これまで考察してきたようなことがらを考えていると、私の頭には、どうしても、『ヒューマニズムとマルクス主義』における黒田寛一の次の展開がうかんでくるのである。

 「「米・ソ核実験反対」——いま先進的な労働者や学生のあいだに着実に滲透しつつあるこのスローガンの革命性は、それが帝国主義ブルジョアジーからも、またそれに敵対すると称するスターリニスト官僚からも、憎悪の眼でみられているというこの事実からして明らかである。なぜなら、このスローガンは、帝国主義ばかりではなく同時にスターリニズムの本質そのものの暴露と打倒にまでゆきつかざるをえないところの、現代における革命的プロレタリアの戦術の結節的な一つの表現であるからだ。」(黒田寛一「ソ連核実験再開と革命的プロレタリアート」(1961年10月24日)『ヒューマニズムのマルクス主義』こぶし書房、1963年刊、147頁)

 この部分を読んだときに、私は、「「米・ソ核実験反対」のスローガンそれ自体が、帝国主義ばかりではなく同時にスターリニズムの本質そのものの暴露と打倒にゆきつかざるをえないところのものをもっている、ということはないのではないか」、と感じたのであった。私には、この文面とともに自分のこの感覚が思い起こされてくるのである。

 「このスローガンそれ自体が巨大なものをはらんでいる、とされているような気がする。戦術スローガンそれ自体に威力がもたせられている、と思える。しかし、われわれが、このスローガンのもとに反戦闘争に決起した労働者や学生とイデオロギー闘争を展開して、帝国主義ばかりではなく同時にスターリニズムの本質そのものをつかみとり・これを打倒することを意志するように彼らを変革しないことには、彼らがここにゆきつくことはないのではないか」、というのが、私の疑問であった。

 私は、いま、この思いを強くするのである。

 われわれは、反戦闘争に決起した労働者や学生をプロレタリア世界革命の主体へと変革するために、〈反帝・反スターリン主義〉世界革命戦略そのものにかんしてゴシゴシイデオロギー闘争をやらなければならない、と私は考えるのである。

 フラクションを、大衆運動を左翼的あるいは革命的に推進するための母胎であると同時にそのメンバーを党員にたかめるためのイデオロギー闘争の場でもある、というように理論化したときには、フラクションにおいては、戦術の革命性をめぐって論議するとともに、そのような革命的な戦術をうちだすための組織現実論を彼らに主体化させる、というように想定されていたのではないか、という気が、私にはするのである。これでは、彼らは大衆運動を左翼的あるいは革命的に展開することの革命性という地平で頭打ちとなり、彼らを、プロレタリア世界革命を実現する主体たる共産主義者=革命家へと変革することはできない、と私は思うのである。

 われわれは、自分がプロレタリア世界革命をどのようにして実現するのか、というように考えなければならない、と私は考える。それは、たんに理論学習の課題であるのではない。それは、自分がどう実践するのか、という問題だ、と私は思うのである。

 このことの考察は、「米・ソ核実験反対」などの革命的なスローガンが「ゆきつかざるをえない」というようなものではない、と私は思うのである。それは、自分が自分自身の実践の問題として深く考えぬかなければならない問題である、と私は感じるのである。

 われわれは、戦術の革命性というようなまなこからいろいろなことがらを考えることが習慣になっていると、自分を超える問題や自分を超える考えに直面したときに、これを、自分にはないものだ、と感じることができずに、自分がすでにもっている枠組みにはめこむかたちで・現在の自分で理解できるようにちっちゃくして・つかむことになってしまう、と私は思うのである。こうすると自分自身の成長はなくなる、と私は考えるのである。

 「米・ソ核実験反対」というスローガンにたちもどって考えよう。「全人類の平和」を希求する人たちは、このスローガンを「そうだ!」と思うのである。この人たちに、「スターリン主義者は、ソ連の核実験を擁護している。弾劾しよう」「ソ連のスターリン主義官僚を打倒しよう」といえば、彼らは「そうだ」と言うのである。彼らがこう言ったからといって、彼らはマルス主義を主体化した、とは決して言えない。これらのことは、「人類平和」の立場にたって平和を希求するというまなこからうけいれ語ることができるものであるからである。彼らにマルクス主義者へと変革するためには、彼らとそれ独自のイデオロギー闘争をおこなうことが必要なのである。この闘いは生やさしいものではないのである。

 自分がもっているものをそのままにしたうえで、その自分のまなこからいろいろな理論的なことを覚え語ることができるのだ、ということをわれわれは肝に銘じなければならない。自分がもっているものはそのままであり、そのまなこからものごとを見ているのだ、ということは、そのメンバーの実践を見ればわかるのだ、といわなければならない。どれだけ自己を訓練していないのか、どれだけ獲得していない能力があるのか、ということがわかる、ということである。私は、こう思うのである。

 

 

 

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