、
わたしが言ってあげられるのはそれだけだ。
つらいね、
頑張ってるね、
なんて、
共感できない。
辛かったらやめればいいし、
我慢なんてしなきゃいいのだ。

嫌なことや辛いことは、
自分が納得できないならしないに限るよ。
納得だよ、要するに。
死ぬんだよ、必ず。
そのことわかってる?って思う。










あなたならできると思う。
って、
きみに言われると、嬉しかった。


深く、深く知ってしまって、
昔が懐かしくて、
久しぶりに、あなたのことでかなしくなる。
そして俄かに気づく。
誰に何をされようと、
好きじゃないと、
かなしくならないわ、
わたし。


おんなじようにはだかで眠っても、
もうあの頃とおんなじではない。
キラキラとけていく。
わたしたちの時間が。
あなたもわたしも、
いつか消えてしまうよね。
思い出は尊い。
海馬の歴史のなかにある。


つめを塗ったら、
くちびるも真っ赤にしたくなる。
べつの場所も。

嘘つかない人は、
やさしくない人だよ。
だけどわたしもときどき、
ほんとのことばっかり言って
困らせたくなるの。


漢字じゃなくて、
ひらがなにして。
、じゃなくて
。にしてほしいよ。
ニュアンスひとつで
敏感に感じとってしまうから、
意味を持って、
わたしにふれてほしいの。
それって、
そんなにむずかしいことかな。