江戸時代、
中国人たちを閉じ込めるようにして住まわせていた場所があります
(このオランダ人バージョンが出島ですね🇳🇱)
今回はこの唐人屋敷の一部をご紹介します☆
(入場料などはかかりません
)

↑この誘導門が目印です(^-^)
こちらの門は、
江戸時代にあった物でも、またその復元でもありません。
↑こちらの大門(象徴門)は新しいですが
形は違えど江戸時代にあった門の少し手前に建っています。
屋根の両端、
竜の子供のひとつ螭吻(ちふん)かな?

↑こちらは土神堂(どじんどう)
道教の土地の神様、
福徳正神(ふくとくしょうじん)をお祭りしています。
道教でも仏教との習合があるようです。
人間て習合しちゃうんですね(^^;)
☆撮影は出来ませんが、内部は中国風の祭壇です
ご利益:金運、農業など。
この影響で
多くの長崎の各家庭のお墓の脇に、この「土神」さまか祭られています。
この場合、読みはわたしの周りでは「つちがみさま」と呼んでいます。
ちなみにわたしの家のお墓にはありません(^^;)
でも、うちのお墓のあるお山は「星取山」と言うんですよ☆
聯(れん)と言う看板は
たぶん…ここには福禄寿(三星信仰の)が居るよ…って意味かな!?
唐人屋敷跡のこういう聯の中国語の意味をすべて知りたいのですが?

↑こちらは皇大神社
(令和4年6月に廃止。 )
こちらはさすがに明治の建立でしょう(^-^)
「ココウォーク」
…のある茂里町(もりまち)を造成した、
この辺りを買い上げた豪商森 伊三次(いそうじ)らの奉納した灯籠があります。
以前は森さんの奉納した鳥居もあったようです
(写真の赤いバケツの所)

↑さらに進むと天后堂(てんこうどう)
航海の女神(仙女)
媽祖(本当は女偏に且)をお祭りしています。
媽祖の称号の1つ、天后とは皇帝に次ぐ位です。
中国では孔子、関羽と並んで
とても人気で格が高いようです(^^)
そうだ、こちらは関羽もお祭りされています
なお、オマケで現在の中国のマカオという地名は
媽祖を祭る
媽閣(まかく)廟からきているそうです

↑お次は観音堂です。
観音さまもオールマイティー。
中国、日本ともに人気がありますね(^-^)

↑こんな傘も引っ掛かるような狭い路地もあります。
(わたしは雨の日に引っ掛かりました
)
長崎らしいそうです…。
(わたしは市町村合併後かなり経って長崎市民になったので知らなかったです。)

↑足元も☆右のハンドホール、
☆マークが磨耗で消えています☆

↑最後に福建会館正門&天后堂
そこには
孫文の像があります。
先ほどの天后堂とは別の物です
はるばるやって来た中国(清)人達は
「異国の長崎では故郷と同じ所は見いだせない。
しかし故郷でもしていたように媽祖様を崇くお祭りすれば
媽祖様のご加護があり
長崎は神仙達が住む山のようになるだろう」
(媽祖様が助けてくれて異国長崎でも幸せに暮らせるだろう。)
と異国での不安で寂しい気持ちを媽祖に託し
よりどころとしていました。
※「長崎唐寺の聯額を読む」より、福建会館の天后堂の聯額の要約。
わかるなぁ、ふるさとを離れて
ふるさとと同じように振る舞いたくなる気持ち。
(お料理や行事など。あと天気予報も気にしちゃう
)
(でもそのうち日本ならどこででも生きていけそうになってしまったけど(๑˃̵ᴗ˂̵))
そしてこちらは中国革命の父
孫文も訪れた場所です
(辛亥革命1911~1912で中華民国を建てました。)
中国では、
銅像にあるように孫 中山(ちゅうざん)と呼ばれるようです。
以上になりますが
唐人屋敷跡は他にも大小の見所がいっぱいあって面白いですよ♪
長崎の歴史は
お好きな方向けにご用意はしていますが
何より海外伝来の文化やグルメ、
個性的な撮影スポットが盛りだくさん
ぜひ体感しに来てください

