クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調

Ne-dutch


● 聴き比べ(続き)

第16位:オイゲン・ヨッフム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1964年

第1楽章と第2楽章はテンポも速く、荒々しく武骨な演奏。一転、第3楽章はゆったりと優しく、心に染みわたっていく。なるほど、ヨッフムの狙いどおり、対照的な演奏の違いが感動を呼び起こす。イエス・キリスト協会での録音も神に捧げるつもりで書いたこの曲にぴったりだ。この3か月後、カラヤンが同じ会場で、同じベルリン・フィルを振った録音があるようだが、一体どんな演奏だったのだろうか。

第17位:朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団〈原典版〉1995年
朝比奈は、この曲の録音を8種類遺しており、91年の東響盤、93年の都響盤、95年の大フィル盤の評価が高い。一番脂の乗りきっていた時期だけに、どのオケを振っても朝比奈イズムを正当に体現できたのであろう。この大フィル盤は、録り直しがあり発売が遅れたが、3回目の全集の最後を飾るのにふさわしい名演となった。弱音指定を無視した推しの強い冒頭から安心して聴ける。第6番でも触れたが、ブルックナーの強弱指定はおかしなところがあるので、囚われる必要は全くない。アダージョ楽章に至るまで、曲全体を通して力強く、スケールの大きな、朝比奈らしい演奏だ。

第18位:ロブロ・フォン・マタチッチ/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団〈原典版〉1980年
マタチッチらしい豪快さと繊細さとを兼ね備えた名演。第7番同様、チェコ・フィルとの相性も抜群だ。やや抑制されたスケルツォは、アダージョ楽章での金管の咆哮を引き立てるために計算されつくした結果であろう。この演奏をマタチッチらしくないと言う人は聴き込み方が足りないと言わざるを得ない。

第19位:フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ放送交響楽団〈原典版〉1962年
第2番同様、ライプツィヒ・コングレスザールでのライヴだが、こちらはゲヴァントハウス管ではなく、ライプツィヒ放送響。死の2か月前の演奏だが、枯れた感じは全くない。それもそのはず、まだ60歳という若さでの急逝だったのだから。コンヴィチュニーらしい、一度聴いたら忘れられない個性的な名演である。テンポの揺れは大きく、第1楽章のコーダは感情たっぷりに締めくくる。第2楽章のテンポの遅さは異常とも言えるほどだが、誠に味わい深い。第3楽章は、お世辞にも美しいとは言えず、最後まで持ち前の武骨さで押し通す。当初のWEITBRICK版では、ステレオ録音となっていたようだが、MEMORIES盤ではモノラル録音と正しく表記されている。1962年と言えばステレオ録音が主流になりつつあったが、この録音はラジオ放送用で、当時はFMステレオ放送がまだ一般的でなかったからであろう。音質は悪くない。

第20位:リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団〈ノヴァーク版〉1996年
もしかして第1楽章と第2楽章は、優美で繊細なシャイーには不向きでは? そんな心配は全くの杞憂に終わる。第1楽章は骨太な冒頭部分から、歌うような第2、第3主題と、この曲の魅力を十分に表している。第2主題のバランス感も良い。この上なく美しい第3楽章は、シャイーがもっとも得意とするところ。全楽章を通じて、例えるなら高級フレンチのような上品でまろやかなテイストに大満足。時折り添える木管の味付けに舌鼓を打ちながら、甘いデザートのようなコーダに至るまで堪能させてくれる。

第21位:オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団〈ノヴァーク版〉1978年
基本的には旧全集と同じスタイルで、タイムもほぼ同じ。でも何かが違う。ベルリン・フィルの方がヨッフムの意図を正確に理解していたということだろうか。すでに多くの人が指摘しているようにブラスセクションが働きすぎで、思わず、ベーム/シュターツカペレ・ドレスデンのシューベルトの第9番が頭に浮かんだが、僕自身はそれほど嫌いではない。ただ、シュターツカペレ・ドレスデンらしい洗練さが感じられないのは残念。

第22位:シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈原典版、第4楽章シャラー校訂2018年改訂版〉2018年
2010年の録音からの進歩がめざましい。すっかり大指揮者となったシャラーの重厚感あふれる見事な演奏。2年前にはシャラー自ら第4楽章を校訂した版を世に問うたが、これはさらに改訂を加えたもの。シャラー校訂初版は持っていないので比較はできないが、このシャラー校訂改訂版は数ある補筆稿の中で一番優れているのではないだろうか。手を加え過ぎ、との批判もあるが、そもそもスケッチしか残っていないのだから、いかに手を加えるかが補筆の腕の見せどころ。この版はコーダが感動的に仕上がっており、ブルックナーらしさという点は置いておいて、完成版としての意義を十分果たしていると思う。また、解説に第4楽章の構成がタイム付きで記されているのが、ありがたい。これにより、補筆稿の問題点がわかった。主要主題が一つしかなく、その出現も感動的とは言えず、コーダの盛り上がりも今一つといったところか。僕ならこうする。まず序奏の後に第1〜3楽章の主題を再現させて、否定した後(第5番やベートーヴェンの第九のように)、主要主題を第1主題として感動的に登場させる。嬰ヘ長調のトリオを第2主題として充実させ、コラールを第3主題とする。展開部の後半では第1主題と第3主題の二重フーガとして発展。コーダの第1楽章の序奏の再現は長く引き伸ばしたうえに、第4楽章第1主題と絡みながら上昇させていき、壮麗な最期を迎える。あぁ、自分に作曲の才があれば…

第23位:シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈原典版、第4楽章キャラガン校訂2010年改訂版〉2010年
シャラーは第9番を3回録音しているが、どれも第4楽章付きである。キャラガン校訂による補筆稿は4種類あるが、この盤は最後の2010年に完成されたもの。どうしても第4楽章に関心がいってしまうが、第1〜3楽章もすばらしい演奏である。で、僕は第4楽章不要派なのだが、このキャラガン版を聴いた感想は、あっても良いかな、という感じ。ラトルのサマーレ・マッツーカ版のような違和感は感じられない。とは言え、どの補筆版を聴いても、改めてブルックナーの偉大さを再認識することに変わりはない。散失してしまった第4楽章のスケッチは、今でも捜索を続けているそうで、コーダを除いてほぼ揃ったとのこと。ブルックナーは、楽章ごとに、構成を明確に立て、スケッチを描き、それらを組み立て、推敲を重ねる。材料はほぼ揃ったのだが、補筆稿を聴くと、ブルックナーは推敲段階で、常に大幅な修整を行っていたことがはっきりとわかる。

第24位:アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団〈ノヴァーク版、第4楽章サマーレ/マッツーカ/フィリップス/コールス校訂版〉1992年
どうしても第4楽章に興味が行ってしまうが、第1〜3楽章も注目に値する、すばらしい演奏。アイヒホルンの真面目で丁寧に音を紡ぎ出す姿勢は好感を持てる。しっとりと歌い上げる第1楽章の第2主題は聴きどころ。落ち着き払って演奏する第2楽章のバランス感も良い。この演奏で一番すばらしいのは第3楽章。特に後半の金管とティパニーの圧倒的な強奏は感動的である。そして第4楽章。同じ補筆稿を使ったラトルの表層的な演奏に対し、アイヒホルンは、半年間この補筆稿を研究し尽くした成果であろうか、ブルックナーの意図を探るような懸命さが覗われる。しかしながら、キャラガン版やシャラー版と比べた、この版のできの悪さは如何ともし難い。

第25位:ゲオルク・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団〈ノヴァーク版〉1997年
全集の中では、なぜかこの演奏の評価があまり高くないが、ティントナーらしい、雄大でスケールの大きい名演ではないだろうか。確かにスケルツォがやや軽く感じられるが、両端楽章で、非力なオケの技量を実力以上に引き出す様はさすがである。ヴァイオリンの両翼配置が映える。

第26位:ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団〈コールス版〉2002年
このCDの特徴は、1枚目に、第4楽章を断片的に演奏しながらアーノンクール自ら解説した様子が収められていること。大変興味深い内容だが、一度聴けば十分。最後に補筆版を通して演奏して欲しかったが、未完のままにしたかったアーノンクールの美学なのだろうか。2枚目の第1〜3楽章は、コールス版の世界初録音。第1楽章の中間付近で突然降ってくるティンパニーは面白いが、第2楽章のトリオや、第3楽章での急加速にはついて行けない。折角良い演奏をしているのに残念。