予想と予知の違い、タイムトラベルの仕組み | 和のブログ

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今まで誰かに話そうという気にはなりませんでしたが、息子の死をきっかけに、ブログという手段で誰かに読んでもらうのもいいかと思い、はじめてみます。

未来には無限の可能性がある、そんな言葉をよく聞きます。そんなことは十分承知の上、と思いますよね、ところがここが多くの自称予言者や予知夢を見る人が、中々たどり着いていないと思われる内容です。

 前々回書いた通り、時間は一本の線上を過去から未来へ単純に行き来するものではないのです。つまり無限の未来があるということは無限の現在も存在するのです(これはわかりにくいことですが)。

 小さな事象は簡単に変わります、そして逆に、大きな事象は変化しにくいのです。重いものが簡単に動かせないのと一緒です。

これは未来予知というより感覚的には予報に近く、天気予報などはそれをまさに具現しています。

 例えば低気圧が近づいているという大きな事象は恐らく変化しにくいですが、局地的なにわか雨程度のことは予想を簡単に裏切ってしまう。

 そんな理屈であれば世の中にあるものは何でもそうだろと、例えば株も公開すれば確実に値上がりするというNTT 株のようなものもあり、それゆえに未公開株のやり取りが問題になるわけですから。

 それであれば、未来予知とは意味が異なる、それは当たり前のことで単なる予想と変わらないと感じると思います。しかしそこは似て非なるものです。

 例えば天気と異なり、突然だれも予想していなかった事故的要因で大きな事象が発生するとします。例えば謎の大爆発など。それは天気図からは予想できません。

 つまり現状から予測できないことも未来で起こることの中でとても重量のある事象(わかりにくいですね、要するに変えることが困難なほどの大事件ということです)は、過去からでも観測する方法があるということなのです。

 思い出していただけましたか?ほら、「未来の思い出」です。

 では、2062年さんのように、タイムトラベラーが本当にいたと仮定した場合、タイムトラベルとは具体的にどんな現象なんでしょう。