ブログ更新が、私にしてはハイペースなこの頃です。
何故なら訪れた神社が興味深すぎて。
昨年の神社スタンプラリーに、長崎市西山(町は付きません)の金刀比羅神社が含まれていたので行くことに。
でも地図をみて躊躇しました。金比羅山の上の方にあるからです。
そして地図をみてもルートがさっぱりわからない!
車は手前の立山公園に止めました。
こう言う時は地元の方に聞くのが手っ取り早い
社務所にも問い合わせて、あまり迷わず参道の石だたみ発見♪
↑見晴しいい~(*^^*)
↑「五間」だそうです。多分金刀比羅神社までだと思います。
1.818mが1間らしいので、5倍したら9m少し。
↑一の鳥居到着♪良かった迷子にならなくて!
訂正:ホントは二の鳥居です。
↑(大清)光緒十二年は西暦1886年、明治19年。
歳次丙戌は「ひのえいぬの年ですよ」みたいな意味だそうです。歳は木星。
※歳次には別の意味もあり。
金刀比羅神社は中国商人達の寄進もあったとあるので、清(中国)の元号表記をしたのかな?
あ、この鳥居を中国商人が奉納したのかな?
↑この鳥居の周りが実は!!宝の山なんです!!
↑ほら!
↑笠木!(上と同じ石材の裏側です)
↑扁額!
↑これも扁額!上の写真の片割れでしょうか?
↑写真中央に恐らく扁額が!
(追記:神社経験が浅かった頃書いたので、扁額かなーと思いましたが、もしかしたら灯篭の台座的な物かも知れません。)
さらに石段を登ります。ひんやりしていてウォーミングアップされた体に気持ちいい。
↑奥に石材が。何かしらの石の加工物だったのかなー。
いくつか壊れた鳥居や石柱?が点在していました!
これは放置なのか、いつか再建するために置いているのか。
そのうちバラバラになった石材を継ぎ合わせて復元されたらなあ。
よくこんな山の上に…神社作りましたね!
続きます。