古関祐而さんの楽曲を、その時々の時代背景やエピソードとともに紹介した、著者渾身の一冊★3.5
刑部さんは昭和52年生まれで現在43才。
この若さで昭和のことを、ここまでよく掘り起こしたものだと感心します。
そして、そのずば抜けた情報収集・資料収集・調査能力に、あらため敬意を表します。
とにかくすごいです。
刑部さんは現在放送中の朝ドラ「エール」の時代考証も担当されています。
古関祐而さんのことで私が知りたかったのは、どのようにして作曲法を学んだか?ということ。
結果的には朝ドラでもあったように、
(1)小さい頃から蓄音機で洋楽などを聴ける
環境だった
(2)小三のとき母親からおもちゃのピアノを
かってもらい、弾くことに夢中
(3)小三~小六のとき音楽の時間に、童謡を作曲する授業があった
(4)小五のときからハーモニカに夢中、セノオ楽譜をハーモニカ用に編曲した
(5)小学校卒業の頃には、楽譜が自由に読めるだけでなく、自作の曲を譜面にすることもできた
(6)福島商業1年生の終わり頃から、和声楽・対位法について勉強開始
(7)福島商業3年生のとき、自らのオーケストラの作曲
(8)コロンビア入社後の売れない時代も、菅原明朗氏にクラシック音楽の理論を学んだ
天性の才能だけでなく、本人の努力と探究心、恵まれた環境も利用し、実力をつけていったのでしょう。
古関さんの最初のヒット曲「船頭可愛や」について、本書でもエピソードが紹介されています。
朝ドラでは麻布十番の下駄屋の娘だった藤丸(井上希美さん)が歌いますが、全然売れません。そこで、柴崎コウさん演じる双浦環(ふたうらたまき)が歌って大ヒット。
しかし実際には、音丸という下駄屋の娘が歌い26万枚の大ヒット。一方、この歌に感銘した三浦環さんが4年後に歌った「船頭可愛や」は、売れませんでした。
クラシック歌手が歌う流行歌は、大衆に受け入れられなかったようです。
本書を読んで感じたことは、オリジナルの歌を作るときでも、できれば楽典を、最低でもコード理論を勉強した方がいいということです。
竹内まりやさんも何かのインタビューで、作曲には若い頃に習ったコードのことが役だったとおっしゃってました。
ところで、古関さんは作曲するとき楽器を使わないそうです。
そういえば朝ドラでも、作曲するときはいつも机に向かってますね。
頭に浮かんだメロディをそのまま譜面に落とすんでしょう。
カッコいい!!、憧れます~♪