大村神社の続きです

↑境内に玖島稲荷神社がありました

↑稲荷神社の拝殿。
↑「稲荷神社は元々農業の神様でしたが、諸産業の神様として信仰されています。」
ご存じの方はご存じの事ですが
私のような神社初心者の方のために書いてみました。
そして、「大村市はもとより、大村湾を隔てた西彼杵半島からの参拝も連綿と継続されている」とのことです。
前回のブログの石燈籠を寄進した、村松村・長浦村・亀岳村は西彼杵半島です
大村湾を大村側から眺めて思ったのが、対岸(西彼杵半島)が思ったより近いと言う事。
昔は西彼杵半島から、穏やかな大村湾を船で大村まで来ることは、時間もかからなかったのかな、と思いました。
今時分は車で佐世保市か長崎市(時津も)にお出掛け…が多いのではと思いますけど…。

↑境内には祠や石碑がいくつもありました。

↑御居間跡。
こちらにお殿様がお住まいになっていたんですねえ。
大村神社は元々玖島城があったところです。

↑12代藩主大村純熈(すみひろ)公。
兎に角石碑や銅像がたくさんありました!

↑私が通った境内入り口とは別の入り口にも鳥居が。
白の神明鳥居風。
貫が柱から出ていますが、神明鳥居の様に見えました。
一応鳥居に着目しているので、鳥居だけはすべて載せてます

↑大村神社の拝殿。

↑拝殿前の石碑。
角がきれいに取れてなめらかーになっています。
よく見ると文字が彫られていましたが、何と彫られているかは私にはわかりませんでした。

↑さざれ石。

↑玖島城の本丸跡地だそうです。
お城+神社、は去年行った平戸の亀岡神社もそうでした。

↑戊辰戦争記念碑も。
子連れで見て回るには中々大変(子供が飽きるほどの広さ)でした。
なのでお守りやおみくじを欲しがる欲しがる…
こう言う物は神社では「買う」とは言わないそうですね。
「授与」「授かる」と言うそうですね。
以前のブログで「買う」と書いてしまいました(--;)
うーん、知らなかった!
敬虔すぎる仏教徒の両親に育てられたので知る由もなかった!
(父は育児してなかったかも?)
「神社」とか「お守り」と言う言葉すら聞きたくないし言いたくないと言う母でしたので。
子供のころ、私が「友達の家にカトリックのシスターが来たから、お話聞いた」と言ったら、母は私が泣くほど怒り、仏壇に一時間だったか百回だったか忘れましたが長々と唱えさせられましたっけ。
それを終えるまでご飯なし
!
今でもその経典が頭に残っていて、実家に帰って両親のお勤めを聞いていると勝手にグルグル浮かんで来ます
そんな熱心な母の子供たち、つまり私や兄弟皆、その宗派からは離れています。
(登録を抹消までしたのは私だけだと思います。)
いらぬ話を挟んでしまいましたが…。


