クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調

Ne-dutch


1896年10月11日、ベートーヴェン以来の大作曲家で、最後のドイツ・オーストリア音楽の正当な体現者であるブルックナーはその72年の生涯を閉じた。その日の午前中まで第9番の第4楽章の作曲を続けていた。この曲が完成しなかったら、第4楽章の代わりに「テ・デウム」を使うようにと言い残していたことからも明らかなように、ブルックナー自身、第9番の完成のためには残された時間では間に合わないことがわかっていた。未完に終わったとは言え、第3楽章は、まるでブルックナーを天国に誘うかのような感動的な終わり方をしている。「神に捧げる思いで書いた」と語っていた第9番がこのような終わり方になったのは、まさに神の意志ではないだろうか。とすると、第4番を補完して演奏する試みは神への冒涜ではないかとも思える。

さて、この第9番は、ブルックナーの交響曲の特徴を備えてはいるものの、これまでの交響曲とは一線を画す。第1楽章は提示部から規格外だ。お決まりの3つの主題で構成されるのだが、第1主題は8つの動機からなる第1主題群となっている。性格の違う動機が次々に現れた後、有名な第7動機で早くもクライマックスを形づくる。続いて第2、第3主題が奏でられると、これだけで一つの曲のようだ。第2楽章も、ブルックナーのこれまでのスケルツォとは別次元で、とても19世紀の音楽とは思えない。これまでのような民族的な要素はなく、トリオも異常に速い。トリスタン和音を使った浮遊感で、不思議な神秘性を醸し出している。第3楽章は冒頭の弦の跳躍が未知の世界の出現を予感させる。展開部と再現部を融合させたブルックナー独特のソナタ形式のもと、我々を神の世界へと誘う。最後は第2番、第5番、第7番、第8番の有名な主題の回想で締め括ることから、ブルックナーはこの第3楽章が終楽章になっても良いと思っていたのではないだろうか。

● 版の種類
①オーレル版(原典版) 
②ノヴァーク版(原典版) 
③レーヴェ改訂版
④コールス版
以下、第4楽章補筆稿
⑤サマーレ/マッツーカ校訂版
⑥サマーレ/マッツーカ/フィリップス/コールス校訂版
⑦キャラガン校訂版(初版、2003年改訂版、2006年改訂版、2010年改訂版)
⑧シャラー校訂版(初版、2018年改訂版)

ブルックナーの死から7年後の1903年、レーヴェによる改訂版が同氏の指揮で初演、出版され、これが初版となる。オーレル、ノヴァークとも、ブルックナーの自筆譜どおりに校訂し、これらは原典版と呼ばれ、両者の違いはほぼない。なぜかハース版はない。ハースは、オーレル版があるから原典版の復元は不要と思ったのか、失脚したために原典版を復元できなかったのか、理由はわからない。ノヴァークは、オーレル版をほとんど引き継ぐ形で出版し、その後で再検証するつもりであったが、果たせなかった。その意志を継いだのがベンヤミン=グンナー・コールス。自筆譜以外の資料も検証し、校訂箇所は50か所に及ぶが、そのほとんどがテンポ設定。なお、ノヴァーク版とオーレル版は判別不可能なため、CDのライナーノーツに版の表記がない場合は、下記の聴き比べにおいて、単に〈原典版〉と記載しておく。

● 聴き比べ
第1位:カール・シューリヒト/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団〈原典版〉1961年
所有しているブルックナーの交響曲のCDを第1番から順に聴き比べをしよう。足かけ2年に及んだこの長い旅もようやく終わりを迎える。一番最後に聴こうと決めていたのが、シューリヒトの第9番。単に自分の好き嫌いで順位をつけてきたので、批判は覚悟の上。しかし、これだけは譲れない。第9番のベスト盤は、このシューリヒト/ウィーンフィルによる歴史的名盤以外にはあり得ない。前にも触れているが、シューリヒトを一言で言うと、颯爽としていてカッコいい。そういう言い方をするとカラヤンが思い浮かぶが、アプローチの仕方が異なるので、両者の作る音楽は全くの別物となる。それにしてもカラヤンはなぜあれほど有名になったのであろうか。オペラ指揮者としては絶対的な存在感を遺したが、それ以外の彼の功績として、次の2つが挙げられる。CDの規格をベートーヴェンの第9が収まるようにソニーに進言したことと、サントリーホールの客席をワインヤード方式にすることをアドバイスしたことだ。話がそれたが、このシューリヒト盤は本当にすばらしい。シューリヒトは強弱のつけ方が抜群にうまい。アッチェランドやルバートをほとんどしないところも良い。これを多用する指揮者もいるが、ブルックナーが安っぽくなってしまう。あえて感情を抑えて淡々と向き合う様は、ブルックナーへの敬愛の深さを感じさせる。第1楽章の第1主題群は、聴く者の心を鷲掴みにする。続く第2、第3主題も厳しさ、鋭さをそのままに突き進む。気魄のコーダも圧巻だ。第2楽章も、他の指揮者の追随を許さない完璧な演奏である。第1楽章でもそうであったが、ピチカートを強く弾かせることで、これほど曲が引き締まるとは。そしてテンポもバランスも理想的だ。第3楽章は一音、一音すべてに意味を持たせ、神々しいばかりのまばゆい光を放ちつつ、最期は宇宙の終焉を迎えるかのようだ。本当にすばらしい。

第2位:カルロ・マリア・ジュリーニ/シカゴ交響楽団〈ノヴァーク版〉1976年
ジュリーニの第9番はウィーンフィル盤も評判が良いが、僕はシカゴ響盤がお気に入りだ。実はこのCDを買い直す前のLPは、高校生の時に、初めて買ったブルックナーなのだ。とにかく、当時はベームとジュリーニのLPを買い漁っていた。ブルックナーってどんな感じなのだろうと、それまで一度もブルックナーを聴いたことがないのに買ってみたのだが、その時の衝撃は今でも忘れられない。第1楽章は静寂と爆発、第2楽章は興奮と狂気、第3楽章は鎮魂と希望といった表現になるであろうか。こんな音楽があったのかと本当に驚いた。その印象が残っていて、今でもウィーンフィル盤ではなくシカゴ響盤を手にとってしまう。ブルックナー最後の作品が僕の青春を思い出させてくれるという、何とも不思議な感じである。ジャケットがLPのときと変わっていたのが気になっており、後で、LPと同じジャケットのワーナー盤があることを知ったが後の祭り。

第3位:ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団〈オーレル版〉1959年
本当にこれがワルターの演奏なのか。良い意味で期待を裏切る畢竟の名演だ。第1楽章の第1主題群は8つの動機のすべてが、力強く鬼気迫る姿で出現し、展開・再現部まで圧倒的な熱量でひた走る。続く第2楽章も予想を上回る大迫力だ。あぁ、ブルーノ、一体何があったのか? 第3楽章は、ロマンティシズムとダイナミニシズムの壮絶な衝突、競合、そして融和である。最期のホルンの長いクレッシェンドに至るまで緊張感が途切れることはない。ワルター自身、この演奏の出来映えに満足し、家を訪れた人に、この曲とマーラーの9番の録音を聴かせ、ご満悦の様子だったそうだ。録音状態もすばらしく、1959年の録音とは思えないほどで、コロムビアレコードの技術力の高さに驚く。

第4位:セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1995年
チェリビダッケが亡くなる前年のガスタイクでのライヴ盤。あまりに荘厳で壮麗なこの演奏は自身への鎮魂曲と言える。第1楽章第1主題群の第7動機からテンポは次第に遅くなり、展開部と終結部では音楽が崩壊寸前となる。開始前の拍手の時間を除いても31分26秒。気の遠くなるような長さだ。続く第2楽章、第3楽章も、13分47秒、30分36秒と驚異的長大さ。しかし不思議なことに、聴き終えても疲労感は全く感じない。不思議な世界に入り込んだかのようである。終盤の壮大な盛り上がりは、チェリが最後の力を振り絞っているかのようで感動的だ。得意のかけ声すら発することのできない様子に涙を禁じ得ない。ところで、帯には「生涯最後となった演奏」とあるが、正確には「生涯最後となったブルックナー演奏」。

第5位:若杉弘/NHK交響楽団〈ノヴァーク版〉1998年
2年間に亘って行われたブルックナー・ツィクルス最終日に選んだ第9番は、まさに若杉のブルックナーの集大成となった。やや抑制の効いた第1楽章は、低弦とティンパニーを効果的に使うなど、手の込んだ音作りに感心しきり。スケルツォで魅せる正確なリズム感に息を飲む。そして第3楽章、これほど感動的な演奏があっただろうか。若杉は「若い頃は、朝比奈先生がいたから、ブルックナーはやりにくかった」と語っていたそうだが、この瞬間、若杉は朝比奈を超えたかも知れない。

第6位:朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団〈原典版〉2001年
朝比奈隆29回目となるブルックナー9番の演奏。3か月後に天国に旅立つことになるが、恐らく巨匠は最期の演奏となることをわかっていたのであろう。冒頭から一貫した遅いテンポは、第1楽章提示部の第3主題から一段と遅くなる。しかし緊張感が緩むことはなく、むしろ徐々に張り詰めた空気感が漂ってくる。これは高い精神性の表れであり、ブルックナー最期のこの曲に合致したものだ。全楽章を通じて個性的なティンパニーが印象的だが、特に第2楽章は実に味わい深く、宇野功芳氏の言う「底知れぬ魂の乱舞」が繰り広げられる。第3楽章も神々しさを放ちながら、最後はまるで名残りを惜しむかのように、ゆったりと暖かみを残しながら閉じて逝く。

第7位:ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈原典版〉1998年
「1998年9月、ベルリン。その時、再び奇跡が起こった」CDの帯に書かれたフレーズは誇張でも何でもない。あえて一度目の奇跡が何であったか触れていないのは、1996年の第5番の凄演であることは誰もがわかるからであろう。宇野功芳氏もこの演奏は第5番の上をいくと絶賛している(僕はそうは思わないが)。冒頭部分を聴くだけで、歴史的名演となることを予感させる。第2主題の終わりの部分の深遠さにも息を飲む。スケルツォは臨場感あふれるピチカートに胸が高まり、最後まで緻密に組み立てる手綱さばきは見事という他ない。そして極めつけはアダージョ楽章。感情を抑制しながらも壮絶な演奏である。中盤の弦楽コラールは美しいことこの上ない。2度のクライマックスも申し分なく、コーダは天に昇るかのように穏やかに曲を閉じる。すばらしい。

第8位:オイゲン・ヨッフム/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1983年
「ヴァント、シューリヒト、朝比奈と並ぶベスト4に自信を持って推したい」宇野功芳氏にここまで言わせた超名盤。長く海賊版しかなかったが、待望の正規版の登場は大いに話題となった。ヨッフムのブル9は、他に54年のバイエルン放送響盤、64年のベルリン・フィル盤、78年のドレスデン盤とベルリン・フィル盤(ライヴ)があるが、このミュンヘン・フィルとのライヴ盤がベストであることは疑いの余地がない。ヨッフムの特長であるテンポの振れを活かしたダイナミズムを余すところなく伝えてくる。特筆すべきは第3楽章。これはシューリヒト盤を上回るかも知れない。第1楽章と第2楽章のトランペットの強奏ばかりが話題となっているが、第3楽章のトランペットは感動的だ。そして重厚感を保ちながらも透明感あふれる不思議な演奏は本当にすばらしい。

第9位:エフゲニー・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団〈原典版〉1980年
ムラヴィンスキーのブルックナーの録音は第7番、第8番、第9番のみだが、この第9番がステレオ録音で遺されたのは何という幸運であろうか。冷酷で厳しい演奏だが、それ故、木管のふくよかで暖かい響きに救われる。秀逸なのは第3楽章。金管に先導された弦楽器の強奏に戦慄する。

第10位:ヨーゼフ・カイルベルト/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団〈原典版〉1956年
これが1956年の録音とは。テレフンケン社の技術力の高さに驚く。このシリーズのブルックナーは6番と9番しかないが、どちらも歴史的価値の高い名盤である。カイルベルトは同い年のカラヤンと比較されることが多いが、演奏スタイルはシューリヒトに近い。バイエルンでトリスタンとイゾルデ演奏中に心臓発作で急死するという不幸により60歳で生涯を閉じたわけだが、もう少し長生きして、ブルックナーとベートーヴェンの交響曲全集を残して欲しかった。録音が少ないのが残念である。この演奏は、第1楽章は速めのテンポで颯爽と駆け抜け、スケルツォでは重厚感たっぷりに凄みを効かせる。そしてフィナーレ後半からの盛り上がりは驚異的。

第11位:カルロ・マリア・ジュリーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1988年
ジュリーニらしい悠久なテンポで、美しく壮麗な第9番だ。ウィーン・フィルの音色とムジークフェラインザールの響きを十二分に惹き出した名演中の名演で、非の打ち所がないとはこのことだ。シカゴ響盤を上回るという評価もうなづける。弦楽器の美しさ、金管の朗々たる響き、深みのある木管、迫力あるティンパニー、どれもがすばらしい。消えゆくように曲を閉じる瞬間、神の声を聴くようだ。

第12位:ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団〈ノヴァーク版〉1975年
ケーゲルのブルックナーでは、この9番がベストという声がある。オケの粗さは目立つものの、ことさら感情移入することなくインテンポで突き進む、味わい深い名演である。ただもう少しケーゲルらしい狂気さが欲しかった。第3楽章は文句なしにすばらしい。

第13位:オットー・クレンペラー/ニューフィルハーモニア管弦楽団〈ノヴァーク版〉1970年
冒頭からずしんと響く。クレンペラーらしい迫力のある演奏である。それでいて、スケルツォのトリオ部分、アダージョ楽章の美しさの何とすばらしいことか。テンポの揺れと縦の線のズレ(特にアダージョ楽章)が、味わい深過ぎて、クレンペラー好きにはたまらない。

第14位:エドゥアルト・ファン・ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団〈原典版〉1956年
骨太の開始である。弦のさざ波の後、木管の最初の一音を聴くだけで、とてつもない名演であることがわかる。第1楽章と第2楽章は、いつもどおりの颯爽とした快速運転だが、第3楽章は遅めのテンポで叙情豊かにたっぷとした味わいを魅せてくれる。やはりベイヌムのテンポコントロールは抜群である。半世紀にわたってACOに君臨したメンゲルベルクはブルックナーを取り上げなかったが、ベイヌムが教え、ヨッフムが鍛え上げ、シャイーへと受け継がれたACOのブルックナーは、高貴で繊細でありながら重厚さをも併せ持つ、類まれなる音色を奏でてくれる。この演奏はモノラル録音だが、DECCAの優秀技術により録音状態に不満はない。ただ、ステレオ録音であればどのように聴こえていただろうか。せめてあと5年はベイヌムに生きていて欲しかった。

第15位:ギュンター・ヴァント/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈原典版〉1998年
「ブルックナー指揮者」という言葉がある。高い精神性を持ち、ブルックナーを知り尽くし、宇宙的な神秘性を体現できるマエストロだけに許されるこの称号にふさわしいのは、朝比奈、ヴァント、ヨッフムだけであろう。そしてこの3巨匠に共通するのは、決して妥協することなく、常にさらなる高みをめざして研鑽を積み、多くの名盤を遺していることだ。ヴァントの第9番もケルン放送響、ベルリン・ドイツ響、ミュンヘン・フィル、ベルリン・フィル、北ドイツ放送響との名演に、それぞれ異なる一面を見せている。とりわけ1998年は、ミュンヘン・フィル、ベルリン・フィル、北ドイツ響と3種類の名盤を遺す記念すべき年となった。ミュンヘン・フィル盤とベルリン・フィル盤のどちらが優れているかは意見が別れるところだが、僕はベルリン・フィル盤に軍配を上げる。ただ、ミュンヘン・フィル盤のアダージョ楽章は、この上なく美しい。宇野功芳氏はこう表現する。「最後の頂点を築いた後、天国へ、その別世界へ突然入ってゆく。美しさの限り!」
to be continued