①天満宮
今回、入り口がわからず、ついついお山に入ってしまいましたがちゃんと楽に行ける道があったという⋯。
こんなパターンが多いです。
わたしの判断ミスかなと思いましたが違うな。
↑オープンな天満宮でした。
こちらが天満宮だと地元のかたに教えていただきました!
長崎市の神社に行きたい人で、場所がわからなかったらわたしに聞いてください!と最近言える
聞かれた事ないけど
②五穀神社
さあ、ヒガナガといえば五穀神社ですよ♪
大げさかな
〈長崎市 中里町〉

こちらも場所はわかっても、入り口がわからなかった神社です。
地元のかたはもちろんご存知なのでしょうけど。そしてローカル神社だと、よそ者がわかる必要もないのでしょうけど。
むやみに大勢が訪れると、ゴミや器物破損、治安悪化などの心配もありますからね。地元の皆さんにとっては。

↑左から五穀神、山ノ神、不明石碑でした。
ほこら2基はどちらも大正6年4月24日建立。
ちょっと疑問ですが、稲荷神社と五穀神社ってどう違うのでしょうか
稲荷神社がウカノミタマの神、あるいはウケモチの神をまつり、
五穀神社はウカノミタマの神+他の神さま、だったりでしょうか
農業に特化してるとか?
③神武天皇と石仏をまつる神社
昔の石橋の石材が残されていました。
昭和57年の長崎大水害で被災しました。石橋は解体され、欄干はこの先に移設されていました。

↑忌竹(いみだけ)がある左の坂道を登ります。
ところで神社の事を「じんしゃ」と発音する年配の方によく出会います。
90代の方々に昔話を聞くと興味深いです。
発音(方言)も貴重だし、
れっきとした郷土史なんですよね
できるだけ多くの90代前後のかたのお話を録音してとっておきたい気持ちが強いです。
わたしたちが話す子供の頃の話も、いつの日か郷土史になるのでしょうね

↑さてほこらが2基。
右の仏像はどなたでしょうか?観音さまかな
仏像にうといわたし

↑神武天皇のほこらは大正6年(1917)4月3日にお祀りされたとあります。
(神武天皇 崩御の2500年式年祭の日)
さきほどの五穀神社のほこらと同年同月ですね❀
④神武天皇と大山積神をまつる神社
〈長崎市 中里町〉

↑ちゃんと階段がありました

↑鳥居の社名は消えてしまったみたいです。
鳥居奥の社殿の中は見れませんでした。

↑その代わりその社殿の外にあった神武天皇のほこらには『明治23(1890)年春』
さきほどの神武天皇のほこらより27年前ですね❀

↑こちらも同じく外。
大山積神のほこらは『昭和13年◯◯◯』でした。



⑤五穀神社
またまた五穀神社〈長崎市 中里町〉

登り口、探しましたよ〜

↑ほこらには十六葉菊と、御神像
と
『明治ニ(十?)
三月ニ十(ニか四?)』と彫られています。
あ~それにしても神社って本当に多いものですね
「あと◯社でコンプリート♪」
って言い続けてもその数が減るどころか増えたりして。
誰かが、わたしが神社に行くたびに新しく作ってるんじゃないかと思う日々(笑)

