胸が震えた。
仕事の合間に立ち寄ったファミレスで、
新版【夜と霧】の最後の一文字を読み終えたわたしは、
鞄に入れておいた次の小説に手を伸ばさなかった。
すぐに最初のページに戻り、
一文字目から読み返す。
そんなことをしたのは初めてだった。
【夜と霧】は、
ユダヤ人の心理学者が書いた、
ホロコーストの体験記である。
ここに書かれているのは、
生身の体験者の、内側からみた強制収容所だ。
身体的な苦しみより、
精神や心の動きに焦点が当てられている。
絶望の中にある喜び・屈辱・怒り・至福。
人間とは。
生きるとは。
単純なようで複雑な問いへの、
ひとつのこたえを見た。
感受性を磨き、
内面世界を広げることが、
理不尽な運命に対抗できる術なのだと知る。
そして、
どんな状況においても、
人間がどのように振る舞うかという自由だけは
奪うことができないのだ。
卑劣さと、
崇高さ。
命の灯火が消えかかったときこそ、
自分がどんな人間なのかがわかる。
人間の偉大さは、
所属するグループとか国家とか人種でははかれない。
ナチスにも善人はいたし、
迫害されたユダヤ人にも愚劣なやつはいたのだ。
著者のフランクルは、
極限状態の中で、ひとつの真実にたどりつく。
それは、
考え得る限り最も悲惨な状況にあっても、
愛は人に至福を与えるということだった。
彼は、
生死も不明な妻と、精神の中で会話をする。
生きているのか死んでいるのかは関係なかった。
愛は、生身の人間の存在とはほぼ関係なく、
精神的な存在・本質に深く関わっている。
肉体の存在や、生死は愛の妨げにならなかったし、
もし死んでいるとわかっていても、
愛する妻への思いの、
心の中で見つめることへの、
妨げにはならなかっただろうと彼は言う。
わたしだったら。
愛する人が死んだとわかったら、
フランクルのように、
本質の愛のみで幸福を感じられるだろうか。
生きることを目的にして生きていけるだろうか。
不正を働く権利は、不正を働かれた者にもないという当たり前のことを、
理解して生きていけるだろうか。
想像を絶する体験をしていないわたしには、
それは想像がつかないことだ。
この本は、
全国の中学校で配ればいい。
一人ひとりが自分なりに考えればいい。
そうすればこの国の人間も少しはましになるだろう。
わたしたちのような貧乏人から搾取した税金で贅沢してないで、
頭使って有益な使い方をしてみろというのだ。
阿呆な政治家どもめ。





