大日本人と、とんまつさん | 小さな幸せと長崎♡

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長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪

それ以外にも行っています。

たまにほかの市も☆

❀ランニングもしています♪

ダウンタウンの松本人志監督作品カチンコ映画

↑…に似た木を見つけました虫めがね!!

↑…とんまつさんでビックリマーク
(長崎県大村市)
↑燈籠の火袋の窓は大村家の紋「いつもっこ」
↑こう言う平らで真っ直ぐな参道は、
わたしの住まいが山の多い土地柄なので、あまりお目にかかれません(^.^)
でもちょっと先からさっそく登りです爆笑
↑ニと三の鳥居神社
扁額の松の字は異体字「容の下に木」

二の鳥居横の黄色い鳥居はまた次回ニコニコ
↑三の鳥居から左折します。
直進した所はまた次回(^^)
↑「灯ちらちら疱瘡小家の吹雪哉」一茶
あかり(?) ちらちら もがさこいえの ふぶきかな

↑こんな整った所に一本杉だと、凛として見えますキラキラ
↑杉の反対側には…ニコニコ
↑このように。
↑他に、砲弾など。
↑わあおねがい1つの木から一振だけ紅葉してるもみじ
↑拝殿ですニコニコ

創建は1364年齢より以前です。
15世紀後半(大村純伊の時代)には、
大村家の守護神、多良岳大権現の遥拝所(里宮、さとみや)となりました。

(…多良岳、登りたかったのに、大雨で登山道がえーん)
↑前回の本経寺にあった純伊(すみこれ)公の墓所(右)
しかし、二代後の純忠(ドン·バルトロメオ)の時代には大村はキリシタン藩となります。
右矢印右矢印神社や寺院は打壊しの憂き目に。

しかし禁教令により純忠の息子善前(よしあき)の時代にはいち早くキリスト教から脱却。

(合格純忠は日本初のキリシタン大名。
善前はいち早くキリスト教をやめた…。
思いきりの良い親子ですねニヤリ)

右矢印神社や寺院は再興へ向かいます。
↑御神木 飛松跡(中央の石碑)。

富松神社再興の際、この地にあった松の木に、火の玉が飛んできたと言う伝承がありますメラメラ

故に当社は「飛松宮」の社号を用いていたそうです。

そして1632年には佐賀県呼子の加部島の田島神社より
平野七右衛門が神主として招聘(しょうへい)されたと言います。

…田島神社は行った事あります(^.^)グッド!ひらめき電球
↑田島神社ニコニコ神社
↑最後は富松神社一の鳥居と踏切グッド!
踏切も神社へのゲートの様で…爆笑