なぜ誰も気付かない? 明らかにおかしいピラミッドのあれ! | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

 皆さんは、「ギザの3大ピラミッド」をご存じでしょうか?

 そりゃ、一番有名ですから、当然知っているとはお思うのですが、これだけ大発見が続く中でも、未だに大きな発見が続いているこのピラミッド、私は以前からかなりの違和感を感じています。

 このブログを見てくださっている方々も、同様に違和感を覚えていると思います。

 

 今回は、つい先日放映されたピラミッドの特集番組を見ていて、気付いた事を書きます、と言っても、私自身、なんでこれに気付かなかったのだろう、というレベルの内容ですので、読んでいて「あ、」と気付かれる方も多いかと思います。

 

 まず、下の写真をご覧ください。

 

 

 いわゆる「王の間」とされている石室なのですが、あらためて見ると、とても4500年前とは思えない異様な石の加工技術が目立ちます。

 これだけ石を真っすぐに並べることもそうなのですが、並べた後に、各石ごとが、一切ズレていないのも、正直異常な事だと感じます。

 これは、エジプトに限らず、南米などの巨石遺跡にも共通していることではあります。

 この王の間の奥に、一つだけ石棺のようなものがあります、ここにかつては王のミイラが保管されていたのでは、と当初考えられていました。

 しかし、先日の放送では、あの吉村教授が「これは石棺ではない」と断言しています。

 私も同意見です、と言うより、学生時代から、どう見てもこれは石棺ではないと考えていました。

 それは、石棺が持つ本来の目的を果たしていないからに他なりません。

 現在でも、石ではないにせよ、「棺」には色々な装飾を施します。

 火葬が一般的な日本ですら、棺には何等かの装飾があります。

 古い時代の棺は、そうでない、と仰るかもしれません、しかし、棺の目的は、死者をあの世へお送りするという現世の人間が死んだ人への想いが詰まったものです。

 ですので、他の王の石棺には、美しいレリーフが掘られている訳で、このように無機質な石棺は他にはありません。

 つまり、その段階で、この石の箱は、棺ではないと感じていたのです。

 また、死者を埋葬するのであれば、一般的に王様の場合、その生前の功績と死後の世界での安寧のために多くの副葬品が含まれているはずですが、この部屋は、開けた段階で既にこの状態だったのです。

 そのため、私はこの部屋に宗教上の色を一切感じなかったのです。

 つまり、この部屋の目的は、宗教上の物ではない、何か合理的な使用方法であったと考えていました。

 

 そこで、改めてこの写真を見てみます。

 

 この石の箱、角の部分に破壊痕があります。

 多分、近年の発見の際、これがあったために、中の物は盗掘に会ったと考えられていたのだと思います。

 、、、実は、最大の問題は、ここにあります。

 

 これは、本当に盗掘者によって暴かれたものでしょうか?

 

 少なくとも、私は違うと考えています。

 なぜなら、、、、

 

 拡大図をご覧ください。

 

 解りますか?

 

 多分、本来であれば、この上に蓋のようなものがあったと思われますが、、、、どこに?

 

 このような、ピラミッドの最深部、わざわざ盗掘しに来た人が、構造を変更するとは思えません。

 つまり、この部屋の構造は、理由があって、ほとんど最初からこの状態であったと考えるのが自然です。

 そして、この石の箱、再利用の可能性を感じます。

 

 なぜそれを感じるかと言えば、、、。

 

 解りますか?

 数千年間閉鎖されていた空間です、外気にもあまり触れていないはずなのですが、、、、。

 

 この石を砕いた部分、恐ろしく摩耗しているんです。

 この状態で、まるで何百年も外に放置されていたもののように、砕けた時から、磨かれたように角が取れているのです。

 

 もう、その時点で、これに違和感を覚えるべきなのですが、何故か研究されている方々は、この異様な摩耗に触れていません。

 中や外側の面は、美しい状態なのに、どうしてこの一角だけ、、、、高熱で溶けたように滑らかなんでしょうか?

 

 いや、これはもう、解けたと考えてもいいくらいです。

 考え得ることは

 〇 何等かの理由で高温によって溶かされた

 〇 元々、この石の箱自体が別の所で別の使われ方をしていたもの

 〇 時間経過でこのように変化する特殊な材質

 〇 破壊された当時は、この石材自体が柔らかい状態だった。

 

 いつものように、考察の列挙ですが、最初のものは、原因が解りません、それだけの高温に晒されたなら、その高温とは一体何なのか?

 私はいつもの如く、固定概念を廃した見方で見ています、それでも、相当の違和感を感じます、つまり、閉塞された空間ではありえない事が起こったと感じるのです。

 最後の「柔らかい状況だった」は、以前もこのブログでも書きました、

古代の巨石加工の謎を解く ノアの方舟からつながる何か | 和のブログ (ameblo.jp)

 

 しかい、これが石が柔らかかった事による副産物だとしたら、逆にこの部屋を構成する壁や床の、異常なまでの直線が、説明できなくなってしまいます、経年で歪むからです。

 

 だとすると、列挙したものを、総合的に考えた方が自然かもしれません。

 つまり、元々別の所で使用されていたものを、ここへ移した、その段階で、この形状はすでに壊れた状態で存在していたが、できるだけオリジナルの状態でここへ移築させる必要があった。

 このように想像できるのです。

 

 それでは、「別の所で使用されていたもの」とは、何に使用されていたのでしょうか?