↑…に似た木を見つけました
↑…とんまつさんで
(長崎県大村市)
↑燈籠の火袋の窓は大村家の紋「いつもっこ」
↑こう言う平らで真っ直ぐな参道は、
わたしの住まいが山の多い土地柄なので、あまりお目にかかれません(^.^)
でもちょっと先からさっそく登りです
↑ニと三の鳥居
扁額の松の字は異体字「容の下に木」
二の鳥居横の黄色い鳥居はまた次回
↑三の鳥居から左折します。
直進した所はまた次回(^^)
↑「灯ちらちら疱瘡小家の吹雪哉」一茶
あかり(?) ちらちら もがさこいえの ふぶきかな
↑こんな整った所に一本杉だと、凛として見えます
↑杉の反対側には…
↑このように。
↑他に、砲弾など。
↑わあ1つの木から一振だけ紅葉してる
↑拝殿です
創建は1364年齢より以前です。
15世紀後半(大村純伊の時代)には、
大村家の守護神、多良岳大権現の遥拝所(里宮、さとみや)となりました。
(…多良岳、登りたかったのに、大雨で登山道が)
しかし、二代後の純忠(ドン·バルトロメオ)の時代には大村はキリシタン藩となります。
神社や寺院は打壊しの憂き目に。
しかし禁教令により純忠の息子善前(よしあき)の時代にはいち早くキリスト教から脱却。
(純忠は日本初のキリシタン大名。
善前はいち早くキリスト教をやめた…。
思いきりの良い親子ですね)
神社や寺院は再興へ向かいます。
富松神社再興の際、この地にあった松の木に、火の玉が飛んできたと言う伝承があります
故に当社は「飛松宮」の社号を用いていたそうです。
そして1632年には佐賀県呼子の加部島の田島神社より
平野七右衛門が神主として招聘(しょうへい)されたと言います。
…田島神社は行った事あります(^.^)
↑最後は富松神社一の鳥居と踏切
踏切も神社へのゲートの様で…