東北復興祈念「みちのくSLギャラクシー」デコイチが上野到着! | maple8cinnamonのブログ

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メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
お暇な方だけお付き合いいただければ幸いです。

「東北復興祈念」イベント企画で岩手県の釜石駅から都内・上野駅までSLのD51が運行した。

2日掛かりの旅路だったようだが、それ位かかるだろう。


私が小学校1年を終えた春休みの時だった。

親が経営していた店の従業員に、その人の実家に連れて行ってもらったことがあるのだが、その時がSLで、そして夜行だった。


あとから知ったが、その人は群馬県の草津の方の出身だった。

おそらく上野駅から上越線を経て吾妻線「長野原草津口」駅までの旅だったと推察されるが、当時はSLではなくて蒸気機関車と呼んでいた。

多分SLは東京~群馬でも夜行、つまり2日掛かりだったのだ。


おそらく幼い私にとっては初の蒸気機関車だったと思うが、トンネルに入る時に窓を閉めるタイミングが遅れて煙が車内に怒涛のように流れ込んできたことがあった。

窓から景色を見ていた私の顔にはススがついて、お店のお兄さんと笑い合ったことが思い出される。

そんなことがあっても他の客に文句を言われることも無かったし、我々もまったく他の客を気にする必要は無かった。

のどかな時代だったのだ


行った先のことは殆ど記憶に無いが、小さな私が小屋の中の牛に笑顔でまたがっている写真があるので、農家だったのだろう。

また、乳牛ではなく役牛なので、農業もまだ機械化の前でこうした牛を使って耕作をしていたのではないか。


さらにSLと言えば、私の卒業した西日暮里駅近くの中学校は校庭が線路沿いだったのだが、在学時は時折SLの貨物列車が何両も通り、風向きが悪いとしばし部活が中断されることがあった。


そして、そんな私が最後にSLに乗ったのは大学1年の夏休み、親友と2人で九州旅行に行った際、熊本辺りでだと思う。

東京から鈍行の夜行で、14時間掛けて大分に着いたのを覚えている。

そこから更に日南海岸で荷を解いたのだと思う。


寝台でもなく、背もたれも直角の昔の修学旅行用のシートみたいな造りだったので、我々も若かったが、宿に着くなり畳の上に体を投げ出したまま、しばらく動けなかった。


台風の最中だったが、そこから高千穂峡や志布志方面に行く過程で、2度程乗った。

特に観光用ではなく、乗客も地元の人が多く、普通に運行していた感じだった。