ブックレビュー「ニコライ遭難」 吉村昭 | ネコのひとり言

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大津事件で負傷したロシア皇太子ニコライの日本での行動と、その事件が巻き起こした”騒動”の一部始終を綴った記録文学。
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大津事件について学校で習ったことと言えば、当時まだ国力が弱かった日本政府が、ロシアの反応を考慮して犯人の津田三蔵を死刑にしようと目論んでいたのを、大津地方裁判所は無期懲役の判決を下し三権分立を守ったというものです。

全体の3割くらいを使って、ニコライが日本に来てから大津事件までの間の行動が詳細に描写されています。
こんな事が記録として残っているのも驚きですが、その内容にも驚きます。

ニコライがいつどこの店に行き何をいくらで買ったとか、日本側がどんな料理で接待をしたとか・・。
さらに驚いたことに、彼は皇太子という身分でありながら、長崎での滞在中に腕に刺青をしたそうです。

 

 

イメージ 2そんな彼が日本に好印象を持っていたのが全編を通して伝わってきます。

 

 

 

だからなのでしょうか大津事件がおきたとき、ロシアとの友好を保つためにも、津田三蔵を死刑にすべきだという世論が起きたのもうねずけます。
 

しかし、その一方でニコライの訪日に批判的な人たちもいて、津田三蔵もその一人でした。
 

ロシアが北方諸島などに関して強硬な姿勢をとっていた事と、来日したらまず最初に天皇に謁見すべきはずが、長崎や鹿児島巡行などを優先したことなども関係したようです。
 

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さてその大津事件ですが、人里離れた山道を皇太子一行が巡行中、突然物陰から現れた津田三蔵に切りつけられたと思っていましたが、史実はそうではありませんでした。

 

事件の起きたのは大津駅からほど近い下小唐崎町五番地(現:大津市京町2-2)で、道の両側には商店がならんでいる繁華な場所です。

 

 

皇太子を歓迎するするために人々がひしめいて、所々に配置された警護の巡査も挙手の礼で迎えていたとき、その中の一人の巡査・津田三蔵が突然サーベルを抜き、皇太子に襲いかかったとのことです。
 

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本書最大の読みどころは、津田三蔵の裁判をめぐる司法(裁判官)と行政(政府)の対立・かけひきです。
 
ロシアとの友好を守ることに固執する政府は、裁判を有利に進めるため裁判官の切り崩しを画策し、その動きを察知した大審院院長児島が、裁判官の結束を図るため行動を起こすシーンは実にリアルで面白く、読み応え十分。
吉村昭さん本領発揮の描写が続きます。


この裁判はロシア皇太子を皇族とみなすか一民間人と見なすかというのがポイントでした。
それにより皇室罪が適用できるかどうかが決まります。
皇族と見なせば死刑が適用されますが、そうでなければ終身刑となります。

そんな経過から、裁判は大津地方裁判所で開かれましたが、裁判そのものは最高裁の管轄となったため、最高裁判事が大津まで出張してきたそうです。
知らなかったなぁ。

本書を読んで驚いたこと、初めて知ったこと
(1)自動車がまだなかったため、主な移動手段は人力車だった
(2)電話がまだなかったため、主な通信手段は電報だった
(3)東海道本線は開通していたが終夜運行をしていたようだ(夜中に電車に乗るシーンがたびたび登場する)
(4)人力車は引く車夫以外に、後ろから2名の車夫が押していた(たぶん特別な場合だけだと思います)
(5)西郷隆盛は西南戦争を生き延びロシアに逃れたという噂が流布していた
(6)津田三蔵は滋賀在住だった(野洲郡三上村、出生は三重県伊賀郡上野町)
(7)津田三蔵は西南戦争に従軍していた

 

(8)津田三蔵は事件から約4ヶ月半後に急性肺炎で獄死した

 

 
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