黒田寛一は『日本の反スターリン主義運動 2』(こぶし書房、1968年刊)で次のように書いた。

 1965年に「合理化反対闘争が動力車労組によってたたかわれた。たとえこれらの闘いは挫折したとはいえ、この反合理化闘争のただなかでわれわれが提起した闘争目標と闘争内容の質的高さは記録されなければならない。「一人乗務反対! ロング・ラン反対!」のスローガンをもってたたかわれたこの反合理化闘争」(113頁)、と。

 黒田の内面には、「米・ソ核実験反対」のスローガンにたいしてそう感じたのと同様に、「一人乗務反対! ロング・ラン反対!」のスローガンにたいして、「このスローガンは」「現代における革命的プロレタリアの戦術の結節的な一つの表現であるからだ」という思いがわきおこっていたのではないだろうか。

 黒田は、日本反スターリン主義運動は、イデオロギー闘争に局限されていた段階を脱して、「米・ソ核実験反対」の反戦闘争を大衆運動として展開しうる段階に達した、と確認した。この確認に立脚して、黒田は、動力車労組の反合理化闘争を大衆運動として展開しうるまでに、われわれの組織的基盤は確立したではないか、と松崎明に迫った。

 だが、「米・ソ核実験反対」の闘いと動力車労組の闘いとのあいだにはこの同一性は成立しない。松崎明の闘いには、イデオロギー闘争に局限されていた段階というようなものはなかった。彼は最初から組合運動を展開し、わが組織を創造する闘いを展開していたのである。また、「米・ソ核実験反対」の反戦闘争を公然たる独自の大衆運動として展開したのは、党派的に分断されている学生戦線での全学連であった。松崎明は、動力車労組が総体として・大会決定にもとづいて・反合理化闘争に決起するように苦闘していたのである。松崎明と国鉄戦線のわが組織の闘いにかんしては、黒田の言う二段階区分は成立しないのである。そのような差異はないのである。大衆運動を展開しうる組織的力量をもったではないか、と黒田が松崎に迫ったことは、動力車労組内のわが組織は独自の戦術をもって独自の運動を展開せよ、と迫ったことを意味するのである。そのスローガンが「一人乗務反対! ロング・ラン反対!」だったのである。——これは、実践的には、組合運動の分断を結果することになるのである。

 こう言わなければならない。

 

 

 

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