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maple8cinnamonのブログ

メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
お暇な方だけお付き合いいただければ幸いです。

今日数万円でしたが、予定通りいただきましたよ。初年金!

事務長、ありがとうねー!

あとは、厚生年金基金の解散が1日でも延びますように。。。



そんな今日、昨年来気になっていたことが解決。

昨年の7月に盲腸で4日間の入院、手術を受けた家内の保障について、証書を見ると5日間以上の入院からとなっていたので、ずっとそのままにしていたのだ。

でも、それでも気になっていたのでこの週末、去年私が加入した同じ都民共済の保障内容と見比べてみたら、私のは保険料同額で1日目からの保障があった。


ちなみに、同じ都民共済とは言え、私のは医療保障型で妻のは総合型の保障内容だ。

それでも、ひょっとしてその後保険契約全体に掛かる変更があったかもしれないと思い、今日電話で聞いてみたら、ビィーンゴー!

さっそく妻に入院保障の請求手続き書類を送ってもらうことになった。


それでもやはり、妻のは総合型だから、4日間入院で1万8千円ということだった。

もし私の入院保障型だったら@1万円/日で手術に対しても2.5~10万円もらえたのだ。

私が都民共済に電話して分かったこのことを妻に伝えると、その晩の食卓で娘もいるその席で、妻は「じゃ、私がおごるから今度食べに行こう!」などとのたまったのだ。


正直、私はもう21年この妻の医療保険に毎月2000円とはいえ、払い続けてきてるのにたったの18,000円!

まあ健康だったから何よりと言えるが、初めて保険金を受けられると思いきや、妻は私に一言の礼も無く娘の前で「私がおごる!」宣言。


もう、ホント今回は保険止めて毎月2,000円でも貯金しようかと思ったよ。


でも週末に色々調べたから色々なことが分かりました。

昨年私が加入した時の入院保障型と以前から加入していた妻の総合型は、選択ミスだったという結論も副産物的に導き出された。

まあ保険を選んだのも、保険料を払っているのも私なんですけどねえ。

やはり娘が自立した段階で妻の保険も見直すべきだった。

また我々夫婦は別にかんぽにも入っているのだが、契約当時は景気が良くて子供も育ち盛りだった。

更に妻が専業主婦だったこともあり、私だけ他にも色々と生保に入っていた。

その為にたまたま私のかんぽの保険金はあえて妻より少なくしていたのだ。


その後の不況で私は保険を次々解約し、子供も自立したことでかんぽ以外の生保は皆解約してしまった。

本来なら、私は死亡保障の多い総合型に入らなければいけなかったのである。


本当に保険や年金、人生の保障を選ぶのは難しい。

1回の人生だけでは難しいなー。

だからこういうのは、親がしっかり子供に教えてやった方がいいよな。


「東北復興祈念」イベント企画で岩手県の釜石駅から都内・上野駅までSLのD51が運行した。

2日掛かりの旅路だったようだが、それ位かかるだろう。


私が小学校1年を終えた春休みの時だった。

親が経営していた店の従業員に、その人の実家に連れて行ってもらったことがあるのだが、その時がSLで、そして夜行だった。


あとから知ったが、その人は群馬県の草津の方の出身だった。

おそらく上野駅から上越線を経て吾妻線「長野原草津口」駅までの旅だったと推察されるが、当時はSLではなくて蒸気機関車と呼んでいた。

多分SLは東京~群馬でも夜行、つまり2日掛かりだったのだ。


おそらく幼い私にとっては初の蒸気機関車だったと思うが、トンネルに入る時に窓を閉めるタイミングが遅れて煙が車内に怒涛のように流れ込んできたことがあった。

窓から景色を見ていた私の顔にはススがついて、お店のお兄さんと笑い合ったことが思い出される。

そんなことがあっても他の客に文句を言われることも無かったし、我々もまったく他の客を気にする必要は無かった。

のどかな時代だったのだ


行った先のことは殆ど記憶に無いが、小さな私が小屋の中の牛に笑顔でまたがっている写真があるので、農家だったのだろう。

また、乳牛ではなく役牛なので、農業もまだ機械化の前でこうした牛を使って耕作をしていたのではないか。


さらにSLと言えば、私の卒業した西日暮里駅近くの中学校は校庭が線路沿いだったのだが、在学時は時折SLの貨物列車が何両も通り、風向きが悪いとしばし部活が中断されることがあった。


そして、そんな私が最後にSLに乗ったのは大学1年の夏休み、親友と2人で九州旅行に行った際、熊本辺りでだと思う。

東京から鈍行の夜行で、14時間掛けて大分に着いたのを覚えている。

そこから更に日南海岸で荷を解いたのだと思う。


寝台でもなく、背もたれも直角の昔の修学旅行用のシートみたいな造りだったので、我々も若かったが、宿に着くなり畳の上に体を投げ出したまま、しばらく動けなかった。


台風の最中だったが、そこから高千穂峡や志布志方面に行く過程で、2度程乗った。

特に観光用ではなく、乗客も地元の人が多く、普通に運行していた感じだった。



15年前に痛風デビューした私だが、その後2度目の発作は起こさぬよう、うまく付き合っていたつもりだった。

数年前から薬の服用もやめていたのだが、一度経験するとそれらしい痛みが芽生えると何となく判るので、予防できるのだ。


しかし最近血液検査する度に尿酸値が著しく高いと、毎度言われるようになったのだ。

2月半ばにも、1月末の健診結果に基づいて診断を受け、同様に言われた。

これはもう、65歳に向け体調を整えたいと思ってるので、また薬の服用を再開する方向で腹を決めた。


幸い、薬は以前途中で止めたので、在庫は潤沢にあった。


で、再び飲み始めた矢先、2週間目ぐらいで発作が出てしまった。


もちろん、薬はそのまま飲み続けるべきなのだが、私のように適性ゾーンを少し上に出てしまってるような尿酸値の人間が薬を飲み、値が急に下がったりすると、皮肉にもそれを起因とした発作が出てしまうらしいのだ。


私はそういうことは知らなかったが、偶然あまりにも久々の服用だったので、始めの一週間は1日おきに飲んでいたのだ。

もう1週間それを続ければ良かったかな?


お陰で1月のインフルエンザで大幅に減らした有給休暇を、また1日非生産的に使ってしまった~!

おまけに出社はしているが、足が猛烈痛いのでタクシー通勤。

財布まで痛いぜ!


28日夜、根津に家内と中華料理を食べに行ったのだが、交差点から千駄木方向を見て驚いた。

暗~い根津の街の中で煌々とまばゆい光をはなつ、例のセブンイレブンの看板を見つけたのだ!


どうも28日、この日にオープンしたようなのだ。

今日、挨拶代わりにおにぎりを買って確認したのだが、もうオープン記念の値引きサービスはやっておらず、いつものセブンイレブンがそこにあった。

セブンイレブンで微妙な気分になってしまったが、我が家全員が待望していた不忍通り沿いのメジャーナショナルブランド・コンビニの登場だ。

これは大歓迎する他ない。


根津セブンイレブン


今ググってみたら、「セブンイレブン根津駅前店」というらしい。


今まで、何故か裏通りに聞いたことも無いようなマイナー・コンビニしか無かった街だ。

これまでメジャーブランド・チェーンストアは、根津でも老舗の「吉野家」しかない。

かつては「モスバーガー」もあったが、フランチャイジーの社長が撤退してしまった。


コンビニに限ってみれば、今「東京不動産企画 」(交差点から2軒目)のところがかつて老舗の酒屋だったのだが、そこが一時コンビニに衣替えをしたことがある。

でも、超マイナーブランドで名前すら思い出せないし、酒屋さん夫婦も高齢だった為、すぐ閉店(廃業)してしまった。



だから「谷根千」エリアの観光客は、根津に入る時には千駄木か谷中を出る前に、コンビニの用事は済ませておかないと慌てる事態に陥っていたのだ。…多分!

※5年前位から東大構内にはローソンが、数件出店している。


根津の街の歴史において、不忍通りだと「セブンイレブン文京千駄木店」から「ミニストップ上野池之端店」までの沿道には、かつて一軒もメジャー・コンビニが営業したことはない。


言問通りも起点の小石川からずっと無いまま、根津交差点を通り過ぎ、「セブンイレブン台東谷中6丁目店」まで一軒も無い。


この調子で、マックやケンタッキー辺りも出店してくれないかなー!



この度、「大相撲ファンの部屋」というグルっぽに参加することにした。
まだ、エントリーしただけで、何もしていない。


僕の相撲ファン歴は初代・若乃花の時の「栃若時代」と、北の富士・玉の海の「北玉時代」から、初代・貴ノ花と横綱・輪島の「貴輪(キリン)時代」や北の湖ら「花のニッパチ五人衆」辺りまで。

蔵前国技館にもよく行った。

また、三重の海が好きで、横綱昇進前に門仲で奥さんがやっていたちゃんこ「三重の海」にも行ったりした。


※※※「柏鵬時代」はあまり観てないんだけど、当時言われたように「大鵬が強過ぎてつまらない」からではない。自分が小学校高学年から中学校の頃だから、外遊びや部活で体を動かす方が面白くなってたのだと思う。この頃に野球やバレーボールが好きになった。※※※


NHKの相撲放送で言うと、北出清五郎アナ、杉山邦博アナ、解説陣では玉の海さん、神風さんなどが印象深い。


愛読雑誌はベースボールマガジン社の「月刊相撲」。
血液型研究でも知られる能見正比古さんの記事を楽しみにしていた。


それでも、同い歳のニッパチ五人衆が土俵を去る頃、僕は結婚し、最も仕事に集中し始めていたので、土俵への関心は急速に薄れてしまった。

もう千代の富士が引退したらテレビも殆ど見ていない。


その後、仕事が落ち着いた頃は二代目貴乃花やハワイ勢が活躍してた。

その後また中断し、朝青龍の相撲にぐっと惹き寄せられたと思ったらすぐいなくなっちゃった。