今日だけは、ワガママ言わせてください ~日本人義勇兵の戦死報を受けて~ | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

 今日は、少しいつもと指向が異なるものを書きます。

 

 昨日、日本の報道で、ウクライナ義勇兵として参加していた日本人が、ロシア軍との戦闘中に戦死された、との一報が入りました。

 日本政府は、ウクライナからの退去を引き続き促すとの見解に留まり、この日本人義勇兵の行動について、コメントを差し控えている様子でした。

 ウクライナ戦争以降、ロシアが悪、ウクライナは被害者との世界的な認識の中、お金は出す、支援も表明するが、国際社会は自国民の血を流すことを拒んできました。

 

 怖いのです、自国が戦乱に巻き込まれることが。

 

 しかし、私達日本人にとって、周辺事態は目前です、この状況で、どこの国も血を流すことに躊躇し、兵員を出し惜しめば、日本は侵略の辱めを受けることになるでしょう。

 戦争は個人ではできません。

 しかし、現在のウクライナには、世界各国から自由意志によって2000名以上の義勇兵が集結し、その中で9名が日本人です。

 彼らの行いは、誰かから責められたことでしょうか、誰かから後ろ指を指されるような行為でしょうか?

 彼ら日本人義勇兵は、自身の信念に基づいて、命を懸けて戦ったのではないでしょうか。

 

 昨日は、久々にきつい夜でした。

 

 今回戦死された日本人義勇兵の詳細は入ってきていませんが、奥様がいた20代の青年とのことです。

 あえて言うならば、何かを言えるのは、奥様とご両親だけではないでしょうか。

 

 政府が人員を出さなければ、個人で行くしかない、海軍空軍のように、艦艇や航空機は必要ありません。

 陸戦は、体一つで志願できます。

 色んな記事で、義勇兵とは、志願兵とも言われる、などと寝ぼけたことを書いています。

 

 違います、ボランティアの語源はボランティアン、志願兵のことです、ボランティア アーミー、つまり義勇兵です。

 本来、ボランティアとは、それだけ覚悟をした行為です。

 

 日本人と他国の人間とでは、このボランティアンへの考え方が違うように感じます。

 日本人も、日本政府も、平和は何もしなければ勝手に舞い込んで来ると勘違いしています。

 公人としては何も言えなくとも、忠義と勇気の兵士に対し、お悔やみの一つも、称える一言もなく、単純に死亡したことを伝えるこの国の姿勢が、解ってはいても私には堪らない気持ちにさせるのです。

 

 

 ですので、今回はわがままを書かせて頂きます。

 

 

 ウクライナの自由と平和のために戦って死んだ、日本人義勇兵に最大限の賛辞を送ります。

 言葉ではなく、行動をもって意見した、勇気ある行動に賛辞を送ります。

 ロシアの悪政に、毅然と立ち向かっていった勇気に賛辞を送ります。

 

 

 これまでも、実は戦死した日本人義勇兵は、ウクライナ以外にもたくさんいます。

 彼らは、誰からも賛辞を受けることなく、平和ボケした日本人からの批判を浴びながら静かに戦死していったのです。

 静かに感じるのは、日本国内にいた人だけで、現場にいた人間からすれば、そこには激しい音の世界がありました。

 

 砲撃の音

 銃撃の音

 悲鳴

 泣き声

 叫び声

 

 自分たちは、平和で安全な日本から、上から目線で彼らを蔑んできました、多分、今回もそうするのでしょう。

 

 

 気付け日本人、他人事では済まされない。

 自分の身に、火の粉がかかった時に、同じことが言えるのか。

 自分たちの力で、平和は勝ち取らなければならないということに。

 

 

 今日は、ちょと愚痴でした。