クラシック 珠玉の名盤たち ドヴォルザークの交響曲
Ne-dutch
●ジョージ・セル
クリーヴランド管弦楽団
交響曲第7番 ニ短調 1960年
冒頭のトレモロを聴いただけで、この演奏がケルテス盤に匹敵することを確信する。重心の低いサウンドが輪郭のくっきりしたアンサンブルのもとで進んで行く。第2楽章も実に叙情的だ。これほどまでに深みのあるドヴォルザークがあっただろうか。第3楽章はあまりに激しいフリアント。そして第4楽章では恐怖すら覚える。悲劇性を最大限に描写し、圧倒的な存在感を残しつつ壮絶な演奏を閉じる。
クリーヴランド管弦楽団
交響曲第8番 ト長調 1970年
初めて買ったドヴォルザークの第8番のレコードがこの録音。どうしてこの盤を選んだのか理由は覚えていないが、この演奏を聴いた時の衝撃は忘れない。CDに形を変えたこのディスクを聴くたびに懐かしさがこみ上げる。いったいこの第1楽章の展開部に感動しない人がいるであろうか。第2楽章の生命力あふれる指揮ぶりも驚きを禁じ得ない。そしてあえて感情を抑えた第3楽章の何と切ないことか。第4楽章は冒頭のトランペットに一気に気持ちが高ぶる。一瞬の静寂の後に繰り広げられる変奏の競演は何度聴いても心を打たれる。なんてすばらしい演奏なのだろう。
クリーヴランド管弦楽団
交響曲第9番 ホ短調 1959年
吉田秀和氏は、徹底して均整がとれ、表面に一点の曇りもないセルの演奏をしばしば中国の陶磁器に例える。セルの新世界はまさにそのような演奏で、その極度に洗練された造形美は、一見冷たく思えるものの、接していると次第に独特の温かみを感じる。すばらしい。
●カルロ・マリア・ジュリーニ
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
交響曲第7番 ニ短調 1993年
交響曲第9番 ホ短調 1992年
ブラームスとの近似性が言われるこの曲だが、ジュリーニの演奏は正にブラームスを聴いているようだ。民族性の殻を打ち破り純音楽的に昇華させたうえに、持ち前のスケールの大きさが磨きをかける。アダージョ楽章の美しさは言葉を失うほど。叙情豊かに奏でるホルンで開始される中間部は、木管から弦へと引き継がれながら、たゆたうように悠久の時を流れていく。第3楽章は哀しみのフリアント。何もここまでしなくてもというほど切なすぎる表現に打ちのめされる。さらに追い打ちをかけるようにただならぬ雰囲気で始まる第4楽章。しかしながら時折見せる敢然と立ち向かう決意に満ちた表情に救われる。この曲がこれほどまでに精神性にあふれていたのかと改めて実感させる名演である。
我々はなぜジュリーニに魅了されるのだろうか? それはマエストロが曲に寄せる深い愛情と作曲者に対する謙虚なリスペクトを、演奏者と聴衆が強い一体感を持って体感することができるから。ジュリーニの新世界を聴いていると、そんな哲学的なことを考えてしまう。そしてまた、この演奏もテンポの遅さ故に、ジュリーニの録音に絶えずつきまとう批判的な論評が多いのも事実である。どのように受け止めるかは聴き手の自由なので、僕はそのような批評に反論するつもりはない。チェリビダッケの異常なまでのテンポの遅さが批判されることが少ないのは、ホールで生で聴くための最良のテンポを意図していることを誰もが知っているから。一方、演奏会と合わせてセッション録音をすることの多いジュリーニとは言え、決して演奏会に適したテンポを録音にも再現しているわけではなく、常に作曲者の意図した思いを最も的した形で伝えるために解釈して帰結した結果であることが自然と理解できる。第1楽章の冒頭、遥か遠くの異国から思いを伝えようとする作曲者の意図をここまで的確に表した演奏があっただろうか。第2楽章は郷愁というより祈りそのものだ。第3楽章はマエストロの息づかいをしっかりと感じ取ることができる。第4楽章もジュリーニらしく控え目ながらもスケールの大きさを余すところなく描き出す。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
交響曲第8番 ト長調 1990年
ジュリーニらしい息の長いフレージングで開始される。続いて奏でられるフルートの音色のなんとすばらしいことか。そして雄大な景色のパノラマが次々と現れては消えていくようで、第1楽章が終わってしまうのが名残惜しい。第2楽章もゆったりとしたテンポで静かに穏やかに進行する。1秒でも長くジュリーニのドヴォルザークに浸っていたい僕にとって実にありがたい。第3楽章はジュリーニの至高の芸術が味わえる切ないカンタービレ。第4楽章は、澄み切った青空に高らかに鳴り響くトランペットのファンファーレ、ささやくようなティンパニーの後、感動的なチェロの旋律が流れると高揚感は最高潮に。そして、これ以上望むべくもない究極の変奏が続く。極上の料理を堪能したような満足感だけが残る名演中の名演。
●ヴァーツラフ・ターリヒ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第8番 ト長調 1951年
交響曲第9番 ホ短調 1954年
フルトヴェングラーは著書「音と言葉(原題は "Ton und Wort" )」の中で、指揮者を「楽譜を正確に再現し、秩序だった演奏を作る優秀な再現者」「作品の内部にある生命を掘り起こし、その都度新しい真実を提示する創造者」の2種類に分類している。そして後者の代表格として、ターリヒのことを「ターリヒの周囲にいる指揮者たちは、彼が次にどんなものをもってくるか、いくぶん落ち着かない気持ちで見守っている」と最大級の敬意を表している。また、ターリヒの指揮するドヴォルザークを聴いたムラヴィンスキーは、「これを聴いてしまった以上、自分はもうドヴォルザークを振れない」と語った話も有名だ。このときムラヴィンスキーが聴いたのがどの曲だったかはわからないが、第8番か第9番のどちらかであろう(第8番説が有力)。ところでターリヒはチェコ人ではあるが、生まれはモラヴィアである。日本ではチェコ=ボヘミアという図式が一般的だが、実は、チェコはボヘミアとモラヴィアからなる。かつてのモラヴィア王国は、広大な版図を有していたこともあり、独自のアイデンティティを持っていて、チェコ人ではなくモラヴィア人と自負している人も少なくない。そのような中で生粋のモラヴィア人であるターリヒは、モラヴィア出身のヤナーチェクに深い共感を示しているとは言え、あくまでチェコ文化の確立という点に重きを置いている。クーベリックもアンチェルもノイマンもボヘミア生まれなので、チェコ・フィルの黄金時代を築いた4人のうち、ターリヒだけがモラヴィア人という事実は興味深い。
第8番の第1楽章は意外なほどに淡々と進行する。ターリヒは曲全体にストーリー性を持たせて展開しているのであろう。徐々に感情の起伏が高まって行く。第2楽章はゆったりと叙情豊かに流れ、第3楽章の入りは鳥肌ものだ。ピークは終楽章で、これほど情感のこもった演奏に出会ったことに感動を禁じ得ない。
1954年9月にプラハのルドルフィヌム(ドヴォルザーク・ホール)で収録されたこの演奏は、ターリヒ最後の新世界の録音となった。どの楽章も超がいくつもつく名演だが、第2楽章は格別。この演奏に感動しない人がいるだろうか。第3楽章はキラキラと輝くような躍動力あふれる演奏で、特にトリオが凄いことになっている。この録音は第8番と比べると音質が格段に向上しており、モノラル録音であることを忘れてしまう。
●カレル・アンチェル
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
交響曲第8番 ト長調 1970年
この録音の魅力は何と言っても臨場感あふれるライヴ録音であること。第1楽章の緊迫した展開部、第2楽章で突如として現れる恐怖感、郷愁そそる第3楽章、ダイナミクスの妙が冴える第4楽章と、これ以上望むべくもない迫真の演奏が駆け抜ける。完全フライングの拍手も致し方ないか。
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第9番 ホ短調 1961年
ケルテス/ウィーン・フィル盤と双璧をなす歴史的名盤。この2つの名演が同じ年に演奏された事実は興味深い。感情を抑えた明晰なサウンドの内側に秘められたエネルギーが感じられる、すばらしい演奏である。第4楽章に至っても落ち着き払った冷静さを保ちながらも、最後のコーダでわずかながら感情の昂ぶりが現れるところが感動的だ。木管の美しさや弦楽器の透明感が際立つ演奏だが、僕が最も印象的に感じるのはティンパニー。第1楽章の冒頭から、これまで聴いたこともない音の響きに驚き、第3楽章のリズム感あふれる妙技に心が躍る。このティンパニー奏者が誰なのかは不明だが、アンチェルによって引き出された、奇跡的な響きであることは間違いない。古い録音のためディスクによって録音状態の差が大きいようだが、僕の持っているBlu-spec盤は、鮮明でクリアなサウンドを届けてくれて申し分ない。
●イルジー・ビエロフラーヴェク
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第8番 ト長調 2013年
交響曲第9番 ホ短調 2013年
僕が所有する唯一のビエロフラーヴェクのディスク。栄光、挫折、復権と、時代に翻弄され続けたビエロフラーヴェク。不屈のマエストロは意外なほどに暖かみのある演奏を奏でる。44歳の若さでチェコ・フィル首席指揮者に抜擢されたものの、民主化の意味をはき違えた楽団員の投票により、あろうことかドイツ人のゲルト・アルブレヒトへの交代を余儀なくされる。アルブレヒトもまた悲運の指揮者である。300年に及ぶハプスブルク家の支配、ナチスの侵攻、東ドイツによるプラハの春への武力介入という責めを一身に背負わされることになるのだから。迷走を繰り返した末に、我を取り戻したチェコ・フィルが、20年ぶりに三顧の礼でビエロフラーヴェクを迎える。それにしてもビエロフラーヴェクの懐の深さには畏れ入る。
さて、落ち着いた温もりを感じられる音の世界に分け入ってみよう。なんて優しい第8番なのだろう。第1楽章は金管も抑えめで、穏やかな情景が静かに広がっていく。そして史上最も美しい第2楽章。冒頭から深い慈しみが感じられる。後半、あまりに長大なゲネラルパウゼの後、わずかながら感情の高まりを見せたかと思うと、また落ち着きを取り戻し、静かにフェードアウト。そして、インテンポですっと第3楽章に引き継いでいく。終楽章も柔らかな表情のまま、愉しい変奏の世界を紡ぎ出す。すばらしい。
第8番ほどではないが、第9番もなかなかの名演。やはり第2楽章は、心に染み入る。全曲を通じてルドルフィヌムの自然な残響を意識した美しい演奏だ。ところで、このディスクの録音はセッション録音ではあるが、何かが落ちる物音や楽団員の咳の音が聴こえる。録り直しやパッチングを選択しなかったプロデューサーの判断は正しい。DECCAの録音技術もすばらしく、まさにチェコ・フィル再生をかけた記念碑的作品に仕上がっている。
●ヨーゼフ・カイルベルト
バンベルク交響楽団
交響曲第9番 ホ短調 1961年
新世界のベスト盤の地位はケルテスに譲るが、一番好きな新世界は、と問われれば、このディスクを挙げる。古き良き純正ドイツ音楽を象徴する、まさに僕の趣味と完全一致した演奏である。ドヴォルザークと言えば民族的な側面ばかりに焦点が当たるが、そもそもワーグナーとブラームスの影響を色濃く受けているのだから、正統的なドイツ的演奏が合わないはずがない。荘厳な雰囲気の序奏に始まり、重々しい低弦に力強いティンパニーと、重厚感あふれる演奏で、生命力ある息づかいの木管は、続く楽章での名演を予感させるに十分だ。そして予想を大きく上回る第2楽章の郷愁感と、第3楽章の躍動感。第4楽章は、力強く壮大な世界を描き、最後は高速で颯爽と締めくくる。充足感に満たされる演奏だ。
●ヴァーツラフ・スメターチェク
プラハ放送交響楽団
交響曲第9番 ホ短調 1974年
「音質はケルテス盤ほど潤沢ではなく、オーケストラの緻密さも劣るが、土俗的な迫力と芸術的な鋭さ、深さはケルテスの上を行く」 宇野功芳氏が著書の中で述べた評価が、このディスクを名盤に押し上げる大きな要因になったことは否めない。ティンパニーの豪打と金管の強奏ばかりに耳が奪われがちだが、郷愁を誘うふくよかな木管の響き、落ち着いたピチカート、研ぎ澄まされた弦の音色、と魅力の詰まった演奏である。AIが作ったようなCDジャケットが笑える。
●フェレンツ・フリッチャイ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第9番 ホ短調 1959年
これが本当にベルリン・フィルなのか。フリッチャイのテンポの揺れに戸惑うかのようにアンサンブルが乱れるが、それが奇跡的な名演を生み出す。この演奏を聴くと、チェリビダッケの毒舌が思い浮かぶ。ベルリン・フィルとの関係が修復不能な段階になった頃、チェリの解釈に楯突いた団員に「田舎のオーケストラが何を言うかっ!」と一喝。ベルリンが田舎? 日本人にはなかなかピンと来ないが、音楽の中心地のオーストリア、南ドイツからは、北ドイツは田舎にしか見えないのであろう。意図したものかどうかはわからないが、フリッチャイ/ベルリン・フィルの粗野な響きの演奏は、音楽後進地「新世界」にぴったりである。好き嫌いがはっきり分かれるが、僕はこういう演奏が大好きだ。そして何より臨場感あふれる音質がすばらしい。ステレオ初期の録音だからであろうか、モノラル録音のような肌触りが感じられる。
●オットー・クレンペラー
フィルハーモニア管弦楽団
交響曲第9番 ホ短調 1963年
クレンペラーが「旧世界より」届けてくれた至宝と言える。風格があって、骨太で、鈍重で、大味で、暗く、陰鬱で、豪放で、凄みの効いた最高のドヴォルザーク。提示部の繰り返しや、ヴァイオリンの両翼配置といった前近代的なスタイルと完全に合致した歴史的名盤。ウォルター・レッグの名プロデューサーぶりに改めて感服。
●セルジュ・チェリビダッケ
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第9番 ホ短調 1985年
2017年になって、ようやくミュンヘン・フィル自主制作レーベルから発売となった幻の名演は、チェリビダッケが「異世界」に導いてくれる。古今東西を通じて最も遅く、かつ最も小さな微音で開始される。そして一音一音、すべての楽器が丁寧に音を紡ぎ出す感動的な演奏が続く。第2楽章は異次元の美しさだ。聴き慣れた曲であるのに、これほどまでに奥深い曲であったことを改めて実感する。タイムを確認すると、なんと16分43秒。なのに不思議なくらい、全く長いと感じない。第3楽章からは通常テンポとなるが、丁寧な演奏はそのまま。第4楽章は、お決まりのチェリの雄叫びが何ともカッコ良い。
●カール・ベーム
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第9番 ホ短調 1978年
ドヴォルザークの交響曲の聴き比べをしようと思ったときから決めていた。聴き直しの最後を飾るのはベーム以外にないと… 高校生のときに発売されたレコードは衝撃的だった。ベームの新世界? 違和感しかない、しかし買わないという選択肢はない。珍しいレパートリーではあるが、ベームは決して期待を裏切らない。CDになっても僕の愛聴盤に変わりはない。ウィーン・フィルの美音を活かしつつ、ドイツ的な重厚感を押し出した「別世界」の佇まいに魅了される。ヴィオラ、チェロ、コントラバスによる冒頭に驚く。弱音で奏でるだけでなく、透明感あふれるサウンドは、まるでプルト数を減らしたように室内楽的に聴こえる。このアプローチにより、木管に応えるヴァイオリンの響きがいっそう引き立つ。こういうところにベームの巧みさが表れる。落ち着いた郷愁感の第2楽章を経て、次第に迫力を増していき、曲全体を壮大クレシェンドで描く。ベームの偉大さを実感する名演中の名演。
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