梅岩山竜泉寺

🗺西七根町🗺

✨臨済宗✨ 東観音寺末✨

当寺は東観音寺中興玉岫和尚
の創立と伝えられるが
その年代は不明で、初め海辺に
あったが波浪のため何れたので
この地の代官戸田三郎兵衛から
元屋敷同様の換地を受けて
移転再興した卍卍享保十三年
当寺書上に
✨田畑✨三畝廿九歩
✨山林✨ 六十間四方 
✨客殿✨ 四間
         五間半
住持祖潜和尚の代十五年前
(正徳四年に当る)建立
✨庫裡 ✨三間半
                   五間半
住持潜和尚の代十五年前
正徳元年に当る)建立 三間半
                                              五間半
山門なし、檀徒四十五戸

と記してあるので、前記浜欠
宝永四年の海壊に依ったものと
思われる卍卍また当寺の
本尊如意輪観世音座像基作は
後世の再興であったと伝えられ
旧幕時代東観音寺末の平僧地で
あったが、明治初年廃寺となり
その趾に明治卅六年十月
聴松寺が移転し、伝糸の
仏像等は東観音寺に移した卍卍


資料だと『龍泉寺』です
他の資料だと『竜泉寺』です
う〜んショボーンショボーン


お寺です卍卍


普陀山慈照庵
🗺東赤沢町🗺
✨宗旨不明
当寺は東赤沢の海岸
真竜院の南東約十町の地に
あった寺で、初め真言宗で
あったのを後世曹洞宗に
改めたものと思われ
その創立年代は不明であるが
本尊魚籃観音立像二尺五寸
許厨子入は、後世の修補は多いが
鎌倉期名工の作と云われ
古来庶民の信仰があつく豊漁を
祈って賽客常に市をなしていたが
維新後衰退して明治十 二年春廃寺
となり、同所の真竜院に合併し
仏像等を同寺に移し、寺域は村の
共有物となったが、この本尊仏に
就ては当寺に伝説の記録がある
この記録によると
往昔後醍醐天皇の
元享年中(一三二二一〜一三二三)
当村の田畑は不作となり
農民は苦しんでいたが村人久作
は仏法熱心の人で常に法華経を
誦していた卍卍
一夜海上に光物があり漁網に
掛って現われたのがこの観世音で
下稔、豊後、三河の当寺と
共に日本三魚籃観音と
称えられている云々卍卍
なお宝十一年
野依村神主彦坂常征古稀賀
集の中に
赤沢村慈照庵僧白華淨瑞として
賀詩一篇を贈った旨の記事があり
当時相当の学僧が居たことが
想像される卍卍