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maple8cinnamonのブログ

メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
お暇な方だけお付き合いいただければ幸いです。

昨日、台東区役所に行って、初めて「障害者手帳」というものをいただいた。

先月半ばに申請し発行まで1カ月位を要すと言われていたが、ちょうど1週間前くらいに「あなたの障害者手帳ができました」旨の電話を受けたので3週間程で完成したことになる。

最近こういうルーティン的なものはお役所仕事と言えども速い。

 

通常は免許など本人確認資料とシャチハタじゃない印鑑だけで済むのだが、今年元日時点で文京区にいた私の場合は、文京区発行の課税・非課税証明書の添付が必要だった。

 

昨日、文京区・台東区と区役所をハシゴして、無事障害者手帳を受け取った。優遇サービスをまとめたマニュアルまでもらって、漏れなく享受するのは大変そうだ。

 

 

表紙はこんな感じ

 

都のイシューなので都バス、都営地下鉄、舎人ライナーは無料だけど、帰りに乗った台東区の巡回バス「めぐりん」は通常と同じ100円。
でも最後に乗ったタクシーは1割引。410円が360円だった。

 

 

顔写真付の折り返し(ウラ)側

(こっちはいつ誰に見せるのか?)

 

 

 

前々回、最後にちょびっと書いたが、今バスケットボールにじわじわハマろうとしている。

 

私は今もう、65歳になって、残念ながらリハビリに通う身になってしまったので観るだけだが、youtubeでプレイを見てるだけで、体感を移入できるのか体の筋肉がうごめいてくる。

こんなフリーな身分で腰を据えて観るのも初めてなので、Bリーグを観るべきかNBAを観るべきか、はたまたメディアはその際どれがいいのか、なかなか答えが出せない中、とりあえずyoutubeを観てる。

 

するとやはりコンテンツの量の差か、おのずとBリーグよりはNBAを観ることが多くなった。

そしてバスケットのポジションの中で自分が目を惹かれているのは、どうもPG(ポイントガード)という役割の選手だということが分かった。

その中でも最も私を魅了しているのが、ゴールデンステイツ・ウオリアーズのステフィン・カリーという選手だ。3Pシュート成功率が驚異的に高い天才である。

 

実際の人気もかなりのものらしく、今年9月に来日予定とスポーツ関連サイトに出ていた。

来月だ!

今のところ、何をしに来るのか、何をすればいいのか分からない。(笑)

アメリカのプロチームは、きっと野球同様複雑だろうからいっぺんに覚えるつもりは無いが、とりあえず彼の所属チームは覚えた。

 

まあ、英語の実況に耳をさらすのも面白いし、NBAなら多少課金されてもいいかなと思い始めている。

 

 

オウム真理教による一連の事件の死刑囚13人の死刑が先月7月の間に2回に分け、執行された。
 
これについては、「なぜ同月内に13人一度に死刑執行したのか?」とか、「安倍は死刑廃止論議から逃げるな!」「死刑にこんな積極的なのは日本だけ」「まだ事件の原因が分からない!」などいろいろ批判めいた意見が飛び交っている。
死刑廃止論議などここでは関係ない。
また個別の事件に絡めて言うべきことじゃない。廃止論者が主張する機会として事件を利用しているだけだ。
 
こと、この事件の死刑執行に関しては過去の執行の前例とか、法解釈的にどうとか持ち出してあれこれ評価するのはいかがなものかと思う。

不幸にして、この歴史的にも類を見ない異様性・独善性・残虐性の際立つ事件の当事者になってしまった人々にとっては、現在・過去・未来の他事案にはまったく関係なく、この事件だけの仕舞い方が求められてしかるべきだと思うのである。

 

また「この事件を風化させてはならない」と叫ぶのなら、7人、6人を同時に執行した異例措置は正解だったのではないか。

事件の総括の議論は休みなく永遠に続けることはできないし、日本人はなかなか結論を出さないし…、だったら一つの記録としてこうした形での死刑執行が異例中の異例として過去にあった、という事実を歴史に刻めるではないか。

結論の出ない議論は歴史に残せないのだから。

 

死刑廃止論議もこの事件の起きるずっと前からあるもので、それは引き続きやっておればいい。ただ外国と比べてどうこう主張する輩は卑屈としか思えない。人々の処罰感情というものはその国どころか、社会それぞれの文化・宗教・死生観などに大きく左右される事柄だ。アメリカ50州のうち20州には死刑が無い。州によってまちまちなのだ。国連は日本に死刑廃止勧告をしているそうだが気にすべきでない。内政干渉だ。

さらに外国のデータを頼りに死刑を時代遅れなどという日本人もいるが、日本人が言っているとしてもある種内政干渉だし、ピントがずれた雑音だ。時代も何も関係ない。今の日本社会にとってどうなのかをピュアに追求するべきである。

一方で冤罪防止に関しては、最大限の英知で進めねばならない。

 

ただ、この事件の処理で残念だったのは、後継団体・アレフの活動を認めてしまったことではないだろうか。

おそらく私だけではない大多数の人々が、麻原逮捕直後から

オウムは当然無くなるものと頭っから微塵の疑いもなく思い込んでいたと思う。

そこに、宗教専門家からだったか残留信者たちの精神的受け皿として、引き続き後継団体での活動を認めるべきとする意見も出てきて検討しているという報道を聴き、びっくりした記憶がある。

 

その理由として、曰く、行き場を失った信者たち(特に出家信者)が、自暴自棄に陥ったり、拠り所を失って自殺したりする者が出るかもしれない…。

言わば、宗教的救済という側面での配慮が主な内容だった。

ところが、この一部信者への配慮のお陰で、表向き信者の自殺や騒動などの報道は無かったが、麻原信仰の教義を残した為に教団の異様な独善性まで厳然として残っており、各施設の近隣住民の不安は事件当時のまま継続しているのである。
あの時の当局判断で、結果的にオウムの遺伝子を持ったアレフが残り、逆に事件が風化したことでそれを知らない若者の入信者が増えて、勢いを増していることは耐え難い皮肉である。

 

あの時麻原を逮捕して気が緩んだのか、表面に見える無力な信者たちに目を曇らされ、オウムを宗教団体として扱ってしまったのが間違いだった。

その時点では一旦小さくなったとはいえ、コアの部分はまさに「その時」に壊滅しておかなければいけなかった暴力性や反社会性の化身、恐怖のテロ集団の「種」のままだったのだから。

やはり徹底的に解散・殲滅させるべきだった。

 

前々回に書いたように、中3の時の50m走の計時が確か9秒8とか、もうほぼ10秒だった。

小学校高学年の頃には、もう自分は足が遅く走りは苦手、という自覚があった。その頃は肥満児全盛期だったのだが、中学からはスポーツというものに触れ、3年時にはよく締まったいい体格になっていた。

それでも、足は速くならなかったのだ。

体力は十分に、平均以上にあったと思う。

そんな私は東京都心近くに生まれ育って、学校でもそれ程長距離を走らされることが無かったので、その点については時々今でも感謝に思うことがある。

 

その中学3年の間、自分はバレーボールに楽しみを見出し、無心にやっていた。

我が母校は私が入学したときが創立6年目の若い区立中学校で、バレー・バスケ・テニス・卓球・体操ぐらいしか無かったのだが、バスケ部は早々に実績を挙げ、体育教師が直々に顧問を務める精鋭集団であると入学時に説明された。

 

それを聞いた途端、私はまずバスケ部への入部は頭から消去した。

そんなバスケ部にまったく活発な要素のない自分が行く訳にはいかないと、即断したのだ。

結局、昼休みの校庭で初めて触れたバレーボールが手に馴染み、そのまま部活に参加した。

ちなみにバスケットボールは体育の授業で初めて触れ、サッカーボールなどは中学時代見たこともなかった。(笑)

 

まあ、とにかく前々回に書いたように中学のバレー部では自分なりに夢中に取り組めたことは間違いのない事実だが、実績は何一つ思い出せないし、同学年の部員も誰一人思い出せない。

本当に試合ができる人数がいたかさえ怪しい。

 

そして、皮肉なことに、高校でも入学時にバスケット部は昨年都でベスト8の結果を出したみたいな話を聞いた。中学校の入学時とまったく同じだ。この時も同様で、自分は走るのが苦手だからコート内を走り回るバスケットボールじゃお荷物になるのが関の山だ、と考えた。

 

ほぼ自動的にバレー部をチョイスした。

そして同期の部員は私の他1名。つまり私を含めて計2名!

なぜか1年上は5人もいたが、当時流行の学生運動に傾倒している人が複数いて、一方で主将は澄んだ瞳の静かなる熱血青春好男子だったり。

また合宿でもの凄く臭いオナラを超笑顔でかました能天気な先輩や、とにかくバラバラな個性の寄せ集めが、本当にコート外じゃ見事過ぎるほどバラバラでクラブ活動としてどうなのかとふと疑問に思うことが度々あった。

そのくせ時々現れる3年やOBは、ボールの感触を体に染み込ませる為にバレーボールを抱いたまま寝た先輩の話をしては喝を入れていたが、試合はほとんどなく当然それを想定した練習やミーティングもなく、高校のバレーボールは入部したものの楽しくなかった。

 

結局、私は3年になって間もないある日、バレーコートで全校生徒の注目を集めるほど躍動したのだが、その時はバレー部員ではなかった。

2年に上がる時にやめていた。

私は3年になっても、同学年の多くが寸暇を惜しんで受験勉強に没頭している中、相変わらず昼休みにバレー・バスケに汗を流し、放課後も同期のバスケ部員に近づき練習に参加したりしていた。

背景には、勉強を犠牲にしてでも家に帰るのを遅らせたいという悲しい事情もあったのだが、表面的にはいつまでも青春を続けている高3だった。

 

ただバスケは正式に部員だったことは一度も無いが、中学で初めてボールに触れた時からドリブルは普通に走っているスピードとほぼ変わらずに、ほぼ自由に動けた。高校ではいろいろなフェイントやシュートの空中プレイの中に複数の対応や姿勢変化を盛り込めるようになっていた。

今考えると、バスケをしている間は常に楽しかった。

一方で、バレー部がつまらなかった理由が最近になってふいに分かった。

まず私は170cm足らずの身長だったからセッター要員だった。

確かに練習はトスやレシーブ練習が多かったが、スパイク練習ももちろんやる。

 

でも、これがまともに出来た記憶がない。

私の背が小さくて届かなかった訳ではない。

トサーの先輩がまともにトスを上げられないのだ。

毎回スパイクの体勢をとることすらできず、しかも部員10人程が並んで順番に一人ずつトスを上げてもらうので、3・4回しか巡ってこない。

でも、100%トスミスでまったく打てないことの方が多かった。

一方で私はもっと正確に上げていたと思うが、主将から「お前のはフワッと上がらないで、球質が直線的だから合わせにくい」などと言われ、いよいよつまらなくなってしまった。

軌道の正確さより、球質か?!
 
今更だが、ウチの高校のバレー部はかなり下手くそだったってことだ。

その内、部活が更につまらなく感じる状況が生まれた。

我がクラス内に文化部だったが妙にバレーが上手いヤツが見つかったのだ。昼休みの輪の中に自然と入ってきてからだったが、そいつと組んでると、息が合ってほぼ全プレーアタック成功でフィニッシュできるようになり、余程そっちの方が面白くなった。

それも概ね、AかBのクイックでヤツは走り込んで来るので、トスを打点に向かって送り出していた感じで、これは随分上達できたし、楽しかった。

 

前述の3年次、全校生徒注視の中躍動したのは校内のクラス別バレー大会だった。すぐに2年生のバレー部員から再入部を数度にわたって勧められた。でもヘタになる練習がいやでその気にならなかった。

 

でも今思えば、3年だったし入ってみた方が面白かったかなと思える。

 

そして現在、実はバスケットボール(観戦)にはまっている。

一方、その為か今更「バレーボールなんかやるんじゃなかった」という気持ちが確信的に強くなった。

本当に今更だ。(笑)

 

バレーボールはどうしても誰かからボールを受けて、またそれを相手なり他の誰かにパスすることになる。

その時にどんなボールが来るかは、誰か次第なのである。

自分なりに、相手の誰が弱点でそこにどんなプレイで仕掛けてやるかなどと考えても、結局誰かからのボールがとんでもない方向に飛んでいったら、ただ追いかけてなんとか繋ぐだけの対応になる。

気を取り直して、次の展開で新たに戦術を考えてもまた荒れ球対応が続くともうバレーボールをやっている気がしない。

 

バレーと一切縁の無い仲間と出かけて、たまたまあったバレーボールでヒマ潰しにじゃれる時とおんなじ!荒れ球処理オンリー!

 

バスケットはいいねー。

ボールさえ持てば、一人でいきなりシュートでもヨシ!絶妙パスで輝いてもヨシ!

周りが下手くそでも関係ない。