東海道歩き!「富田~四日市編」その4 | 南野クラフト建築設計室 きまぐれ日記2

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「東海道歩き!」、茂福町から八田へ進みました。

茂福神社の標石から150mほど進むと、県道64号線(富田山城線)の交差点となり、ここから先が八田となります。
八田側から東海道を見てみるとこんな感じです。
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しばらく工場地帯を進み、県道64号線から400mぐらい進んだ米洗川(よないがわ)の交差点に大きな「常夜燈」があります。

●常夜燈:四日市市八田3丁目
 1902(明治35)年に出来たそうですので、江戸時代からあるものでは無さそうです。
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米洗川から200mほど進むと「地蔵尊」があります。

●地蔵尊:四日市市八田2丁目
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地蔵尊からしばらく「萬古焼」工場が並びます。
250mほどの進んだところに大きな「松」があります。

●「かわらづ」の松:四日市市八田1丁目
 樹齢200年余りだそうです。
 1938(昭和13)年に国道1号線ができるまでは、こちらの東海道が幹線として往来で賑わっていたようです。
 戦前までは、東海道沿いに多くの松並木がみられたようですが、
 戦後は道路拡幅や松喰い虫被害で姿を消してしまい、現在残るのはこの1本だけのようです。
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「かわらづ」の松から少し進んだ交差点から振り返って東海道を見てみました。
この交差点から羽津町に入ります。
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「かわらづ」の松から300mほど進むと「志氏神社」の鳥居があります。

●志氏神社:四日市市羽津町
 神社はこの東海道にある鳥居から350mほど先にあるので、今回はパスしました...
 鳥居が1725(享保10)年、左の常夜燈が1818(文政元)年、右の常夜燈が1840(天保10)年に建てられたようです。
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志氏神社の鳥居を少し過ぎて振り返って東海道を見てみました。
街道にはちょっと古めの民家も残っています。
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志氏神社の鳥居から100mほど進むと「光明寺」があります。

●初野山光明寺:四日市市羽津町、浄土真宗本願寺派のお寺
山門
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本堂
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鐘楼
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光明寺から150mほど進むと、東海道はまた90度左に曲がります。
そして緩やかなカーブ抜けると国道1号線に出ます。
ここから、国道1号線を200mほど歩くと、県道9号線の交差点に道標が建っています。

●道標:四日市市城山町
 国道1号線が出来たときに建てられたのか?
 国道1号線側には「右桑名 左四日市 道」、東海道側には、「右四日市 左大矢知 道」と書かれています。
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この金場町交差点で、国道1号線を東側へ横断し、さらに国道1号線を400mほど歩くと「多度神社」があります。
東海道は、ここからまた国道1号線からそれて進みます。

●多度神社:四日市市三ツ谷町
 1885(明治)18年に三ツ谷一里塚跡に出来たそうですが、その部分は海蔵川の堤防だったようで現存していません。
 後の1935(昭和10)年に再建されたようですが第二次大戦で焼失、現在の本殿は1951(昭和26)年の再建だそうです。
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そして、しばらく進むと海蔵川の堤防に出ます。
堤防を上がると三ツ谷一里塚跡の石碑があります。

●三ツ谷一里塚跡:四日市市三ツ谷町
 富田の一里塚は江戸から98番目ですが、こちらが99番目です。
 三ツ谷一里塚の場所は、昭和20年代に海蔵川が拡幅されて、川の中に取り込まれてしまったようです...
 現在の石碑は東海道宿場・伝馬制度制定400周年記念で建てられたそうです。
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その5へ続く