善長谷教会と俵石八幡 | 小さな幸せと長崎♡

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長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪
【只今到達率 99.4%】
※ブログにしていない物も含む。

それ以外にも行っています。

たまにほかの市も☆

❀ランニングもしています♪

メルヘンチックなベルベル
↑善長谷(ぜんちょうだに)教会ですベル


~以下善長谷教会の説明板より~ 

(長いです)


『この地の歴史は文化年間(1804年)、 隠れキリシタンであった西彼杵郡三重郷樫山出身の 甚介の子、佐八ら6家族が、旅芸人を装いながら 脇岬の木場ゆりさき (鯨浜付近)を経て、この地を 信仰の隠れ家としたことに由来する。


 居住の条件として、八幡神社(後述の俵石八幡と思います。)の毎月の祭礼及び お水方として藩主用の水汲み役を見たすことと、 菩提寺の檀家に所属することが義務づけられた。 

しかし、彼らにとってこれらの務めを果たすことは 表向きのことであって、信仰の形態は先祖から受け継いだ隠れキリシタンの信仰を堅持していくことにあった。 

「善長谷」という地名の由来は、菩提寺六代当主、 賢外普間和尚が厳しい座禅の修業によって悟りの 境地に至ったことで知られる場所で、「禅定谷」と 呼ばれるようになり、それがいつしか訛って 「善長谷」となったと言われている。

 また「善長谷部落名 起源考」によると、異教徒の ことをラテン語で「ゼンチレス」、スペイン語で 「ゼンチョ」と発音することから「善長あるいは善丁」 の語源が生まれたのではないかと考えられ、最初は 仏教徒に対しての呼び名であったものが長い間に 変遷して、自分たちの住む地名になったのでは ないかと思われる。


 明治維新以降、信仰の自由が公認されると、 それまで密かに信仰を守っていた当地の隠れ キリシタンたちは、宣教師のカトリック信仰への 呼びかけに従い、大部分が集団でカトリックに 改宗 したが、改宗を拒んだ一部のキリシタンは 西彼杵・三和村蚊焼郷岳路に移住した。 


無原罪の聖マリアに奉献されている現在の聖堂は 中町教会の主任司祭であった古川重吉師の指導に よって、昭和27年5月3日に建堂された。

 当時の信徒数約250名。』



〈長崎市 大籠町(おおごもりまち)

↑ルルドの泉も再現キラキラ
↑ルルドの泉の説明板。

そして、

教会の脇を、迷って苦労して、Google Mapを見ながら山登りすると神社があるのです。

(ピンクリボンもっと増やしてお願いダッシュ)

要塞地帯標その①
その②

↑じょうやま?と読むのかな。山頂です☆
三角点もね△

俵石八幡神社もありました!
↑拝殿とその奥

↑拝殿奥のほこら


↑このような日用ゴミがいっぱいありました(^^;)

ゴミにも歴史を感じます。

↑拝殿前にはご由緒が彫られた石柱。
↑結構クッキリ。

鶴岡八幡宮の若宮さまから…とか
三浦義明…など確認できます。

↑拝殿前の鳥居神社



さて教会まで戻ります。

拝殿下は堀切でした!

こちらは城跡でもあるんですよニコニコ



拝殿前から下を見下ろすと…鳥居が!
↑鳥居正面神社

堀切は自然の水路かと思っちゃった(^^;)

帰りはなんとなく堀切に沿って下ります。

↑そしたらまた鳥居がありました!

知らなかった!
堀切づたいに下ってて良かった~♪

くもの巣にワーワーキャーキャー言いながら、滑るしかない所、道っぽくない所など通りながら攻略しましたウインクあしあと