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maple8cinnamonのブログ

メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
お暇な方だけお付き合いいただければ幸いです。

やはり今、改めて価値観なんて曖昧なものじゃなくて、学歴は近い相手と結婚することは大事だと思う。

 

前にも書いたが、今までまともに妻と深く話し合ったことがなかった。

新婚時代、初めてそういう場を持とうとした時から二度続けて、妻に断られてからは止めた。

 

万事決断が早いのは、男勝りの性格によるものだと思っていた。

妻自身も友人の中で、「悩まない」「サバサバした」性格と評価されていることをアピールしていた。

 

これも今では妻に判断はさせない。既に判断したものでも必要であれば遠慮無く訂正する。

 

一般的にIQが20以上離れると、会話が成立しなくなるらしい。20以上低い相手に話題をさらに深掘りすると、途端に「わからない」「知らない」「そういうのいいから」と、そこでその話は終わってしまうのだそうだ。

私の印象では、これは出身校の偏差値に置き換えてもきっと同じ現象が起きるだろうと考えている。

 

今まで妻と深く広く長く、話をしたことはないのは、結局「考えること」が嫌いな性格?によるところが大きいと思われる。

 

 

 

そんなこととはつゆ知らず、現役時代、家のことは妻の意向を尊重して、妻が了解しているのならそれでいいと思って、あえて距離を空けていた。仮に家のことで判断ミスがあっても、他人様に迷惑は掛からないので問題は無かった。

 

 

それが去年の引越し以来、家のことだけで膨大な事柄が降りかかり、障害者の私もフル回転!

 

不動産取引や、様々な手続き処理、諸税申告作業などでは、今まで仕事で使っていた企画営業・事務関係の脳を初めて妻の前で覚醒させることになったので、妻は私の行動や判断を、結婚31年目にして初めて信頼するようになった。
これまでも子供の進学に関するものや事務系の書類手続きは一切、私に任せられていたが、仕事でも連日大量の書類を処理しているので苦も無く気にもせずこなしていた。
妻は少々苦手なのかぐらいに思っていたが、実はほぼお手上げだったのだと思う。それでいながら私に対する感謝の念は感じなかったので、妻も時間さえ掛ければ出来る能力を持っているのだと思ってしまった。
 
転居以降、私は無職であるし家庭内の判断に強く関与するようになった。
これまで妻の判断を見ていて気付いたことがある。
業者など、外部からAかZ、どっちがいいか問われると素直にAかZだけで考えて即答する。
決断理由は「なんとなく」だろう。日程の選択は必ず早い方を選ぶ。
単に「物事は早い方がいいでしょ?」ということだ。
まあ、楽な、いい客である。
 
この場合、自分にとって一番都合がいいのは、正直AとZの間のMのような提案なんだが、どうにかならないか?という考えが一切無いのだ。
万事こんな風だから、何か意見が対立すると決裂しかなく、時々仕事を辞めてきた。そういう時、AとZの間に答えを求める発想があれば、違う結果もあり得ただろう。
 
ただ、考えるにはその材料が必要だ。
それが知識・経験や情報だ。
しかし、「大化の改新」そのものさえも知らない妻は、圧倒的に知識が少ない。それで、もう早い時期から考えることを放棄してきたのかもしれない。
 
でも、それはそれとしても私がより深刻に思うのは、「大化の改新」すら知らないという事実もさることながら、妻は「昨日まで知らなかったことを、知った喜び」といった感性を持ち合わせていないという疑いが生じてきたことだ。

 

数年前から、妻には年齢相応の言葉遣いをしてほしいと思ってきたが、その願いも何だか空しくなってきた。

 

 
泣きそうだ。
 

平成最後の「Qさま!!」3時間SP(4月29日(月)19時~)は、元号シリーズだった。

夕飯の食卓に着いて、番組途中から一家で観た。

まあ、この時期のクイズ番組で、元号に関する問題の限定企画といえば、ほぼ内容はご想像いただけるだろう。

食事をしながらなので、これを観たり観なかったりの小一時間だ。

 

以前は子供の前で、知識をひけらかすのも大人げないと黙って観ていたが、一昨年大手術を経て65歳を迎えた頃からは、周囲を気遣うことは止めた。気が向けば間髪入れず答えを発している。

いろいろ家族の意向や欲望を尊重して、自分のことに執着することはしてこなかったが、その結果の妻や娘の自分への尊重の無さに気付きバカバカしくなった。

これまでは若い娘に答えを促すような空気を、全員が醸し出して、年寄り3人はいたって無口だった。

ところが、私が答えを口にするようになったら、義母も時々答えてみたり、昔の映像が出ると思い出を差し挟んできたり、少し変わってきた。

 

妻とは今まで2回位しかカラオケに行ったことはないが、私が上手く歌うとテンション下がり、妻の間違いを私が訂正すると急に怒り出したりする傾向があった。

それなのに、クイズの正答に対しては、割合素直にリスペクトな反応を示すのだ。

「なんでそんなこと知ってるの?」といった具合で始まり、それを更に続けても嫌悪するどころか、私が答えることも楽しんでいる様子なのだ。

 

私は、比較的「本当によく何でも知っている」ヤツが多い広告業界で、「本当によく何でも知っているね!」と言われてきた男だ。

それもネットなど無い時代に。それは転職後も同様だった。

でも、我が妻はそのことに露とも気付かず、これまで来た。

ずっと私を見下してきたからだ。

私が知るところを述べると疑ってかかり、ママ友や地元の先輩に確認してやっと信じる。ここで答えが食い違ったら自動的に私が間違っていることになる。

私にとしては、あまりに当たり前なことを否定されて、驚きと同時に焦る。

いざ説明しなければと思うと、当たり前なことを説明するのは信じられないほど難しい。

ほんの数年前までは妻が多少不勉強な人間だと思っていたから、彼女がどこまで理解できるか探りながら、噛み砕いて解説するので上手くいく訳もない。

自分が50年前、学生時代に納得した内容を今更解説って、、、出来ないよな!?

今は多少不勉強どころじゃないって分かった。もう説明なんかしないよ。

社会に出たらみんなそこは理解しているって前提でこれまで過ごせていたんだから、、、何でウチのカミさんだけ分かってないの?

 

その日も妻は番組を観ながら、「へー、知らなかったー」とか「聞いたことないー」とか素直にリアクションしているが、私はそれを見て、「こんなことも知らないのか!」とか「これは知ってなきゃ!」などと真逆な発見をしていた。

そして「これは、俺のことなどまったく理解できないわ!」と観念もした。

 

そんなことを思いながら、ふと顔を上げると「大化の改新」の問題だった。

人の顔が3人並んでいて、それぞれの下の空欄がある。各人の名前を答えよ、という問題だろうと思い、すかさず「中大兄皇子、藤原鎌足、蘇我入鹿」と答えたら、妻が「聞いたことないー」と何一つ悪びれず歓声を上げたのだ。
確認すると、私の答えを聞いて『そう言えば聞いたことがある』ではなくて、『本当に初めて聞いた』そうだ。
とどめに「大化の改新」も知らなかった。
 
互いに60を過ぎてから、相次ぐ相手のことへの新発見。
結果、妻の私への評価にはかなりリスペクトが混ざったように思えるが、私は妻に対して立ち直れないほどの絶望を感じていた。
その妻の変わりようを観て、「この人はほとんど全ての者に対してマウントを取ってきたんだな」と知った。
他人を常に自分の上か下に峻別して、あからさまに態度を変えても恬として恥じないのだ。
 
それなのに、プライドはなぜそんなに高いの?!
 

千束通りからひさご通りまで、この一帯は水曜定休のお店が多いのだが、さすがに10連休GW明けの今日は、火曜日とはいえシャッターを閉めている店舗が目に付いた。

特にひさご通りの南半分は、天皇崩御を思い出させる閑散ぶりだ。

 

 

それでも、堅く扉を閉ざしたJRAの前には、来週末に迫った「三社祭」関係の提灯設置の木枠が、静かに置かれていた。

 

 

 

浅草は、今ひとときの「嵐の前の静けさ」の中にある。

 

 

平成から令和への改元ドラマはまだ続く。

 

即位の礼に向けてトランプ米大統領を始め各国首脳の来日が予定されている。トランプ氏に関しては、大相撲夏場所の表彰式に参加する計画まで噂されている。

 

 

そんな中ですっかり忘れていたが、この浅草では今月半ばに「三社祭」が控えていた。

写真は4月28日(日)の朝、ひさご通りで撮ったものだが、お祭り用品の「あだちや」さんで三社祭の提灯を引っ掛けている。

これを見て思い出したのだ。

しかも今年は「三社祭」の右横に「奉祝 新帝御即位」と書き添えられている。

 

昨年は引越し後、初の三社ということで家から一歩も出なかったが、今年はどうしたものか。。。

 

 

平成天皇が上皇となり、ついに皇太子殿下が今日から今上天皇となられた。
誠に目出度く、お祝い申し上げます。
 
今まで教科書や百人一首でしか見たことのなかった「上皇」。
今後、上皇なので、その存在感がどれほどのものになるのかは未知数だが、これまで30年に亘って天皇陛下であられたので、しばらくはその動静が逐次報じられるのだろう。
特に、昨日の最後のお言葉で、国民に対し「象徴としての私を受け入れ、支えてくれたことに感謝します」と述べられた時には、なぜか思わず目頭が熱くなるのを覚えた。
 
人間は知・情・意で動く生き物と言われるが、日本人は天皇の存在を「情」や「心」「魂」で感じるのかもしれない。一方で時の総理大臣や政権のようなものに対しては「知」や「意」を基にして対応している。
 
このような気持ちを国民ひとり一人がその心に宿していることこそ、皇統の永遠性の本質なのだと思える。