前回の続きです!
金刀比羅神社境内は立派な造りで、思ったより広かったです!

↑お金を寄付した人の中には
子爵の伊東 巳代治
おそらく元長崎市長の横山 寅一郎など
長崎のすごい方々のお名前がありました!

なんだか江戸時代の偉い人の庭園みたいでした!見たこと無いですが

↑社務所の横の灯篭の下の部分て…、もしかして鳥居の柱(の上の部分)??
貫をはめ込むくぼみがある!よね?
竜神社
稲妻稲荷社がありました。

↑あっ、踏んでしまう!!何か地面にある
わざと?倒れたのをおいていたら埋まった?
「奉献 金毘羅大権現宝前」と有ります。
献と権と宝の字は難しい方の字です
宝前とは、賽銭箱の辺りや、本尊の事だそうですが。

↑そのすぐ横に(賽銭箱は見当たりません)カウントの難しい鳥居。登ってきた所の反対側に有りまして。
木と鳥居が相撲を取っているような、睨み合っているような。
鳥居って力士に似てません?縄も付けているし。
鳥居「どけさ💢!わいは!」
木「なんや💢おいはずっと前からおっとぞ?」
…なんてね。
※「わい」は「お前」と言う意味です。「おっと」はここでは「居るんだ」と言う意味です。
左が本殿、右は下る山道(進んでいないので右の方にまだ何かあるのかも知れません)。
扁額は本殿のある左を向いています。
進行方向は右と言うことになりますから、普通に考えると右の山道の先にもやはり何かしらある???
なにもなければ鳥居の向きが謎です!
時間がなくて確認できずf(^_^;

↑この鳥居には無凡山と有ります。
このあとの写真にもありますが、昔、無凡山神宮寺だった名残でしょう。
仏教でも鳥居にしちゃう…。
キリシタンすら神社にしちゃう。

↑柱は木に食い込んで(包み込まれて?)います。
木、スゴい!
木にめり込んで、包み込まれた鳥居になったらまた見てみたい。(何年後!?)
どうでもいいけど、長年、木にS字フックを掛けていたら木に完全に包まれてしまったことがあります。

↑神社は人々の色々な思いが込められています。
明治以降に「金比羅神社」に改称とありますが、ネット情報だとコトヒラ神社は明治以前がコンピラ神社だったと有りました。
↑同じ境内のこちらの看板は、明治からコトヒラ神社になったと有ります。
一月十日は「こんぴら」祭…。
では、地面に埋まっていた「金毘羅大権現宝前」は江戸時代の物と言うことでしょうかね。その石材の下に、廃仏毀釈を逃れた像か何か埋まってないかな。
神社のある金比羅山に関しては、説明書きには、昔は瓊杵山(にぎさんorにぎやま)、崇嶽(たかだけ)と言われていたと有ります。
そして山頂にまだ上宮があるとも。
私が境内を観察していると、子供が「帰ろう」と言いだします。
その時の子供は、「公園で遊んでいる幼子にに、『もう帰ろう?』と言う母親」に似ています。
私は「なかなか公園から帰らない幼子」役です。
子供の気持ち解りました

帰りの下り道は、よく晴れた大晦日の長崎の景色を楽しみながら、子供とひたすらお喋りして歩きました!
高いところ&歩く、だと饒舌になることって有りますよね!?
勉強にもなって、運動にもなって、子供とのいいレクリエーションにもなりました!







